バキッと嫌な音と共に男が吹っ飛んでいくのを、クラクラしながらぼやけた視界がとらえていた――。 「おい、…!大丈夫か?」 強めのカクテルをかなり飲まされたせいか、視界がゆらゆら揺れて足元がおぼつかない中、一緒に飲んでた男に連れ出され、ソイツの腕が腰に回されたとこまではハッキリ覚えている。でもバーの裏口に出た直後、体がぐらりと揺れて…ああ、その時に一瞬だけ、長い三つ編みが見えたのを思い出した。 「お、起きた?」 「…蘭ちゃん?」 「間に合わねえかと思ったわ、マジで。オマエ、助け呼ぶの遅すぎなー?」 「…うう…遅いよ、来るの…」 「ハァ?どの口が言ってんだよ。あんなうるせえ店から電話してきやがって。殆ど聞こえなかったっつーの。そんな状態で見つけ出したオレが凄いわ」 「…ごもっとも…持つべきものは六本木の街を知り尽くしてる友達だね、ほんと」 「だろ?」 蘭ちゃんはいつものようにどや顔で言いながらも「汚ぇから立てよ」と言って、座り込んでいるわたしの腕を引っ張って立たせてくれる。でも酔っ払いは酔っ払いなので足に力が入らない。すぐにふにゃりと膝が曲がってしまう。 「…ダメだ…蘭ちゃん…おんぶ」 「は?」 わたしが転ばないよう、しっかり腕だけは掴んでくれていた蘭ちゃんが、ギョっとしたように目を剥く。どうせ「このオレに何言っちゃってんの?」くらい、考えてるんだろうけど。 この六本木のカリスマ、灰谷蘭とわたしは元々、中学の頃の同級生だ。お互い素行が悪い者同士、繁華街でも顔を合わせるようになって、18歳になった今でもよく遊ぶ関係だった。 時々わたしが変な男に捕まった時は、助けを求めればこうして助けに来てくれる。だけど別に、蘭ちゃんはわたしの彼氏でも何でもない。 「マジで言ってる…?」 「大マジです。すみません」 しゃがみこんだわたしの前に、蘭ちゃんもしゃがみこんで、顔を盛大に引きつらせた。そんな顔をしても綺麗だなんて、何かムカつく。 「このオレに、オマエをおぶって六本木の街を歩けと?」 「…さーせん」 場を明るくしようと、おどけただけなのに、この男は深い深い溜息を吐いて項垂れた。彼の三つ編みがゆらりゆらりと揺れているのを見ながら、もしこの場に置き去りにされた場合、次は竜胆を召喚しようと密かに考える。弟の方が何倍も扱いは楽だし、何なら最初から竜胆を呼べば良かったかも、と我ながら勝手なことを考えた。 だけど蘭ちゃんは覚悟を決めたように顔を上げると、不意にわたしの方へ背中を向けた。 「ん」 「え」 「早く乗れよ」 「…いいの?カリスマの背中をお借りしても」 「テメェ、いちいちムカつく言い方だな。置いてってもいーんだぞー」 「嘘です。乗らせて頂きます」 蘭ちゃんの場合、本当に置いて行かれそうで怖い。竜胆を呼ぶと言っても、来てくれるまでの間、この場に放置もツラいと思ったわたしは、素直に蘭ちゃんの肩へ両手をかけた。 「…げ、重てぇ」 「ちょっと失礼!そこは意外と重くないね、じゃないの?」 「あ?オレは思ったことしか口に出来ねえんだよ。素直だから」 「……蘭ちゃんの素直って言わない。デリカシー0男って言うんだよ」 「テメェ、マジで放ってくぞ」 「よ、蘭ちゃん、イケメン!六本木の帝王!」 「……酔っ払いウぜぇ」 蘭ちゃんはわたしをおぶって立ち上がると、さっきまでわたしに言い寄っていた男の背中を踏んづけて、表通りへと歩いて行く。振り返ってみれば、その男は白目を剥いて気絶してるようだった。きっと蘭ちゃんに一発KOされたんだろう。ご愁傷様。 「ったく…あんなヤツと飲むからじゃね?」 「だってエルメスのバッグ買ってくれるって言うから」 「は?バッグだぁ?」 「そしたらアイツの知り合いがやってるっていうバーに連れてかれて、怪しげなカクテル飲まされて」 「怪しいと思うなら飲むんじゃねえよ」 「そしたら急にクラクラしてきたし、こりゃ何か盛られたなーと思ったから、トイレ行くフリして蘭ちゃんを召喚したの」 「オレはアルティメットのお助けキャラか」 「いだだだっ!ちょっと!女の子のお尻つねるとか最低っ」 「いてっ!こそ三つ編み引っ張んなってっ」 わたしを支えてる手で器用にお尻をつねるから、思わず垂れている三つ編みをグイっと引っ張った。六本木の繁華街を歩きながら、二人でギャースカ言い合いしてるものだから、周りの人達からの視線がやけに痛い。 「ハァ…オマエといると疲れるわ…」 「む…どういう意味よ」 「そのまんまの意味な?」 「あっそ。じゃあ今度から竜胆召喚するからいい」 ちょっと悲しくなって、首に回した腕にぎゅっと力を入れると、蘭ちゃんの髪から優しい香りがふわりと漂う。不意に切なさを感じて、蘭ちゃんの背中に顔を埋めた。 「…人の弟を勝手に召喚すんな」 わたしを抱え直すと、蘭ちゃんが苦笑交じりで呟く。 何だかんだ文句を言いながら、蘭ちゃんはいつもわたしを助けてくれるから、つい甘えてしまうのだ。 兄妹と一緒に飲みに行った時も、わたしと竜胆はすぐベロベロで大変なことになるのに、最後までしっかりしてるのはいつも蘭ちゃんで、酔っ払い二人の面倒をみてくれるのも蘭ちゃんだった。 「蘭ちゃんみたいなお兄ちゃん、欲しかったなー」 「…あ?何だよ、急に」 蘭ちゃんが驚いたように笑う。 「だって蘭ちゃん、いっつも良いとこどりで、いちいちポーズ決めるのウザいけど」 「ケンカ売ってんのか…?いつでも買うけど?」 「でも顔はまあ文句なしの美人さんだし」 「…急に褒めだしたな」 「身長も高くてスタイルもいいし」 「お、よく分かってんじゃん」 「性格も自己中のわりに、面倒見はいいし、意地クソ悪いけど優しいとこもあるし」 「…って、喜びづれぇ褒め方すんな」 「だから、お兄ちゃんだったら、もっと我がまま言えるのになーと思って」 「テメェがこれ以上我がままになったら男も寄ってこねえだろ」 そう言いながら蘭ちゃんが笑うから、もう一度三つ編みを引っ張ってやった。結局、蘭ちゃんが一番シツレーだと思う。 だけど、優しいのは本当だ。 どんなに急でも、何をしてても、わたしが助けて欲しい時に助けに来てくれる。 「蘭ちゃん…」 「あー?今度は何だよ」 苦笑しながら応える蘭ちゃんの耳元にくちびるを寄せて、そして一言だけ呟く。首に巻き付けた腕に、自然と力が入った。 「大好き」 「……知ってる」 普段、面と向かっては言えない言葉を、たらふく飲んだカクテルのせいにして吐き出したら、蘭ちゃんは当然といったように呟いた。 「の兄貴になるつもりは、はなからねえよ」 「…ひゃ」 いきなり蘭ちゃんが腰を落としたかと思えば、わたしの足を支えていた両手が外され、すとんと地面に足がついた。すでに繁華街は抜けて、わたしの自宅マンションがある住宅街。でもまだ距離はあるから驚いて顔を上げたら、どや顔の蘭ちゃんが優雅に微笑んでいる。 「蘭ちゃん…?」 綺麗な指がわたしの髪を梳いて耳にかけてくれる。かすかに頬へ触れた指先の体温で、ドキリと心臓が跳ねた。その瞬間、目の前が陰って、蘭ちゃんの綺麗な顔が近づいてくるのが見えた。くちびる同士が優しく重なって、まつ毛が震える。長い間、一緒にいたのに、わたしの知らない蘭ちゃんが、そこにいた。 ちゅ…っと甘いリップ音と共に離れたくちびるを、つい目で追ってしまう。女のわたしよりも滑らかな蘭ちゃんのくちびるは、僅かに湿って光ってるから、月明かりに映えてやけに扇情的に見えた。つい呆けて見ていると、突然頬をむぎゅっと摘まれ、その衝撃でビックリする。 「いたっ…痛いよ、蘭ちゃんっ」 あんな甘いキスをした後に、普通ほっぺつねる?つねらないよね? そう抗議をしようとした時、蘭ちゃんが見惚れるくらいの微笑を浮かべて、わたしに言った。 「もう他の男と飲みに行くの禁止なー?」 …どうやら蘭ちゃんは相当怒ってたらしい。 だったら早くそう言えばいいのに。そしたら、わたしだって蘭ちゃんの気を引くために、色んなピンチを作ってわざわざ蘭ちゃんに助けを求めたりしなかったんだから。 そう言い返したら、やっぱり蘭ちゃんは顔を引きつらせたけど、最後はもう一度、それはそれは甘いキスをしてくれました。