ガラガラと派手な音を立てて瓦礫が崩れてきた時、わたしは「あ、死んだ」と思った。 「おーい、。死んでる?」 頭上からふざけた声色と台詞が落ちてきて、思わず「生きてるわっ」と叫んだら、ケラケラと楽しげな笑い声と共に、かろうじて出ていた手首をグイっと引っ張られた。 「うわ、、きったねー。砂利だらけじゃん、髪」 「誰のせいよ!アンタのせいよね?まだダメだって言ったのに"蒼"を使ったのだーれだっ!」 制服をパンパンはたいて砂埃を落としながら、ビシっと目の前の男を指させば、同級生の男――五条悟は丸いサングラスをかけ直して姿勢を正した。 「はい、僕です。二級呪霊が逃げようとしたので、ついつい手加減を忘れてしまいました。どーもすみませんでした」 「棒読みで謝るな」 90度の角度で頭を下げるふざけた同級生を睨みつつ、まぶされた砂利やら埃やらを払うように汚れた髪をクシャクシャ掻きまわすと、目の前にいた悟が「うわ、ぺっぺ」と舞う埃を手で払う仕草をした。 「あ~もう最低……やっぱり悟の任務なんか手伝わなきゃ良かった。っていうか手伝わなくても勝てたよね?わたし、いる?いらなかったよね。ここに来てわたし何もしてないんですけど、何でわざわざ指名したのかなー?五条さんちの悟くんは」 「え、何言ってんの。帳下ろしたのじゃん」 「そんなの補助監督で済む話じゃない。わたし、呪術師」 「今は補助監も人手不足だっていうからさー」 「は?何、じゃあ最初からわたしを補助監督扱いで誘ったわけ?最低」 忌々しいと吐き捨てながら、未だじゃりじゃりする髪を手櫛で梳かした。 そもそも悟と二人だけの呪術実習なんて、わたしには意味がない気がする。夜蛾先生も用があるなら今日は自習で良かったのではと思う。傑だって風邪で寝込んで休んでるわけだし。 「あーシャワー入りたい……」 「あ、おい……ケガは?」 「……今更?ちょっと擦りむいただけだよ」 自分でわたしを危険に晒したクセに、悟はらしくもなく心配そうな顔をしてみせる。 悟は「いいから見せてみ」と言って、わたしの手を引き寄せた。アッいう間に距離が縮まって、悟の指が煤けたわたしの頬を優しく拭っていく。 「あーあ。顔まで汚して」 「だから誰のせいで――」 「ごめん……」 「……」 何よ。いきなりそんな殊勝な顔しないでよ。怒りにくいじゃない。 そう軽く返したいのに、言葉が出てこなかった。悟の腕が、わたしの背中へ回ってぎゅっと抱きしめられたせいだ。 「……な、何?これ……何の冗談?」 「冗談だと思う、その根拠は」 「そ、れは……だって……いつも人のこと雑魚だの何だのバカにしてるじゃない……」 「それとこれとは別だと思うけど」 「……」 何で?どうしたの?悟、何か悪いものでも拾い食いした?あ、新手の嫌がらせでしょ。 思いつく限り、コイツの異変の理由を口にしてみたものの。悟は一向に腕を放してくれないし、わたしの言ったことを認めることもない。 ただ、この誰もいない廃墟の中で、悟の心音がわたしの鼓膜を揺さぶってくるだけだ。 高専に入学したその日、わたしと悟、傑と硝子の四人は出会った。 何故、同じ歳の中にあんな優秀な術師がいるんだと嘆きたくなるくらい三人は優秀で、普通の一般家庭で育ったわたしはあっという間に置いてかれた。早々に一級昇格した術師としては優等生の三人、逆に万年二級止まりの落ちこぼれがわたしだ。 でもそんな格差があってもわたし達は仲が良かった。 口が悪くてデリカシーの欠片もない悟と、物腰は柔らかいけど地味に辛辣な傑。そしてどこか達観してるクールビューティの硝子。 性格も個性もバラバラなのに、むしろそれが良かったのか、何だかんだとケンカしながらどこに行くにも一緒で、わたしはそれが心地よかった。 でもその関係が少し変化したのは一カ月前。風邪をこじらせてダウンしたわたしを看病してくれてた傑から「私はが好きなんだ」と告白された。突然の告白に驚いたけど、高熱に苦しめられて心が弱っていたのかもしれない。 少し逡巡した後で、わたしは傑の気持ちを受け入れた。 呪術師なんてやっていたら、明日にでも死ぬかもしれないから、生きている内に恋愛をして青い春を謳歌したくなったんだと思う。 傑のことは歌姫先輩や硝子ちゃんとクズだなんだとからかうこともあったけど、本質は優しい人だと知っていたから、きっと男としても好きになれると思った。 授業や任務のない天気のいい休日には手を繋いでデートをしたり、部屋で寛ぐ時はキスをしたりもするけど、他はこれまでと変わらない。卒業しても、わたし達四人はずっと一緒だと信じて疑わなかった。 なのに今、その関係性を壊そうとしてるのが悟だなんて――なんて皮肉なんだろう。 「何でよりによって傑なんだよ……」 「……え?」 「他に知り合った男とかいんだろ。祓徐に行った先の男に口説かれたとか言ってたじゃん。あと硝子と渋谷でナンパされたとも言ってたし――」 「ちょ、ちょっと……何の話……?」 本気で分からなくて、胸に押しつけられていた顔を上げると、五条もわたしを見下ろしていた。でもサングラスが邪魔で悟の表情は見えない。見せて欲しい、と思った。 「他の雑魚みたいな男だったら、なんぼでも俺が蹴散らして奪い取れるって話だよ」 「……は?」 「でも傑はダメだろ。アイツからオマエを奪うなんて出来っこねえし」 「悟……?」 奪い取るって……誰を?わたしを? いったい悟は何を言いだすんだと言葉を失った。だって、それって――。 「なあ……何で傑なんだよ」 悟はもう一度訊いてきた。 「看病……してくれたから」 「あ?」 「高熱だして寝込んだ時……」 「は……オマエ……そんなことで――」 「そんなことじゃないよ。悟はあの時、バカにしただけじゃない。風邪菌に負けた雑魚だって笑ったでしょ」 「……まだ根に持ってたんか」 違う、そうじゃない。だけど、あの時ちょっとだけ寂しかった。心細かったし、苦しかったし、誰かにそばにいて欲しかった。優しく手を握って欲しかった。意味もなく人恋しいとか、そんな時もあるんだよ。そういう時に優しくされたら、気持ちが絆されることもある。 悟はちっとも分かってない。無神経で、意地悪で、残酷。 別に看病して欲しかったわけじゃなくて、少しでいいから気にかけて欲しかっただけ。大丈夫かって、ちょっと心配そうな顔で言って欲しかっただけだ。でも悟はバカにして笑うだけで、ああ、これは本当に脈なしなんだなって、思ってしまったから――。 なのに何で今頃そんなこと言うの。何で優しくしたりするの。 さっき、本当はそう言いたかった。 ずっと押し殺してた本音を一気にまくしたてて、最後に「バカ」と付け足したら、悟のかけてたサングラスがズレてムッとしたように細められた綺麗な瞳が見えた。 「バカはオマエだろ。もっと早く言えよ、そういうことは」 「……言えるわけないでしょ。悟がわたしのこと好きじゃないなら気まずくなるだけだもん」 「……好きだよ」 「な……」 「俺もオマエが好きだ」 「……今更だよ」 そう、悟の気持ちが今頃分かったところで、わたしは傑と付き合ってる。この事実は変えられない。 「自分で言ったんじゃない。傑からは奪えないって」 「そう……だな」 悟はそう呟いて、わたしの目尻に浮かんだ涙を指で拭った。 だけど悟は本当にバカだ。それでも、奪うって言ってくれたらわたしだって覚悟を決めたのに。 「でも俺の気持ちは変わらないし、もう変えられねーから」 本当に勝手な男だと呆れたけど「泣くなよ……」と言いながらわたしの濡れた頬を両手で包むから。つい自然と目を瞑ってしまった。 悟が身を屈めて触れるだけのキスを落とす。この瞬間、わたしと悟は共犯者になった。 「好きだ……」 キスの合間にその言葉を繰り返す。傑とは違う熱を受け止めながら、合間に「わたしも悟が好き……」としてはいけない告白をした。悟の手がわたしの髪を撫でていく。汚れるの嫌いなくせに、こういう時は気にせずキスしてくれるんだ、と頭の隅で思った。 それが嬉しいと感じた時点で、わたしも最低だ。 わたしを包んでいる悟の体温も、くちびるに触れる湿った熱も、知ってしまったら――もう後戻りなんて出来るわけがないのに。