
五条くんと再会した今夜は、都会にしては珍しく夜空に星の絨毯が出来上がっている。細かい光がチカチカとおぼろげに点滅している様子は、こんな地上にいるわたしの目でも見ることが出来た。
一緒に星空を見上げながらも、五条くんは時折どこか遠くを見ているような、そんな顔をしていて。
今、彼が何を思いながらわたしとの時間を過ごしてるんだろう、と少しだけ気になった。
「そういや……もう大丈夫みたいだな」
「……え?」
不意に口を開いた五条くんの声で、ふと我に返る。隣りに座る彼へ視線を向けると、五条くんもまた、わたしを見ていた。
「オマエ、もう変なもん憑かなくなっただろ」
「え、分かんないけど……ほんとに?」
「ああ。しばらく俺が一緒だったからなんかな。会わなくなる少し前からそんな感じしてたけど、さっき会った時も何も憑いてなくてホッとした」
「そっか……良かった。少し気になってたの。でも自分じゃ何も感じないから忘れてた」
「いい度胸してるよ、オマエは」
少し呆れたように笑う五条くんに、わたしもつられて笑う。
ところどころに別れたワードが入る今のわたし達は、やっぱり昔とあまり変わらないようでいて全然違う。前よりも少し距離を置いて話す五条くんや、今現在の話を二人で共有すら出来ないことに気づくたび、それを思い知らされる。
でも嫌いになって別れたわけじゃないから、それだけは違うから、あの頃の記憶が蘇るたびに、わたしの胸は切なさで潰れそうになるくらい苦しい。
この先、また別の人と付き合ったとしても、胸の奥に燻っている小さな炎が完全に消えることはない。
「五条くん、そろそろ帰らなくていいの?おばさん、待ってるんじゃない?」
「ああ……別にババァが待ってんのは放置でいいけど、オマエも帰り遅くなるもんな」
五条くんはブランコから立ち上がると、わたしの方へ振り向いて「送るよ」と微笑んだ。
「え、い、いいよ、そんな……。せっかく帰省したんだし早く家に帰ってあげて」
「いーんだよ。どうせ帰ったってババァの下らない話に付き合わされるだけだし。ほら、行くぞ」
サッサと公園を出て行く五条くんに驚いて慌てて追いかける。こんな風に送ってもらうのも一年半ぶりだ。
「一応、も女だし夜道に一人は危ねぇからな」
「何よ、一応って。これでも昔よりは女っぽくなったねって言われるんだから」
「……あ?誰に」
五条くんに追いついて隣を歩きながら強がるわたしを、彼は顔をしかめながら見下ろした。
「だ、誰って……お」
「お?」
「……お母さん」
「ぶははっ!だっせー!親かよ」
「そ、そんな笑わなくたって!」
相変らずデリカシーがないと思いつつも、わたしは五条くんのそういう自然な姿が好きだった。
五条くんが前に話してくれた通り、少し人に対して冷たいと思われるようなところも、彼のせいではなく育った環境が特殊過ぎるのだ。
そして五条くんがそんな特殊な環境で生きている人でなければ、きっとわたし達が別れを決断することはなかったかもしれない。
この想いを、例えば全て燃え尽きるまでは貫けたかもしれないのに――。

初めてのキスを交わした日から、二人で帰った日やデートをした帰りは五条くんが家の前まで送ってくれるようになった。それに加えて別れ際には必ず「お休み」のキスをしてくれる。
最初の方こそ照れ臭そうにしていた彼も、今はかなり自然に唇を寄せてくるようになって、逆にわたしの方が毎回照れてしまう。
この日も、また映画デートをした帰りに家まで送ってもらった。
いつも「じゃあ、また連絡するね」とわたしが言った後で、少し乱暴に腕を引っ張られて抱きしめられる。五条くんのその強引さが、まだ帰したくないと言ってくれてるようで、わたしは好きだった。
抱きしめられて、彼の長い指先が顎をそっともち上げることで上を向かされる。そこへ降ってくる五条くんの唇が、わたしの唇に触れる瞬間が好きだ。
一番ドキドキして、数えきれないほどの"好き"が溢れてくる、この瞬間が。
最初は遠慮がちな、掠る程度に優しく触れてくるだけ。でも角度を変えて重なる唇が、次第に啄むようなキスへと変わって、全身が熱くなってくる頃には腰を抱き寄せられる。
その腕の強さが五条くんに求められてる証のような気がして、更にドキドキが加速していく。
「……ん、」
不思議なもので、何度かキスを交わすようになると自然と舌が相手を求めるよう勝手に動くようになった。でもそれが何なのかは分からなくて、途中で気づいて恥ずかしくなる。
五条くんも同じなのか、キスをしている合間に、彼の舌がわたしの唇を掠めていくことがあった。
その瞬間、敏感な唇から甘い刺激がじんわりと広がっていくような気がして、鼓動が速くなってしまう。
「……、口あけて」
「……え」
触れ合っていた唇を僅かに話した五条くんが、掠れた声で呟いた時、何を言われてるのか分からなかった。コツンと額がくっつき、視線だけを上げれば、五条くんの蒼い瞳がゆらゆらと揺れている。どこか熱っぽい視線にドキリと心臓が鳴った。
「口、あけて……」
「う、うん……」
再び唇を近づけてくるから口を少しだけ開けると、ぬるりとしたものが口内へ侵入してきた。驚いた拍子に肩が小さく跳ねる。
初めて受け入れた他人の舌が、自分の口内でゆるゆると動き回るのがとても卑猥な行為のような気がして、一気に頬が熱くなった。遠慮がちに絡められた舌先を軽く吸われ、くちゅりという音が鼓膜を刺激してくる。
自宅前でこんな行為をしている背徳感に加えて、あまりの恥ずかしさで思わず五条くんの胸元にしがみついてしまった。
「ん、」
五条くんの舌が出て行くのを感じた時、ちゅっと音を立てながら離れた彼の唇は、すぐに頬や顎にも触れてくる。そのまま五条くんはわたしの肩の方へ屈むように顔を下げて行くと、今度は髪を避けて露わになった耳や首筋へと口付けた。
「……ひゃ」
人に触れられたことのない部分に口付けられ、そのくすぐったくも甘い刺激に、今度こそ全身が跳ねる。五条くんがそのまま首筋へ強く吸いついてきて、くすぐったさと同時にチクリとした痛みが走った。
「ん、五条……くん?」
「あーヤバイ……」
「え……?」
五条くんはそのままわたしの肩越しに顔を埋めると小さく息を吐いた。首元に彼の暖かい吐息がかかってゾクリとしたものを感じる。やけに自分の身体が敏感になってる気がした。
「ヤ、ヤバイって……?」
「これ以上、に触れてたら俺、暴走しそうでヤバイ……」
「……暴走?」
何が?と思っていると、五条くんはゆっくりと顔を上げてわたしの頬へちゅっと口づけた。
「このままだと押し倒しちゃいそうってこと。まあ……外だからしねーけど」
「……えっ?」
「……んな驚くなよ。仕方ねーじゃん。好きな子にキスしてたら男はムラムラしてくる生き物なんだって」
「む、むらむらって……」
あからさまな表現に顏の熱が一気に上昇していく。そういう男の子の性は知識として知ってるけど、実際にぶつけられたのは初めてだ。恥ずかしさで全身が硬直してしまった。
「つー事で、これ以上一緒にいるとマジでヤバイから、このまま大人しく帰るわ」
「で、でも外だからしないって今……」
「いや、それは物理的に出来ないってだけで、この状態だとオッパイくらいは触っちゃいそうだし」
「オッ……なな何言ってんのっ?五条くんのエッチ……!」
顏から火が出るかと思うくらいに血液が一気に顔へと集中した。慌てて五条くんから離れると、彼は「そこまであからさまに逃げられると傷つくんですけど」と苦笑している。
「それに男なんてエッチでスケベな生き物なんだよ」
「何か開き直ってる……」
「いやいや、事実だからな?」
ジトっとした目で睨むと、五条くんは笑いながら肩を竦めた。経験のないわたしには、だいぶ刺激の強い会話だと思う。
「まあ……俺としては今すぐと色々したいとこだけど――」
「い、い……ろっ?」
いきなりそんな大胆な事を言うから、わたしの心臓が騒々しいくらいに激しく動いている。キスから始まってずっと酷使しているせいか、そろそろ息苦しくなってきた。
「はまだ覚悟も出来ねーだろうから、もう少し我慢してやるよ」
「が、我慢……?」
「ああ、でも――」
と五条くんは上半身を屈めると、わたしの顏の前でニッコリ微笑んだ。
「卒業後は何もしないって保証は出来ねーから、そん時までには覚悟決めておいてよ」
「――ッ」
またしても、さらりと大胆なことを言う五条くんに、わたしの心臓も限界だった。
卒業後、五条くんに襲われるかもしれない。
そう思うだけで変な汗が出るし、感情がグチャグチャで、やっぱり顔は火照っていた。
「んじゃーそういうことで。ちゃんと暖かくして寝ろよ。あ、お休みメールも忘れずに」
わたしの頭をくしゃりと撫でた後、最後にもう一度、軽く唇へキスをすると、五条くんは手を振りながら家路についた。心を乱すだけ乱して、あっさりと帰っていく五条くんを見送りながら、本当はさっき少しだけ触れて欲しい、なんて思ってしまったことを思い出す。
もし、万が一。わたしがそういうことをするなら、相手はやっぱり五条くんしかいない。ううん、絶対に五条くんがいい。触れられるだけで、そこが心臓になったみたいに血液が集中して全身が熱くなるくらい、五条くんのことが好きだから。
初恋の人が初めての相手だなんて、幸せ過ぎると思った。
「はあ……卒業後……」
ふと脳内で自分と五条くんが裸で抱き合う場面を想像したあと、慌てて打ち消した。
経験もないわたしが想像するものではなかったようだ。
「ダ、ダメだ……心臓がバクバクで死ぬかも……」
フラつく足取りで家のドアを開ける。
その時、不意に誰かの視線を感じて後ろを振り返った。
「……誰も、いない?」
かすかに人の気配というか、視線を感じた気がしたのにそこには誰もいない。おかしいな、とは思ったけど、寒かったわたしはすぐに家の中へと入る。
だけど、五条くんとの約束は卒業後も叶えられることはなかった。
卒業式前に、わたしと五条くんは別れることを決めたからだ。

――悪い!あと10分で着く!
五条くんからのメールを確認して、わたしは首を窄めながら公園のベンチに座った。
今日は朝から仕事だったらしく、学校が終わったあとで五条くんとはこの公園で待ち合わせをしたのだ。
「……さぶ」
二月下旬とはいえ、まだまだ北風が冷たい時期だ。しっかりマフラーを巻きなおし、ポケットに手を突っ込んだ。
それでも好きな人をこうして待つのは楽しい。五条くんは寒いから家で待ってて、と言ってくれたけど、一度家に帰ってしまうとこの時間では出かけにくくなる。
彼氏できたの?なんて、最近は母親から詮索されているのも理由の一つだ。別に隠さなくてもいいとは思うけど、絶対家に連れて来いと言われるに違いない。そういうのはやっぱり照れ臭いのと、五条くんの家は近所だから当然母親も"大きなお屋敷の五条さん"は知っている。そこの息子だとバレたら更に根掘り葉掘り聞かれることは目に見えていた。
「はあ……でもそのうち紹介しなくちゃなぁ」
五条くんも何度か家に誘ってくれたことはあったけど、わたしはまだあのお屋敷と呼んでもおかしくないほどの立派な門をくぐる勇気はなかった。
話に聞けば五条くんの母親は意外と能天気で気を遣う必要はないとのことだった。だけど一般庶民のわたしからすれば、歴史と格式のある家と言われたら、やっぱり普通に友達の家へ行く、という感覚にはなれないのだ。
(これがドラマとかだとウチの息子と別れて下さい!なんて言われそうなくらい、歴史がある家みたいだしなぁ)
なんてバカなことを考えてると、五条くんが到着するまで残り五分を切っていた。
そろそろかな、と思いながら、いつも彼が来る方角を見る。
わたしが覚えているのはここまでだった。
この時、背後から何かを嗅がされたわたしは、一瞬で意識を失った。

次に目を覚ました時、わたしは見たこともない部屋に寝かされていた。
かすかにお香の香りが鼻腔を刺激して、ゆっくり目を開ける。ぼやけた視界を彷徨わせると、わたしが寝かされていたのは広い和室で、布団の傍にはグラスと水差しが置いてある。
わたしはその和室の真ん中に敷かれたフカフカの布団に寝かされているようだった。
「ここ……どこ……?」
さっきまで公園にいたはずなのに、と思いながら、白昼夢でも見てるのかと目を擦りながら体を起こした。
異変にすぐ気づいたのは、自分がコートを着たままの姿で布団に寝かされていたからだった。
「え、何で……っていうか、これ夢じゃない?」
辺りを見渡しても人のいる気配がない。ただ頭のところに自分の鞄が置いてあるのを見て、慌ててコートのポケットからケータイを取り出した。五条くんから何か連絡が入ってないかと思ったのだ。
その時、大きな声が部屋の外から聞こえて来た。
「――って何でそーなるんだよ!アイツは俺が守る!」
「……悟!!待ちなさいっ」
この声は五条くんだ、とホっとしたのもつかの間。突然、目の前の襖が開いて、五条くん、そして後ろから和服姿の綺麗な女性が入って来た。
「……気づいたのか」
「ご、五条くん、あの、わたしどうして――」
と、そこまで言った瞬間、五条くんに強く抱きしめられて驚いた。彼と一緒に入ってきた和服の女性もまた、驚いたように目を見開いている。
「やだわ、悟ってば……見せつけないでちょうだい」
「……うるせぇな。二人にしてくれ」
五条くんの言葉に、その女性は深く息を吐くと「少しだけよ?お父様も待ってるんだから」と言って静かに襖を閉めた。
「あ、あの……五条……くん?」
「悪い……」
「え……?」
「のこと……守れなかった」
「……何のこと?」
ゆっくりと体を離した五条くんを見上げると、彼の瞳はどこか悲しげに揺れていて、そんな顔をはこれまで見たことがなかった。
「五条くん……?」
「はさっき……公園でさらわれたんだよ。呪詛師の奴らに」
「え、さ、さらわれたって……何?じゅそ……?」
「きちんと説明する」
五条くんは真剣な顔で座ると、わたしの身に起きたことを全て話してくれた。
公園で五条くんを待っている時、"呪詛師"と呼ばれる術師が、わたしをさらったようだ。
五条くんみたいに人を助ける側の呪術師じゃなく、人に害をなす悪い術師のことらしい。
呪詛師と呼ばれるような人達は子供の頃から五条くんの命を狙っていて、五条くん本人を殺せないからと、彼女であるわたしを人質にして彼を殺そうと企んだ。
公園にわたしがいなかったことで、焦る五条くんのケータイに「彼女をさらった」と、わたしのケータイから電話がかかってきたという。五条くんは言われるがまま指定された場所へ向かった。
その場所には徒党を組んだ呪詛師が五人ほどいたみたいだけど、それでも五条くん一人に敵わなかった。どうやったのかは知らないけど、彼は全員を返り討ちにし、薬を嗅がされ眠っていたわたしを助けてくれたそうだ。
因みにここは彼の家らしい。眠っていたわたしには一切の記憶がなく、そんな話をされても「まさか」としか言えなかった。
けれど、その後に五条くんが言った言葉に驚いた。
「オヤジに……オマエと別れろって言われた」
「……え?」
「俺がの傍にいれば、また同じことが起こる。だから別れろって……」
「嘘、だよね……?」
まさかそんな、さっき想像してたバカみたいな話が現実になるなんて、とわたしは笑ってしまった。五条くんも「嘘だって。信じた?」なんて言ってすぐに笑ってくれる。そう信じたかった。
でも五条くんだけはいつまでも真剣な顔で、ただ悔しそうに目を伏せている。彼のその表情を見ていたら、今聞いた話は全て本当なんだと、わたしもやっと理解した。
「や、やだ……。別れるなんて……ねえ、五条く――」
「俺だって別れたくねぇよ……!けど……オヤジが言ってることも間違ってねーんだよ……」
「五条くん……」
彼は辛そうに息を吐き出すと、不意にわたしの頬へ手を伸ばした。その手の冷たさに、ドキっとする。
「一口に呪詛師つっても今日の奴らだけじゃない。まだ他にも俺の存在を疎ましく思ってる奴らはいる。そういう奴らがまたを狙わない、とは……言えねえし、保証も出来ない」
「……っ」
五条くんはその特異な力のせいで、幼い頃からそういった類の人間に命を狙われて来たと言った。
「迂闊だった……俺本人を狙って来るヤツはどうとでも出来る。だけど……俺のせいでを危険な目に合わせた……ごめんな」
「だ、大丈夫だよ、わたしは……ほ、ほら、ケガもしてないし!それに五条くんが傍にいれば平気でしょ?」
別れたくない。別れたくなんかない。
嫌だ。こんなことで、当人同士の問題でもなく、そんな卑怯な奴らのせいで別れなきゃいけないなんて、そんなの絶対に――。
「俺が守るって……言いたい。けど卒業したら俺はここを離れる。今まで通りには会えなくなるし傍にだっていてやれな――」
「やだ……!わたしなら平気だから……そんな奴ら怖くなんか――」
「ダメなんだよ!今日はたまたま無事だったけど、もっと手荒なことをする奴らだっている!俺を殺す為ならどんなことをする奴だって」
「五条くん……」
守るなんてオヤジに言ったけど、結局ずっと傍にいてやれない俺には無理だって気づいた。だからオマエを守る方法は、一つしか思いつかない。
五条くんはそう言ってた気がする。あまりに的確過ぎて、わたしには何も言う資格なんてなくて。
嫌だって言いたいのに、もうそんな我がままを言える状況ではないんだと、思い知らされた。
その後、五条くんのお母さんがわたしのところへ来て、泣きながら謝ってくれた。
「悟の大切にしてる子を危険な目に合わせたくないの。ごめんなさいね……」
凄い家の奥様なのに、中学生のわたしなんかに頭を下げてくれた。
五条くんはいつも「ババァ」なんて悪態ついてたけど、凄く素敵なお母さんだった。
わたしは泣くことしか出来なくて、五条くんと会えなくなるのが怖くて、ただ震えてただけ。
その後は五条家の人が家まで送ってくれて、最後は五条くんと話すことも叶わなかった。
まだ暫くは安心できない、と五条家の術師の人達がわたしの警護をしてくれることになって、おかげで何事もなく学校に通えたけど、それ以来、五条くんは一度も学校に来ることはなく。
クラスメートに色々聞かれたけど、遠くの高校に行くからだよ、としか説明できなかった。
五条くんに会いたくてあの公園にも通ったけど、一度も彼は姿を見せることはなかったし、でもわたしが誰かに襲われることもなかった。
きっと陰で守ってくれてる人達が傍にいたんだと思う。
一週間経って、二週間経って、少しずつ五条くんと付き合う前の自分の生活に戻して行った。
お互い好きなのに、何故別れを選択しなきゃいけないんだ、という悔しさは、あの日からずっと心の奥に残ったまま……わたしは卒業式を迎えることになった。
「さん、五条くんってば卒業式にも顔出さないの?」
「あ、うん……もう学校の寮に入ってるみたいで」
「そーなんだー。じゃあさんも寂しいね」
クラスメートの子達はそんなことを言いながら、今度は入学する高校の話を始めた。でもわたしは主のいない机を眺めながら、五条くんは今どこで何をしてるんだろうと考えていた。
クラスの人に別れたことは話さなかった。
理由を尋ねられても困るし、わたし自身、未だにどこか現実味のない話で、うまく説明できる気がしなかったからだ。
どうせ今日で卒業してしまえば、高校の違う人達とは会う機会もなくなる。
(最後に五条くんと一緒に卒業したかったな……)
卒業式には一緒に写真を撮りたいね、なんて他愛もない約束を交わした。
五条くんは恥ずかしいなんて言って渋ってたけど、でも最後は折れて「仕方ねぇなー」と苦笑いしながらもOKしてくれた。
そんな小さな約束でさえ、愛しさを連れてくる。
「……会いたい」
五条くんの笑顔を思い出すたび、死ぬほど会いたくなる。
「……誰にぃ?」
「――ッ」
唐突に頭上から降り注いだ声を聞いて、弾かれたように振り返る。でもわたしが声をかける前に、クラスメート達が「あれー?五条くんじゃん!」と声を上げた。
「今日、来ないんじゃなかったのー?」
「卒業式くらいは顔出すよ。なぁ?」
「あー五条くんってばさんに会いたかっただけでしょ!」
「あーバレたー?」
クラスメートにからかわれて、いつものように応えてる五条くんを、わたしはただ茫然としたまま見つめていた。
「ど、どうして……?」
隣の席に座った五条くんを見ていると、ついそんな言葉が零れ落ちる。五条くんはもう、この学校には来ないんだと思ってた。
「どうしてって……今、アイツらに言ったけど?」
「……え?」
「に会いたかったから最大の我がまま言って、卒業式だけはOKが出た」
「五条くん……」
「久しぶりだな、。元気だった?」
前と変わらない調子で笑顔を見せる五条くんに、目頭が一気に熱くなる。こんな不意打ちは辛いけど、やっぱり嬉しいから。
「まだ式の前だぞ。泣くの早くね?」
「う、うん……そう、だね」
慌てて零れた涙をハンカチで拭こうとしたら、五条くんの手が伸びて、骨ばった指がわたしの濡れた頬に触れる。前なら当たり前のように感じていた五条くんの体温が、今は凄く懐かしく思えて、また涙が溢れた。
「そんな泣くなって……」
「だ、だって……五条くんのせいだもん……」
「……俺かよ」
苦笑しながら頭をクシャリと撫でてくれる彼の大きな手が、わたしは大好きだった。
もう会えないと思っていたから、最後に五条くんの顏が見れて幸せだった。
この先、もう会うことすら叶わなくても、この日の思い出があれば生きていける。
本気で、そう思った。
それから卒業式に出て、卒業証書を受け取って、五条くんと校門のところで約束通り写真を撮った。
わたしは泣いてばかりだったから目が充血してて凄くブスに映っていたけど、隣でわたしの肩を抱く五条くんも、本当は泣きそうな顔をしてたんだね。
後で写真を見て、気づいたよ。
最後はやっぱり一緒に帰って、あの公園でさよならをした。
嫌いあって別れたわけじゃないから、またいつかどこかで会っても、普通に話せるねって言ったら、五条くんは「が知らない男と歩いてたら無視すっけどな」なんて言ってきた。
わたしだって五条くんが知らない女の子と歩いてたら、きっと同じことをすると思うから、それは笑うしかなかった。
あの時はきっと五条くん以上に好きな人なんて出来ないと思っていたから、他の誰かと付き合う自分なんて想像すら出来なかったし、でも少しずつ新しい環境に慣れて、他の人と付き合ったりもしたけど、やっぱりその気持ちは変わらなかった。
他の人を好きになろうとしたのは、ただ寂しさを埋めたかっただけで、悲しい過去を上書きしたかっただけ。
五条くん以外の人なら、誰だって同じだと思ってたから。
忘れたいと思うけど、忘れられなくて。あんなに切なくなるような恋なんか、二度と出来ないと思う。
心が燃えるような、熱いくらいの想いは他の誰にも向けられない。
「じゃーな、。元気で」
「うん。五条くんもね」
「変な霊に憑かれたら、また俺が祓いに来てやるよ。金額増し増しで」
「お金取るのかよ」
五条くんの口調を真似して言い返したら彼は楽しそうに笑って、そして最後にわたしを抱きしめた。その腕の強さが、まだ同じ想いなんだと言われてる気がして胸の奥を軋ませる。
「オマエが好きだ……今も、きっとこれからも」
「……うん。わたしもだよ。五条くんのことずっと好きだよ」
「いつか――」
と、五条くんは言いかけた言葉を飲み込んで「いや」と首を振った。
そして最後に触れるだけの優しいキスを唇にひとつ。
それで本当に、わたし達の初恋は終わりを告げた。

「やっぱコッチの方が断然あっちーな」
不意に五条くんが言った言葉にハッと我に返った。
頭の中はあの別れた寒い日を思い出していたから、現実に戻った途端、蒸し暑さで息苦しさを感じる。
「でもお盆が過ぎれば涼しくなるよ」
「まーなー。でも今度は寒くなんだよなー。高専のある場所ってコッチより3℃くらい気温低いし」
「え、そうなんだ!どんだけ田舎なの?」
「うるせーよ」
五条くんは笑いながら昔のようにわたしの頭をぐりぐりと揺さぶる。この大きな手に触れられるのが大好きだったのを思い出した。
「はい、到着」
「あ……うん」
気づけばわたしの家の前で、五条くんは笑顔で振り向いた。でも何となく「じゃあ」という言葉が口に出せずにいた。
あの別れの日以来、初めて五条くんに会えたから、少し欲が出てしまったのかもしれない。
「入らねーの?」
「え?あ……は、入るけど……」
帰りたくない、と、そう思ってしまった。
その時――ふと五条くんに昔言われた言葉を思い出す。
"まだ帰りたくないの。五条くん♡って言ったら俺、ヤバいかも"
あの頃は恥ずかしくて言えなかった。
デートをした帰り際、何度も帰りたくないって思ってたのに、一度も言えたことがなかった。
「……?どうした?」
黙ったままのわたしを見て、五条くんが顔を覗きこんでくる。
綺麗な瞳が近づいてくるのを見ていたわたしは、不意に決心をして、顔を上げて、五条くんを真っすぐに見上げた。勇気を振り絞って。
「まだ……帰りたくないの、五条くん」
「……え?」
このまま、どこかへさらって欲しい――。
そう言葉を続けたいのに、口を開く前に何故か涙が零れ落ちた。五条くんは酷く驚いた顔でわたしを見下ろしている。
「……?」
「全然……ダメだよ……」
「え?」
「五条くんとの思い出が大きすぎて……全然消えてくれない……」
付き合っていたのはほんの短い間だったのに、彼との思い出がどうしたら消えてくれるのか分からない。
他の人と付き合って忘れたつもりになっても、ふとした瞬間に思い出す。寂しいと思ったこんな夜に、何で五条くんに会えちゃうんだろう。
神様はズルい。わたしから五条くんを奪っておいて、なのに今日また会わせるなんて。
ずっと会えないままだったなら、いつか思い出すら遠い過去になっていったかもしれないのに。
「……」
泣いてるわたしの頭に、彼はそっと手を置いた。
もう遅い、とか、俺は忘れたとか……そんなことを言われるんだと思った。
「あと一年半、待てる?」
「……え?」
何を言われてるのか一瞬分からなくてゆっくり顔を上げると、いつの間にか五条くんはサングラスを外していた。綺麗な碧い輝きは、あの頃のまま少しも変わっていない。
わたしを見つめる、その優しい眼差しも。
「オマエが……高校卒業するまでの間、俺も待ってるから」
「五条……くん?」
「散々返り討ちにしてきたことと、俺が高専に入ったことで最近は呪詛師の襲撃もなくなった。でも今は……まだ心配だから傍にいてやることはできない。だけど……が高校卒業して、社会人になったら……」
「な、なったら……?」
五条くんはふと笑みを浮かべて、わたしの瞳に溢れた涙を指で拭った。
「俺と一緒に住まねえ?」
「え……?」
「あと一年半、俺は待てる自信しかねぇけど……は?」
何を言ってるんだろう。これは夢?と、そう思った。
だけど、頬に触れてくる五条くんの体温は、これが現実だと伝えてくる。
「ま、待てる……わたしも待てる自信しかない」
そう言ったわたしに、五条くんはあの頃と同じような優しい笑顔を見せてくれた。
わたしが大好きだった、彼の笑顔だ。
その笑顔に見惚れていると、不意に腕を引き寄せられ、奪うように抱きしめられた。
昔と変わらない力強い腕を背中に感じながら、これが夢なら覚めないで欲しい、なんてベタなことを思った。
額に唇を押し付けられ、そこから熱が生まれる。目尻、頬、と下りてくる五条くんの唇が、わたしの唇へ触れそうになった時、彼が「あ」と小さく声を上げた。
「その前に……今の男ときっちり別れて来いよ?」
「……え」
目を細めて不機嫌そうな顔をする五条くんに、わたしは思わず吹き出してしまった。
「何笑ってんだよ……ちゃっかり彼氏なんか作りやがって、マジ腹立つ」
「だ、だって……五条くんとはもうダメだって思ってたし……わたしなりに過去を忘れようと必死だったんだもん……」
「はあ?俺は今日会わなくてもオマエが高校卒業したら迎えに来るつもりだったんだけど?」
「……えっ?嘘……」
「チッ。やっぱ俺だけかよ……ヨリ戻す気満々だったの」
「そ、そんなの言ってくれなきゃ分かんないじゃない……!」
「あ?俺、最後に言ったよなぁ?オマエが好きだって。今も、きっとこれからもって、そこまで言ったし」
「そ、それは――」
「それにだって涙目で五条くんのことずっと好きだよ……なーんつってたくせに、他に男なんか作って、薄情な女だよ、ったく」
「な……だ、だって、それは初恋の思い出として言ってくれてるのかと――」
と、そこまで言って言葉を切った。
家の前でこんなに大騒ぎをしていたら親が出てきてしまう。
恐る恐る五条くんを見上げると、彼は未だ不機嫌そうな顔でわたしを見ていた。
「で……ソイツとはどこまでしたわけ?」
「……え?」
「あ、オマエ、まさか処女やったとか言わねえよな?!」
「ちょ、な、何言ってんのよ、こんなとこでっ!あげるわけないでしょ?あんなクズ男に!」
「クズって……ひでえな、オマエ。一応、ソイツにやる為にケーキ焼いたくらいは好きだったんじゃねえのかよ」
五条くんが手に持っているケーキの箱を持ち上げる。それを言われると何も言えなくなるけど、でも五条くんが怒るほど好きだったわけじゃない。
「また人を好きになれるのか知りたかっただけだよ……。もしかしたら過去の悲しい恋を上書きしてくれるかもって……寂しいから傍にいる人に縋っただけ。五条くんの言う通り、薄情な女でしょ?」
「いや、俺以外の男にならどんだけ薄情でも許す」
「……何、それ」
その言い草にちょっと笑うと、五条くんは「笑い事じゃねーから」と口を尖らせた。
「は俺のもんなのに、一時でも他の男がオマエのこと、"俺の彼女"って言ってたんだと思うとムカつく」
五条くんは仏頂面でプイっと顔を背けながら、そんなことをボヤいている。でもわたしが彼の立場だったなら、きっと同じことを思うはずだ。
五条くんがわたしじゃない子と付き合ってて、その子が五条くんのことを"私の彼氏"なんて言ってるのを想像するだけで――ムカつく。
「彼とは……ハッキリ別れる。もうきっと向こうもそう思ってると思うけど」
「あーそれ、会わなくていいから、電話かメールで済ませろよ?」
「……わ、分かった」
「何、笑ってんだよ、テメェ」
「五条くん、更に口が悪くなったんじゃない……?」
怖い顔で睨んでくる五条くんに苦笑交じりで言えば、彼は悪かったな、と言いながらもわたしを抱きしめた。言葉とは裏腹に、抱く腕は凄く優しい。
「またしばらく会えなくなるけど……俺は浮気もしねーし、オマエもすんなよ……?」
「……するわけないでしょ」
前より嫉妬深くなった五条くんの言葉に笑いながら顔を上げると、熱を孕んだ瞳と視線がぶつかる。五条くんは今度こそゆっくり身を屈めると、昔のようにわたしの唇へ甘いキスを落とした。
触れるだけのキスから、次第に深まる唇の熱に、五条くんと別れてからずっと燻っていた小さな火が今、燎原の火の如く、鮮やかに心に広がる。