京都校姉妹交流会②
「もう、ここで大丈夫だよ。黒はこれからお仕事でしょ」
「わふ!」
みんなと別れたあと、与えられた仕事をする為に校舎へやって来た。でも入る前にここまで送ってくれた存在に声をかける。背後で嬉しそうに尻尾をぶんぶんしながら座っている恵の式神、玉犬の黒だ。
わたしが一人で校舎まで行くのは心配だったのか、恵が密かに付けてくれてたらしい。森を抜ける最中、背後からついて来ている黒に気づいた時はかなり驚いた。
「ほら、今度は恵を助けてあげて」
なかなか離れようとしない黒の頭を撫でると、黒はくぅん、と小さく鼻を鳴らす。式神なれど、黒なりに心配してくれてるらしい。わたしは黒のこういう顔に弱かった。式神とはいえ、触れれば柔らかい毛並みを感じるし、こうして話しかければきちんと答えてくれる。実際の犬と何ら変わりはないから、可愛くてつい顔が緩んでしまうのだ。
だけど式神の中で随一の万能型でもある黒は、恵の戦術に欠かせない存在だから、いつまでもわたしが独占してるわけにはいかない。
「校舎に入れば危険はないから大丈夫だよ。五条先生や他の術師の人もいるし」
今は悠仁が加わったことで皆は作戦の立て直し中だろうけど、あと一時間もしないうちに団体戦が始まる。その際は探知能力のある黒の力が必要になるはずだ。
「目的地までついていけと言われたんだろうけど、ここでホントに大丈夫だから、黒は恵のとこに戻って」
「……わふ!わふ!」
目線を同じにして皆のいる方向へ指をさせば、黒も安全だと理解したらしい。最後に鳴いてからどろりと黒い液体状になって姿を消した。何度見ても不思議な現象だ。
「それにしても……ほんと、恵は心配性だなぁ」
いくらフィールドに呪霊が放たれると言っても、それは団体戦がスタートしてからなのに、と苦笑が洩れた。
恵は普段あんなに素っ気ないくせに、実際は物凄く優しい一面がある。それが当然だというようにさり気ない優しさをくれる。そんな恵の愛情は、昔も今もわたしに大きな勇気をくれるのだ。
「あ、いけない……早くいかないと先生たちが来ちゃう」
時計を確認しつつ、指定された教室へ向かうのに人けのない廊下を歩いて行く。普段たまに見かける生徒や高専関係者も今日に限って誰もいない。人の気配がない古い校舎は普段以上に静かで、ほんの少しだけ……不気味だ。
「3年生は停学中だし、4年生は出張だっけ……補助監督の人も少ないワケだ」
歩くたびにミシミシと音を立てる廊下を進みながら、つい後ろを振り返ってしまうのは、通っていた中学校で呪霊から逃げ回った過去のトラウマが関係してるかもしれない。木造校舎の軋む音がするたび、肩がびくりと跳ねてしまう。
「大丈夫……あの時とは違うし今は抵抗する術を知ってるんだから……そ、そもそも、ここ呪術高専だし! 天元さまの結界で守られてるって五条先生も言ってたもん」
未だ「天元さま」という存在がどういったものかまでは深く理解してないけれど、自分を励ますのに大きな声で独り言ちて上着のポケットの中にある物を確認する。そこには五条先生からもらった呪符が入っていた。
恵たちが祓うことになる呪霊は外のフィールド内に放たれるという話だから、ソレが校舎内に出現するわけじゃない。だとしても外を移動中、何かあった時の為にと先生がくれたものだ。もちろん使い方も何百回と練習したから、いざという時は低級呪霊なら数分は時間が稼げるはずだ。
そう自分に言い聞かせながらモニタールームのある上層階へ向かうのに階段を上がっていく。
……と、その時。かすかに人の話し声が聞こえて、ふと足をとめた。校舎に人が少なくても上には先生たちが集まってくる。もう来てるのかと少し焦りながら二段飛ばしで階段を上がると、廊下には京都校の楽巌寺学長と一級術師の冥冥さんが何やらコソコソと話をしていた。それも――。
(今……虎杖がどうのって聞こえたような……)
楽巌寺学長の口から悠仁の名前が出たことで胸の奥が嫌な音を立てた。悠仁が死んだふりを続けてたのは上層部絡みの件だと、さっき五条先生が恵たちに説明してるのを聞いたからだ。
上は悠仁のことを宿儺の器としか見ていない。けど五条先生の手前、簡単に手を出すわけにもいかない。だから少年院での件は、五条先生不在の間にこれ幸いと任務に乗じて悠仁を殺そうとしたんじゃないかということだった。
でも五条先生は生き返った悠仁を見て、今度は上が簡単に手出しを出来ないよう、出来うる限り悠仁に力をつけさせようとした。それがわたし達にも悠仁の蘇りを内緒にしてた理由らしい。
そういう裏の事情を知って最初は怒ってた野薔薇ちゃんも、呆れてた恵も渋々ながら納得はしていた。生きていたことを上層部に知られたら、また悠仁を狙ってくるかもしれないんだから当然だ。
(確か……楽巌寺学長は悠仁を消したがってる上層部の一人だったはず……五条先生が保守派って言ってたっけ?)
普段は飄々としてる五条先生があそこまで敵意を剥き出しにする相手。その学長が冥冥さんと悠仁の話をしてたのが、ちょっと気になった。
「ん? 君は東京校の一年か。今日の雑用担当なら早速で悪いが我々に茶を淹れてくれんかね」
楽巌寺学長はわたしの存在に気づくと僅かに眉を上げた。でもすぐに愛想笑いを浮かべて、モニタールームとして使っている部屋へ入って行く。冥冥さんも普段通り、艶のある笑みを口元に張り付けてから楽巌寺学長のあとに続いた。特に慌てた様子がないところを見れば、これから始まる団体戦のことでも話してたのかな、とも思える。けど、わたしに気づいた瞬間、少しだけ二人を取り巻く空気が変わったことに小さな違和感を覚えた。いわゆる本能というか、直感的なものだ。
(二人で悠仁について何の話をしてたんだろ……)
五条先生に教えた方がいいのかな。そう考えてた時、突然元気な声で名前を呼ばれた。
「おーい、。こっちこっち!」
「あ、五条先生」
入口から顔を出して手を振っていたのは五条先生だった。少しホっとして走っていくと、「迷子になったのかと思って心配してたんだよー?」と言いつつ、いつも通りわたしの頭をくしゃりと撫でてくる。いつもなら「グチャグチャにしないでよ」と怒るところだけど、今は普段と変わらない先生の態度を見てたら凄くホっとした。
「不愛想なおじいちゃんもいるけど気にしなくていいから。は僕の傍にいたらいいし」
「え」
先生はしれっと毒を吐きつつ、わたしを中へ案内してくれた。モニタールームには先に入って行った楽巌寺学長と冥冥さんが同じ二列目に座っている。最前列には京都校の教師、歌姫さんがいて、「うるさいなぁ」というウザそうな顔で五条先生を睨んでいた。
「生徒との距離感が近すぎんのよ、アンタは」
「あれれ? 生徒から人気のある僕を見て僻み根性まるだし?」
「はぁ? 誰がひがむのよ、アンタなんかに! だいたい誰が人気あるって?!」
「……(怖い)」
パンダ先輩が歌姫先生は五条先生のことになると人格が悪い方へ変わると言ってたけど、本当みたいだ。何でなのか尋ねたら、「そのうち分かるさ」と笑ってたっけ。でも正直なところ、何となくその辺を理解出来てしまうのは内緒だ。
「ここで試合を観戦するんですね」
部屋の正面にはモニターがいくつか並んでいて、そこに今回のフィールドと呼ばれる森が映っている。それは冥さんの術式らしく、操る鴉と視界を共有させてるらしい。どういう理屈でモニター画面に映し出されるのかは……まだわたしには理解できてないけど。
「そうだよ。ってことでは僕の隣に座ってて」
「え、あ、いえ。わたし、楽巌寺学長からお茶を頼まれてて」
「そんなの伊地知に任せとけばいいから」
五条先生は相変わらず適当なノリで無茶なことを言ってくる。将来、補助監督志望のわたしが大先輩の伊地知さんにお茶くみなんかさせられるはずもない。
「ダメです。伊地知さんは団体戦の準備で色々と忙しいんだから。あ、五条先生と歌姫先生は? コーヒーでいいですか?」
言いながら座らされた椅子から立ち上がると、五条先生は「ほんと真面目だねーは」と苦笑している。五条先生が不真面目なんですよ、と返そうとしたら、代わりに歌姫先生が同じ台詞で五条先生に突っ込んでいた。思わず吹きそうになったのをグっと我慢しながら、夜蛾学長にも飲み物を聞いて部屋を出て行く。
廊下に出た途端ホっと息を吐いたのは、普段ならそれほど関わることのない大人達ばかりの空間に入ったことで、酷く緊張したせいだ。
「皆がいないとやっぱり心細いな……」
なんてボヤきつつ、同じ階にあるという給湯室へ向かう。そこには最高級の茶葉やらコーヒー豆が置いてあった。ただすでに淹れるだけにしてあったので、結果わたしはお湯を注ぐだけでOKだった。
「さすが伊地知さん。こういうのもキッチリ準備してくれてたんだ」
"お茶を頼まれたらさんは同じ階にある給湯室へ行って下さいね。皆さんの好みはメモに書いておいたので"
そう言われたのを思い出しながら、まずは楽巌寺学長が好きだという煎茶を準備する。あとは冥冥さんと歌姫先生の紅茶、夜蛾学長と五条先生の好きなコーヒーはしっかりコーヒーメーカーの中に出来上がっているから、カップに注ぐだけで良かった。
「これで良し、と。お砂糖は先生が大量に使うし、容器のまま持って行けば使いたい人だけ使うかな」
トレーに皆のカップや湯飲みを乗せ、コーヒー紅茶の人達の為にお砂糖の器とミルクも用意した。あとは溢さないよう部屋へ戻るだけだ。
そんな単純作業を何度か繰り返すだけの簡単な雑用――。
伊地知さんからはそう聞いていた。
なのに……蓋を開けてみれば、やれ「茶菓子が欲しい」だの「甘い物がいい」「今度はしょっぱいものが欲しい」だの、あげく「ああ、ついでに飲み物のお代わりを」と先生方(主に楽巌寺学長)から頼まれ、わたしは休む間もなく茶菓子の類が置いてある高専の事務所や給湯室とモニタールームを何度も往復する羽目になった。試合開始までの間は暇だから口が寂しいらしい。
「つ、疲れた……」
単純作業とはいえ、座る暇を与えられないほどに動き回っているせいで、体力的にも限界がきそうだ。今も楽巌寺学長から注文された茶菓子(高級和菓子屋の水ようかん)を取りに再び一階にある事務所へ向かう途中だった。
さすがに生徒のわたしが外まで買いに出るわけにもいかず、手の空いていた事務員の方が指定された店まで買いに行ってくれたのを受けとりに行くのだ。
10分ほど前に団体戦が始まったから、出来ればわたしも観戦したいところ。でもこの様子じゃ無理かもしれない。
「あのおじいちゃん学長ってば結構我がまま……?」
人当たりのいい笑顔を見せながらも、なかなかに無茶ぶりをしてくるんだから困ったおじいちゃんだ。見かねた五条先生が助け船を出してくれることもあったけど、そのたび険悪なムードが漂うから、つい空気を読んで「大丈夫です」と強がってしまったわたしがいる。
というか、あの無茶ぶりは何となくわたしを五条先生の傍に置いておきたくないみたいだ。ただの気のせいかもしれないけど、冥冥さんと話してた場面を見てしまったことが関係してる気もする。理由は……よく分からないんだけど。
「はぁ……皆は上手くやってるかなぁ……出来れば恵たちと一緒にいたかった……」
わたしに術式があれば今日の交流戦にも出場できただろうけど、そもそも呪術に関しては全くの素人からスタートした。あげく術式もない、ただ"呪いが視える人"というだけじゃ、雑用をすることでしか皆の役に立てない。
恵の傍に居たいがために高専へ追いかけてきて、五条先生の口添えで入学出来た時はそれだけで満足だったはずなのに、今は呪術の才能がないことを心の片隅で寂しく感じてしまう。
つくづく人はないものねだりなんだなぁ、と苦笑が洩れた。
「……ん?」
溜息交じりで階段を下りようとした時だった。視界にあり得ないものが掠めた気がして、ふと足を止める。
「え……今のって……」
廊下の開いてる窓から顔を出して、遠くに見える建物を凝視する。たった今、そこの屋根の上に人が立っていたように見えたからだ。それも二人。だけど――。
「……いない」
距離があるだけに良く見えないけど、そこに人影はない。見間違いかとちょっとだけホっとしつつ、最後にもう一度身を乗り出して確認してみた。
「まあ、あんな高い場所に人がいるはずないか……」
それに例え本当にいたのだとしても古い校舎だから修繕工事をしてたのかもしれない。そう思い直して特に気にすることなく、一階の事務所まで急いだ。
「はい、これ。言ってた水ようかん」
「すみません。ありがとう御座います」
「いいよ、これくらい。さんも雑用係なんて大変だね」
高専で長年事務をしてるという初老の男性は、苦笑気味に労いの言葉をくれた。でも「本当に大変です」とは言えず、笑って誤魔化しておく。大先輩である伊地知さんが大なり小なり一人でこなしてる激務に比べれば、校舎の中を行ったり来たりするくらい楽なものだ。
まあ、伊地知さんの仕事の半分は五条先生の我がままから発生した雑用らしいけど……(!)
まるで息を吸うように雑用を頼んでいる五条先生を思い出し、伊地知さんに心から同情する。いや、もしかしたら近い将来、わたしも伊地知さんと同じ道を辿るのでは。
……なんて不安になりつつも、恵がいれば耐えられるはずだと気持ちを切り替える。
「よし。早く戻らなきゃ」
すでに団体戦は始まっているし、あのモニタールームへ行かなければ皆の様子を見ることが出来ない。腕時計を確認して早歩きで廊下を歩いて行く。でもその時、外の方から誰かの声のようなものが聞こえた気がしてギクリとした。
「な、何……今の声」
それは人が怒鳴る声のようにも悲鳴のようにも聞こえた気がして、恐る恐る廊下の窓へ視線を向ける。だけど視界に映るのは鬱蒼とした木々だけで、わたしのいる場所からは誰の姿も見えない。
「まさか……見回りの術師や補助監督の誰かが呪霊と遭遇したわけじゃないよね……」
今日は人が少ないとはいえ、交流戦を迎えるに当たって二級術師の人達や、伊地知さんを筆頭に数人の補助監督は準備のためにフィールド内へ入っているはずだ。その内の誰かが、用意された呪霊に襲われてるのでは、と心がざわついた。
ただ、素人のわたしが思いつく程度の危険は当然彼らも承知の上だし、見回っている二級術師の人達だっている。それなりの対策はしてあるはずだ。彼らが襲われるなんてことはあるはずがない。
「大丈夫……だよね」
頭ではそう思うのに、足が自然と階段奥にある裏口へ向いたのは、やっぱり一度くらい外を確認しないと安心できないと思ったからだった。一度外に出て何事も起きてない、という確信が欲しかったのかもしれない。
恐る恐る内鍵を開けて扉を押し開くと、心地良い風が吹くと共に木の枝たちがざわりと音を立てて揺れる。そんな日常の風景すら不気味に感じるのは、わたしが内心ビビっているからだ。そう自覚をしつつ鬱蒼とした木々の間、声がしたと思われる方へ一歩ずつ慎重に進み、視線だけで何か異変がないかと確認していく。
ただ呪霊が放たれているフィールドが遠いとはいえ、あまり校舎から離れるのは得策とも思えず、数歩ほどで足を止めた。パっと見たところ見慣れた風景が広がっているだけで、特に気になる異変もなかったからだ。
「誰の気配もしない……」
あれ以来、何の声も音もしてこない。やっぱりさっきの声は気のせいだったのかも、と苦笑する。それに万が一異変があったとしても、術師でもない学生のわたしに何か出来るわけでもない。
そんなことを考えながら踵を翻そうとした時だった。木々の間に人影のようなものが動いた気がして勝手に足が止まる。
「え、誰……?」
人影の見えた辺りを確認しつつも、すぐに声をかけなかったのは小さな違和感を覚えたからだ。
もし高専で働く補助監督の人なら、全員が黒いスーツを着ているはず。術師の人達も皆が黒い制服を着ている。だけど今見えた人影は服装からして皆と違った気がした。それに……。
「ロン毛だったけど……女の子?」
一瞬、長い髪が風になびいた気がしたのだ。でも本能的に女の子じゃないとも思っていた。遠目から見た感じでも分かるくらいの高身長だったし、あんなガタイのいい女の子は東京校にいない。京都から来ている生徒達の中にもいなかったはずだ。なら男の子ということになるけど、それこそ生徒達の中にあんな外見の人はいなかった。だいたい生徒たちは遠く離れたフィールドで団体戦に参加している。こんな校舎の端っこにいるはずもない。
「じゃあ……今のって……誰?」
見たこともない人物がいるかもしれないと思うと少しだけゾっとして、独り言ちた時だった。「あれ?」という声が聞こえて肩がびくりと跳ねる。
「こんなとこにも人ががいたんだ」
いつの間に近づいてきたのか。前方数メートル先に見知らぬ存在が立っている。高身長で白髪のロン毛。さっき見かけた人影はこの人かもしれないと本能的に感じた。同時に、その存在が人間ではないということも。
目が合った瞬間、全身の毛が総毛立つ。この感覚は前にも経験したから分かる。
これは、こいつは、人じゃなく――呪いと呼ばれる存在だ。
「困るよなあ。時間ギリギリだってのにさぁ」
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