京都校姉妹交流会③



  「俺、急いでんだよねー」

 突如として現れた呪霊。普通に人語を操ってることにも驚いたけど、更に恐怖を煽るのは外見的特徴だ。
 長身でガッチリとした筋肉質。一応人の形を成してるものの、全身がツギハギだらけの異様な姿は呪いらしい不気味さがある。そのせいで自然と足が後退した。

「君の足じゃ俺からは逃げられないと思うよ」

 わたしが距離をとろうとしたのを見て、その呪いはバカにしたような顔で笑った。顔のツギハギが不自然な形で歪む。そういう底意地の悪い表情も言葉遣いも、まるで醜悪な人間を見ているようだ。中学の頃、わたしを都合よく利用してたクラスメートみたいに、無邪気な笑顔を見せながら平気で他人を踏みつぶそうとしてくる類の人間そのもの。それが却って異形の化け物より恐怖を感じた。

(こいつの言う通りだ。すぐ後ろには校舎があるけど、中へ入る前にわたしは確実に捕まって殺される……)
 
 何で高専の敷地内に人語を操るような呪いがいるのか、という最大の疑問を持つ余裕もないほど、わたしの頭は混乱と恐怖で満ちていた。すぐ近くには五条先生だって、他の術師の人達だっているのに、助けを呼ぶことさえ出来ない。いや、例え大きな声で叫んだところで聞こえるかどうかも分からない上に、例え気づいてもらえたとしても先生たちが駆けつける前に、わたしは死ぬ。
 呪いの階級のことはまだ全然分からないけど、目の前の存在がその辺の呪いとは違うということだけは肌で感じていた。

「君に恨みはないけど、まだバレるわけにもいかないし、もうホントに時間がないからさぁ……」

 言いながら歩いて来ると、人型呪霊はツギハギだらけの手をわたしの方へ伸ばしてくる。その瞬間、全身が凍り付いた。

 ――嫌だ。触れられたくない!

 こいつに触れられたら終わり。そう本能が訴えてくる。なのに足が固まったように動かない。

(恵……!)

 視界いっぱいに呪いの手が迫ってきた時、脳裏を掠めたのは大好きな人の顔。けど――彼の名前を叫ぶ前に何故か呪いの方が小さく息を呑んで手を引っ込めるのを感じた。冷や汗がどっと噴き出て、初めて呼吸をしたみたいに咽そうになる。

「チッ。まーた誰か来ちゃったよ……しかもこの感じは……術師か。ハァ、めんどくさ!」

 ブツブツと独り言ちてるこいつは本当に呪霊なの? 話すこと全てがまるで人間のようだ。それに――"コレ"は本当に先生たちが用意した呪霊なんだろうか。
 そんな疑問を確認するよう恐る恐る顔を上げると、その呪いは明後日の方へ顔を向けていた。校舎側じゃなく、全く別の方向。釣られてわたしもそっちへ視線を向けたその時。目前に迫っていた「死」という息苦しい圧が瞬時に消えた気配がした。

「え……?」

 視線を外して戻すまでの秒にも満たない間に、目の前に立っていた呪いの姿が忽然と消えていた。驚いて辺りを見渡してみても、白髪のロン毛の姿はどこにも見当たらない。

「嘘……あいつ、どこに……」

 まるで白昼夢を見た気分だった。数秒前には死を覚悟したというのに、視界に映っているのはいつもの平和な風景。あの人型呪霊が本当にいたかどうかも疑わしいと思ってしまうくらいの静寂が、そこにあった。
 そして急に我に返ったのは、木々の間から誰かが走って来る気配がしたからだ。それは人型呪霊が見ていた方向だった。
 また呪い?! と身構えて、今度こそ呪符を握り締める。さっきはあまりに唐突に現れたから使うのをすっかり忘れてたけど、今は驚いたことで少しだけ冷静になれた。
 もし来てるのがまた呪いだったら、今度こそ呪符を使って――。

「あ……! き、君は……ちゃん?!」
「え……あっ!」

 足音が近づいてきた時、敵意剥き出しで振り返るのと同時。聞き覚えのある大きな声が響く。それは京都校の三年生、東堂葵先輩だった。わたしを見て驚いてる上に、何故か微妙に口元が引きつっている……のは気のせいじゃないはずだ。

「な、何で団体戦に出てるはずの先輩がここに……」

 ……という素朴な疑問はあれど。知った顔を見た瞬間、足の力が抜けたらしい。ふにゃりとその場に座り込む。今頃になって全身がひどく強張ってたんだと自覚した。一気に血が通いだしたように、顏の熱が上がって額やこめかみから汗が噴き出てくる。
 それを見た東堂先輩がギョっとした様子で走って来た。

「ど、どうした? どこか具合でも――」
「い、いえ……先輩の顔見てホっとしたら脱力しちゃって……」
「……?」

 わたしの説明を聞いた東堂先輩は、明らかにクエスチョンマークが脳内を巡ってるような顔をした。先日の件があるんだから、それも当然かもしれない。でも東堂先輩はすぐにハッとした様子で辺りをキョロキョロと見渡している。

「これは呪いの気配……」
「え……?」

 その言葉を聞いて驚いた。東堂先輩は説明する前に何かがいた気配を感じているようだ。そう言えば術師の人は呪力の残穢というものが見えるんだっけ。でも一発で呪いだと見抜く辺り、さすがは一級術師。恵をいきなり殴ったと聞いた時は最低な先輩だと思ったけど、真希ちゃん達が警戒するのも頷けるほどに実力は高いらしい。

「えっと……実は――」

 とにかく、今ここで遭遇した怪しい呪いのことを伝えなければ、と口を開く。でも説明する前に「危ないじゃないか、ちゃん!」と大きな声で怒鳴られ、肩がビクリと跳ねた。

「定められたフィールドから離れてるとはいえ、今日は敷地内に呪霊が数体放たれているんだぞっ」
「え……っと……」
「怖がらせたいわけじゃないが呪いの行動に一貫性はない。想定外の動きをする場合だってある。何が起こるか分からないのに術師でもない君が一人でフラフラ出歩くなんて自殺行為だろう!」
「う……ご、ごめんなさいぃ……」

 いきなり先輩から叱られ、同時に安心したのも相まってか涙腺が決壊したらしい。これまで耐えていた涙がぼろぼろと零れて落ちていく。校舎の外をちょっとだけ確認してみよう、なんて、術師でもないわたしがするべきことじゃなかったと、今なら理解できる。本当に、もう少しで死ぬところだった。
 わたしが急に泣き出したのを見た東堂先輩は驚愕したように目を剥いた。一瞬で顔から血の気が引いて行く。

「な……何故泣く?!」
「だ、だっで……こ、こわがっだからぁぁ……うわーん!」

 慌てふためく東堂先輩にしがみつき、ギャン泣きしたのは自分でも驚いたけど、先輩からしてもそれは予想外だったらしい。真っ青な顔で何故か謝り出した。
 
「ま、待て! 泣くな! 怒鳴って悪かった!」

 見当違いのことを言いつつ、東堂先輩は大きな体を縮こませながら背中を擦ってくれる。それが却って先輩の不器用な優しさを伝えてくるから、余計に泣けてきた。
 高専の敷地内だから安全、と油断しているところへ、唐突に迫ってきた己の死。その事実を思うと今頃になって体が震えてくる。東堂先輩はそんな事情を知らないまま、大泣きするわたしを校舎内まで送ってくれた。
 
 何でも東堂先輩は東京校の生徒を探してる内、林の中で道に迷ってしまったらしい。(計画性なく本能で動くタイプのようだ)
 でも急に大きな呪力を感じて東京校の誰かだと思ったからこそ、あの場へ駆けつけたと教えてくれた。なのに、いたのは放心状態のわたしだけで、呪霊は逃げたあと。さすがの東堂先輩もワケが分からなくて呆気にとられたみたいだった。

「校舎内は安全のはずだし、試合が終わるまでは外に出ないようにな」
「は、はい……あの、ありがとう御座いました。迷惑かけてすみません」

 わたしの気分が落ち着いた頃、東堂先輩はそそくさと距離をとっていく。前に怒鳴り散らしたせいで、実はとてつもなく嫌われてるのかもしれない。それでも東堂先輩が来てくれたおかげで助かった気もするし、ちゃんとお礼の気持ちだけは伝えておく。先輩は未だに顔が引きつってるけど。

「い、いや別に……俺も先日ちゃんの彼氏に多大なる迷惑をかけたからな……」

 もごもごと言い訳めいた言葉を呟いてるのは恵にケンカを吹っかけたことを言ってるんだろう。多少の反省をしてる辺り、こうして話してみると思ってたより悪い人じゃなさそうだ。
 ……まあ、女の好みが気に入らないというだけで人を殴らないで欲しいけども。

「あ、それで東堂先輩にも話したいことが――」

 さっき言いそびれた人型呪霊のことを思い出し、今度こそ東堂先輩にも伝えようと思った。素人目からしても、さっきの呪いはかなり危険に感じたからだ。あんな人語を操る呪霊まで学校側が放ったのかどうか、わたしには判断がつかないし、その辺のことを東堂先輩にも訊いてみたかった。
 なのに東堂先輩はわたしの話も聞かず、急に大きな声を上げた。
 
「ぬ。もうこんな時間か! サッサとフィールドに戻って奴らを探さねば高田ちゃんの番組に間に合わん!」
「……へ? 高田……ちゃん……? あ、東堂先パ――」

 声をかける間もなく。東堂先輩はスマホで時間を確認した瞬間、「じゃあな、ちゃん!」と手を振りつつ、光の如き速さで走り去ってしまった。あのスピードは人類史上最速のスプリンターと称賛されたウサイン・ボルトより速いのでは。
 人はあんなに早く走れるものなんだと――スピードあるようには見えないのに――少々唖然としながら見送っておく。ただ、東堂先輩と微妙に会話が噛み合わなかったせいで、結局さっきの人型呪霊の話をし損ねてしまった。

「どうしよう……話すの忘れちゃたけど大丈夫かな……」

 東堂先輩はわたしが遭遇したのは先生方の放った二級呪霊辺りだと勘違いしてたっぽいけど、あの人型呪霊は二級やそこらの呪霊じゃないと思う。そもそも過去の経験から、人語を操る呪霊というのは相当にヤバい奴、という印象しかない。
 あの小学校にいた呪いもカタコトだけど言葉を話してはいた。けど、さっき遭遇したヤツは普通の人間と変わらないくらい意思疎通が出来てた気がする。絶対に二級や一級という類のものじゃない。
 ただ……じゃあ先生方の放った呪霊じゃないとしたら、アレはどこから高専の敷地内へ侵入したんだという話になる。皆が言う天元さまの結界は? 万が一、それを突破されたなら誰かが気づくんじゃないの?
 あれこれ考えてみても、その辺のことは素人のわたしに分かるはずもなく……。

「はっ。と、とにかく五条先生に報告しなきゃ――!」

 やっぱりそれなりに動揺してたらしい。一番肝心なことを思い出すと慌ててモニタールームへ急ぐ。その時、上の方から数人の足音が聞こえてきた。

「あ……五条先生!」

 数段飛ばしで先頭切って下りてきたのは五条先生だ。その後ろからは楽巌寺学長と歌姫先生が駆け下りて来た。三人からはどこか緊迫した空気を感じる。
 
「あ、! ちょうど良かった! トラブルが発生したからオマエはモニタールームに戻ってろ。冥さんが残ってるから」
「え、ト、トラブルって……」
「まだ何が起きてるか把握してないけど、外は危ないかもしれないし校舎からは絶対に出るな。とにかく冥さんの傍にいて」
「え、あ……は、はいっ」

 すでに走りだしている五条先生たちを見送りつつ、言われた通りモニタールームへ向かう。でも途中で足を止めたのは、またしても遭遇した呪いの件を言いそびれたからだ。

「いけない……また言うの忘れちゃった!」

 自分の愚かさに呆れつつ、今からでも先生たちを追いかけようかとも思った。けど校舎から絶対に出るなと言われた手前、ドアの前で足が止まる。ここを出て怖い思いをしたばかりというのもあるけど、わたしの足では先生たちに追いつくはずもないと気づいたからだ。

「どうしよう……トラブルってやっぱりさっきの呪いが原因なんじゃ……」

 あり得ない場所にあり得ない存在がいた――。
 とても大事なことを言いそびれた気がして、胸の奥がやけにざわつく。先生たちは多分大丈夫だろうけど、今この瞬間、外で団体戦に参加している皆や恵のことが心配になった。かと言って知らせに行けるはずもなければ、電話したところで向こうの状況が分からない。下手に邪魔をしてもいけないと思った。

「恵……無事でいて……」
  
 祈るように呟きながら、青く澄みきった空を見上げる。その時だった。突如として窓から差し込む陽の光が翳り、ぎくりとした。

  「え……帳……?」

 窓の外を見て息を呑む。それは校舎を包むように下ろされていく、正真正銘の帳。いったい誰が――?
 この時のわたしはまだ、この場所で何が起きているか全くわかっていなかった。
 外部から呪詛師と特級と呼ばれる呪霊が侵入し、恵や皆が必死に戦っていたことを知るのは、それから数時間後のことだ。


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