『もういい……悟なんか大嫌い!』 その言葉を最後にとの通信が途絶えて、五条は深い溜息を吐いた。確かにそう言われても仕方のないことだけど――。 数日前、彼女とデートの約束をした。 最近は特に忙しかったこともあり、ふたりで過ごす時間もとれなかったことで、彼女に会えるのを五条も楽しみにしていた。 しかし突然入った出張。呪術師ならばよくあることで、はいつもそれなりに理解を示してくれていたけど、今回ばかりはそうもいかなかったらしい。 何故なら――デートの日は彼女の誕生日だったから。 (参ったよなぁ……どうすれば機嫌を直してくれることやら) 五条は溜息交じりでスマホをポケットへ突っ込むと、伊地知の待つ出立門へと歩いて行った。 この時はまだ、彼女も冷静になればきっと機嫌を直してくれるだろう、と五条も楽観視していた。 それが三日前のこと。 いつものように淡々と任務をこなしながら、に機嫌を直してもらう為、合間に何度も電話をかけてみた。だけど一度も彼女が出ることはなく。 五条も憂鬱な気分で東京へ戻ってきた。 初冬に入った東京の空は五条の気持ちを映したかのような鈍色で、どんよりとした雲が広がっている。 「五条さん、高専まで送りますか?」 同行していた補助監督の伊地知が、運転席へ乗り込みながら五条に訪ねてきた。一瞬考えたものの「いや、途中で降ろしてくれる?」と告げて、後部座席へ乗り込む。 「とりあえず渋谷まで行って」 「分かりました」 五条が渋谷へ行くのは彼女の為に用意したマンションへ寄る時だと、伊地知も長い付き合いで分かっている。何も聞かずブレーキを踏み込み、伊地知は渋谷まで車を走らせた。 五条はその間もスマホを手に何度か電話をかけたり、メッセージを送ったりしているのだが、彼女からは何のリアクションもない。 これは相当怒ってるな、と五条もだんだん心配になってきた。 ポケットには出張前に買っておいた誕生日のプレゼントが入っている。でもこの様子じゃ受け取ってはもらえないかもしれないな、とふと思う。 いつも五条の都合を優先してくれていたけれど、彼女もきっと寂しかったに違いない。 約束を何度ドタキャンしても、あの可愛らしい笑顔で「任務なんだし仕方ないよ」と言ってくれるので、つい甘えすぎていた部分が自分にもあったと五条も自覚している。 しかし呪術師として、任務だと言われれば行かない訳にもいかず、そこを理解してくれというのは我がままになるんだろうな、と五条は思った。 彼女は非術師なのだから、受け入れられない部分もきっとあるはずだ。 「五条さん、もう着きます」 彼女のマンションが見えてきたところで、伊地知が言った。 もうすぐ彼女に会えると思うと嬉しい反面、怖いという、およそ五条らしかぬ思いも過ぎる。 会いに行ったとしても、はたしてが会ってくれるのかどうかも分からなくなっていた。 そうこうしているうち、車がマンション前に到着し、五条はコートを羽織ると、伊地知に「お疲れさん」と声をかけて車を降りる。一瞬、伊地知の顏が驚きの表情を浮かべたが、五条は気づかず、車のドアを閉めた。 「お、お疲れ様でした」 伊地知もそう返したものの、いつもの五条らしかぬ労いに首を傾げつつ――怖くて突っ込めなかった――ひとり高専へ向けて帰って行った。 「よし……行くか」 普段の五条なら、伊地知の失礼な視線にツッコミを入れるところだが、今日ばかりは気もそぞろ。 軽く深呼吸をしながらマンションのエントランスへ入って行く。 このマンションはとふたりで過ごす為に五条が用意したものだが、セキュリティ面で不安のある場所に住んでいた彼女にここへ引っ越させたのは半年前。 今は少しずつ彼女の荷物が増えてきたところだった。 エレベーターで上がり、最上階で下りると、五条はもう一度だけ軽く深呼吸をした。 付き合いだしてからがこんなにも怒るのは初めてのことなので、やはりそこは緊張してしまう。 「ハァ……何て言って謝るかな」 ドアの前に立った五条は覚悟を決めると、アイマスクを外してサングラスへ変えてから、合鍵を使い中へと入った。 「ただいまー」 とりあえず、いつもの調子で声をかけてみる。 「?」 彼女の名前を呼びながら、まず確認したのが靴。それが玄関にあるかどうかだった。 しかし普段なら何足か出ているヒールが見当たらない。何か嫌な予感がする。 ここで六眼をしっかり活用していれば、きっと小さな異変に気付いたかもしれない。 でもこの時の五条は自分が思っているより遥かに動揺していた。 物理的なものでしか判断せず、靴がない=彼女はいない、と思い込んでしまった。 溜息を吐き、靴を脱いで上がると、まずは寝室を覗く。けれどカーテンの閉め切られた部屋に彼女の姿はない。 かろうじてホっとしたのは、まだ彼女の荷物があることだった。 (これで何もかもなくなってたら本気でヘコんでたかも……) 内心苦笑しながらも自分の荷物をそこへ置くと、今度はリビングへ足を向ける。 いつも名前を呼べば嬉しそうな笑顔で出迎えてくれる彼女が出てこないということは、きっと出かけてるんだろう。一応、今日戻るとメッセージを送ってはあるものの、まだ怒っているなら仕方のないことかもしれない。 それはそれで寂しいが、誕生日をひとりで過ごさせてしまったのだから、彼女の方が寂しかったに違いない。 五条は何度目かの溜息を吐きながら、リビングのドアを開けた。 この時、五条の心中は彼女に振られるかもしれない、という不安でいっぱいだった。 「ハッピーバースデー!悟!」 「うわ――ッ?!」 それはドアを開けた瞬間だった。パン、パンっという乾いた音と共に、五条の頭へ振って来た様々な色のメタルテープと紙吹雪。一瞬、呆気に取られて固まっていると、視界に愛しい彼女の顔が飛び込んできた。どうやらドアの付近でしゃがみながらクラッカーを鳴らしたようだ。 五条は目が点の状態で、しばらくの間目の前のの笑顔を見つめ続けた。 「えっと……悟?驚いた……ふりしてる?」 固まったまま、何のリアクションもしない五条を見て彼女も心配になったらしい。 背伸びをして五条の目の前で必死に手を振りながら、困ったように眉を下げている。その表情を見た五条の脳内で、かわいい……という通常運転のような思いが浮かんだ。そのおかげか、混乱した脳内も一気に状況を把握することが出来た。 「驚いた……というか、自分の間抜けさにも驚いたけど」 五条は苦笑交じりで自分の髪に絡みついたテープや紙吹雪を払う。 「え、ほんとに驚いてくれたんだ」 どうせ悟のことだから、そのよく見える眼ですぐバレると思ったのに、とは笑った。 確かに、あのケンカがなければ。いや、そのあとに彼女と連絡がとれなくなっていなければ。 或いは玄関に彼女の靴がなかろうと、隠れている彼女の存在に気付けたかもしれない。 でも色々な要素が加わり、五条の心に負担がかかっていたことで冷静さを失っていたからこそ、五条が入ってくるのを今か今かと待っていた彼女の存在を見落としていた。 今日が自分の誕生日だと忘れるくらい、この三日間はのことで頭がいっぱいだった。 「ごめんね、悟……電話もメッセージも無視しちゃって……」 「それもこれも……今日の為ってこと?」 「う、うん。実はね。私の誕生日の日に出張が決まったこと、ほんとは悟から聞く前に硝子ちゃんから教えてもらってたの」 「……は?マジ?」 まさかの説明に、五条はまたしても唖然としてしまった。 「前から悟の誕生日の時はサプライズにしたいって相談してたの。ほら、私の時は悟がいつもやってくれるでしょ?だから……。そしたら硝子ちゃんが"出張でドタキャンされたら怒ったふりして、連絡きても無視しろ"って……」 「え、硝子が?」 「その方があの五条でも騙すことできるしサプライズもバレないだろうって。半信半疑だったけど、まさか成功するとは思わなかったなー」 何とも嬉しそうな笑顔を見せるので、つい五条も笑顔になりかけた。しかし同期である家入の入れ知恵だったのかと思うと、そこはイラっとくる。 珍しくがあんなに怒ったのも、その後の無視も、全てが家入の悪だくみのせいだとは――。 今度会ったらマジでデコピン100回の刑だな、と心に誓う。 そしてこの何とも言えない苛立ちを癒してもらう為、彼女を抱き寄せ、強く強く抱きしめる。 今度こそ、本当に心から安堵の息を漏らした。 「さ、悟……?」 驚いたのか、ジタバタと暴れ出したを逃がさないよう、更に腕の力をこめる。 「ったく……僕がどれだけ心配したと思ってるの」 「え、ご……ごめん……」 「帰った時、がいなかったら……って何度不安になったと思う?」 「う……」 僅かに腕の力を緩めると、オタオタしながら顔を上げるに、五条は嫌味たっぷりの皮肉めいた笑みを向けた。 「これは嘘をついたお仕置きが必要だな」 「……えっ」 お仕置き、と言われた彼女は目に見えて怯えた顔をする。それが何とも可愛らしい。 「というのは冗談で……まずは誕生日プレゼントをもらおうかな」 言うや否や。五条はサングラスを外して放り投げると、その長い指を彼女の顎へかけて少しだけ持ち上げた。戸惑うように潤んだ瞳が揺れているの表情は、五条の欲を存分に煽ってくる。 しかし、そこで五条は思い出した。 彼女の誕生日を祝う方が、先だと。 「悟……?」 キスをされると覚悟をしていたは、五条が急に離れたことでゆっくりと目を開けた。 もしや気が変わってお仕置きされるのでは、と僅かに不安げだ。 しかし五条の手のひらに乗せられたものを見た瞬間、その大きな瞳をぱぁっと輝かせた。 「これ……」 「誕生日のプレゼント。オマエが前に欲しがってたやつ」 その一言で、プレゼントの箱を見つめていた瞳が五条へ向けられた。 彼女の欲しかったもの。それはふたりの繋がりを形にした――。 「わ……綺麗……」 お洒落なクリスタルの箱を開ければ、そこには光によって多彩な輝きを放つ大きなダイヤの指輪。 思わず見惚れて言葉を失っているの左手薬指へ、五条がゆっくりそれをはめていく。 「さ、悟……何か手が震えるよ……」 緊張してるのか、言葉通り彼女の細い指先がかすかに震えている。 「そういうとこも可愛くて僕は好きなんだけど」 五条が彼女の頬へキスを落としながら言えば、触れたそばからほんのりと赤く染まった。 以前、ふたりで出かけた際に通りかかった高級装飾店のショーウインドウに、一際目立つダイヤの指輪が飾られていた。 彼女がハッキリ欲しいと言ったわけではない。ただ、その輝きに見惚れている彼女へ「買ってあげようか?」と五条が言った時、は笑いながら首を振った。 ――いつか、悟が私と死ぬまで一緒にいたいって心から思えた時にくれたら嬉しいかなあ。 そうが冗談めかして言ったのを、五条は覚えていた。 「い、いいの?こんな高級なもの……」 「当たり前でしょ。心からと一緒にいたいと思ったからプレゼントに選んだんだよ」 「悟……ありがとう……」 の瞳にじわりと涙が滲み、五条は目尻にも口付けると「次は僕のプレゼントをもらおうかな」と微笑む。その一言で彼女の涙がすんっと引っ込んだようだ。 「ででで、でも料理とかケーキとか用意して――わっ」 あたふたとしながらダイニングテーブルに隠しておいた料理を指しただったが、突然ふわりと体が浮いて驚きの声を上げた。戸惑うように五条を見上げる瞳が、さっきとは別の意味で潤んでいるようだ。 美味しそうな料理も五条を誘惑してくるプレゼントのうちの一つではある。でも今はただの温もりに触れたい。 に「大嫌い」って言われて僕が不安に過ごした三日間の責任をとってもらわないとね――。 真っ赤に染まった彼女の耳に五条が静かに囁く。 「え、あ、あれはだって……っていうか、い、今……?」 「そう、今」 にっこりと微笑む五条だったが、美しい瞳は笑っていない。をそのまま寝室へ連行すると、ベッドへ優しく横たえた。 まさか帰って早々襲われると予想すらしていなかった。五条の性急さにはも抵抗する術がない。甘いキスで翻弄され、唇を解されるだけで息が乱れていく。 でも僅かに唇を放し、額をこつんとくっつけた五条が、「その前に……」と小さく呟いた。 「今後、例え本当にケンカになったとしても……」 「……ん?」 「"嫌い"とか"大嫌い"って言葉は言わないで。本気でしんどいから」 「え……」 「分かった?」 冗談ではなく、意外にも本気で言ってるらしい。 少し拗ねたように目を細める五条を見て、彼女は軽く吹き出すと「分かった……ごめんね、悟」と、今度は彼女からキスを返す。 そのあとは……ふたりに言葉は必要なかった。