
「この公園、懐かしいな」
ふと五条くんが呟いた。
ここは過去に二人で想いを告げ合った場所だ。そして二人が初めて――。
一瞬、当時のときめきが蘇ったように感じて、僅かに鼓動が跳ねる。それを誤魔化すように、無感情に、ただ相槌を打った。
「あとオマエが襲われたのもここだった」
「い、嫌なこと思い出させないでよ……」
顔をしかめて睨むと五条くんは楽しそうに声を上げて笑った。こうしていると、まるで当時の二人に戻ったかのような錯覚さえしてしまう。
お互いに初めての恋愛も同然だったから、色んなことに不器用だった。でも、逆にその不器用さがまた、愛しさを募らせたこともあった。
「お、このケーキ、うまっ!」
「え、ちょ、ちょっと!手が汚れるってばっ」
ケーキのクリームを指で掬って一口舐めてる五条くんに、つい呆れながらも笑ってしまった。甘い物に目がないところはちっとも変わってない。
昔もこんな風にわたしが焼いたケーキを美味しそうに食べてくれた。
「はい。ウェットティッシュで拭いて」
「お、さんきゅー!相変わらず気が利くイイ女じゃん」
「な、何、それ。嫌味?」
「は?嫌味じゃねーよ。本心から言ってる」
五条くんは笑いながら、でも少しだけ寂しそうな表情をしている。彼のこの顔は前にも見たことがあった。
私たちが別れることを決めた、あの日と同じ顔だ――。

それは予想以上に気まずい気持ちが襲ってきた。
五条くんと告白をしあった次の日。わたしは中村さんと大林さんのところへ昨日頼まれた件の報告をしに行った。
最初はどう伝えようか散々迷った。
"五条くんに彼女がいるかどうか聞いて欲しい――。"
そう頼まれたけど、実際に"彼女"になってしまったわたしの口から何と言えばいいんだろう。
正直に言おうか。それとも"彼女がいる"と事実だけを伝えようか。
そのどちらかを選ぶかで頭を抱えた結果。わたしは事実だけを言う決心をした。
そもそも昨日、頼まれ事をした時点でわたしが自分の気持ちを二人に伝える義務もないし、わざわざ言う方がおかしい。彼女達もあの時点で「五条くんが好き」とは言ってないわけだし、あそこでわたしが言う必要性はなかった。
だからあの対応でも致し方ないと言える。
そして――予想外のことが起きてしまったのだから、またそれも報告しなくちゃいけないということもない、はず。
彼女たちからの頼み事は"彼女がいるかどうか"なんだから、そこだけ伝えればいいのだ。
さすがに昨日の今日で、"彼女はわたしです――!"なんて言えるほど、図太くはない。
そう、それに五条くんは本来、殆ど学校には来ないんだし、付き合うことになったところで学校の皆にはバレないはずだ。
……という答えを導き出したわたしは、早速二人に「五条くん、彼女がいるみたい」とだけ伝えた。
中村さんは「そっかぁ。まあ、そうだとは思ってたけどね」と目に見えて落ち込んだ様子は見せなかった。言葉通り、本当にいるだろうな、くらいの諦めはあったらしい。
最後はわたしに「ありがとね」とだけ言って教室へ戻って行くのを眺めながら、そんな深い感じでもなかったのかなと少しホっとする。
五条くんはあの外見に加えて滅多に学校には来ないから、今じゃ芸能人みたいな感覚で女の子達が見ている。
気になるけど現実には遠い存在……といった目で見ていたのはわたしも同じだ。
「はあ……これで心の枷が外れた……」
好きな人から好きだと言われて浮かれていたのもつかの間。二人にどう報告したらいいんだろう、と昨夜は一人で悶々としていた。本当なら両想いになれた喜びの余韻に浸りたかったな、とは思う。
それでもやるべきことは終わったから、さっきよりは軽い足取りで教室へと歩いて行く。
「五時間目って何だっけ……」
気持ちはすっかり午後の授業へ向いていて、準備をしなきゃと急いで自分の教室へ入った。
「お帰り~」
「……ッ?」
中へ入った途端、呼ばれ慣れない下の名前を呼ばれて固まる。同時にわたしの席の隣りに、いつもの如くどっかり腰を掛けている人物を見た瞬間、考えるより先につい浮かんだ言葉が口から洩れた。
「え、何で?」
「あ?何でって何だよ」
五条くんは、怪訝そうな顔でサングラスをズラして見上げてくるけど、来ないと思っていた相手が教室にいるのだから、驚くのは当たり前だ。以前の五条くんは続けて登校してくることがなかったし、昨日は確か家の仕事があると言っていた。
「え、だって今日は家の仕事があるから休むと思うって言ってなかったっけ」
「ああ、それ。思ったよりも簡単だったから午前中で終わらせてソッコーで帰って来た」
「め、珍しいね。途中から来るなんて……」
登校しても途中で仕事が入ったからって早退することはあれど、こんな終わり頃に来たのは初めてだ。不思議に思いつつも、一応の事情が分かったことで席に着く。でもふと先ほど名前で呼ばれたことを思い出した。
「っていうかさっき名前で呼ばなかった……?」
「呼んだけど……悪ぃかよ……」
「わ、悪くないけど……みんなが変に思うよ」
「別にいいじゃん。周りのヤツにどう思われようと」
あっけらかんと言い放つ五条くんに少し驚いて黙っていると、彼は「何だよ」と口を尖らせる。
「な、何でもない……」
そう応えて次の授業の準備に入る。さっきはまだ教室もザワザワしていて誰にも聞こえてなかったようだけど、視線だけはコッチに集中しているのだ。
五条くんが学校に来るとだいたいこうなるのは分かってるけど、昨日までとは違う。何がって、わたしの心情がだ。
ただのクラスメートとして話すのと、彼氏として話すのは明らかに空気が変わる。
五条くんは「変なヤツ……」とボヤきながらも机に両手を投げ出し、突っ伏した格好でわたしの顔を覗き込んできた。
「なあ……」
「え?」
「今日、学校終わったらどっか行かねえ?」
「……え、どっかって――」
「が行きたい場所」
「わたし……?」
驚いて聞き返すと、少し照れくさそうに反らされる視線。
「他に誰がいんだよ……」
輝きを放つ碧い瞳が、かすかに細められているのがサングラスの隙間から見える。何で急に不機嫌そうな顔をするのか分からなかった。
「でも……五条くん、忙しいんでしょ?家の事情で」
「だーから終わらせて来たつってんだろ。今日はもう暇なんだよ」
「そっか……だから学校に来たんだもんね」
「って、別に暇だから来たってわけじゃねぇけど……」
「え、じゃあ……」
「いーから、どっか行きたいとこ考えとけよ」
その時、先生が教室に入って来て、五条くんはそう言い放つとわたしの額を軽く小突いてきた。
ドキッとしつつも「分かった」とだけ応えてノートを広げる。隣では五条くんが早速寝に入る体勢になっていた。
寝るくらいなら家に帰って寝た方が絶対に疲れは取れるのに、なんて思いながら、行きたい場所を考えてみる。
そして――気づいた。
学校帰り、一緒にどこかへ行く=デートなのでは!ということに。鈍いにもほどがある。
(え、五条くんってば、だからわざわざ最後の授業だったのに学校に来たのかな……。わたしとデートする為に……?)
そう考えるだけでジワジワと色んな感情がこみ上げてくる。きっと今、わたしの頬は赤いに違いない。五条くんが寝ててくれて良かった、と思うくらいに。
そうか、だから少し不機嫌だったんだ。わたしが全然気づかないから。
恋愛初心者のわたしにはその辺がよく分かっていなかった。
ただ、付き合うって具体的に何をどうすればいいんだろう、と考えた時、最初に思いつくのはデートだ。
(そっか……だから行きたい場所を聞いてくれたんだ)
隣りに視線を向ければ、五条くんは机に顔を突っ伏したまま堂々と寝ている。その姿にふと笑みが零れた。
家の仕事が忙しいクセに、疲れているクセに、わたしとデートをする為だけに学校に来てくれた。
五条くんのその気持ちが凄く、凄く嬉しかった。
(鈍くてごめんね……)
隣りで寝ている五条くんの寝顔を見ながら、心の中でそう呟く。ハッキリ言って、この日の授業の内容は全然頭に入ってこなかった。

「あの警察とのカーチェイスは凄かったよね!あれってスタントマンが運転してるのかな。凄いテクニックだったし」
「あーうん。だな……ふぁぁぁ……」
「……」
映画を観てきた帰り道、感想を話すわたしと、それに相槌を打ちながら合間に欠伸をする五条くん。
この様子じゃ五条くんは殆ど寝ていたんだろうな、とだんだん分かってきた。
帰りにどこか行こうと誘われて、色々考えたあげく、わたしはベタな映画デートを提案した。
呆れられるかなとも思ったけど、五条くんも意外とノリノリで「何観る?」から始まり、色々探した結果、二人ともアクション物が好きだと分かって、今月公開したばかりのカーチェイスが売りだという映画を観ることにした。
元の作品はフランスで作られたものだけど、今日見たのはその映画のアメリカ版だ。
元の映画よりはアメリカ版の方が聞き慣れた英語というのもあって、わたしはかなり楽しめた。
五条くんも最初は楽しんで観てたけど、途中から静かだったことを思えば、後半は殆ど夢の中だったに違いない。
やっぱり朝早くから家の仕事をしてきて疲れてたんだろう。
むしろ疲れてるのに、わたしとの時間を作ろうと学校に来てくれた事実が嬉しかった。
「大丈夫?五条くん、眠そう」
「あ~悪ぃ……。ちょっと寝不足かも」
「え、夕べ寝られなかったの?」
そういうわたしも夕べはアレコレ考えていたから少し寝不足ではある。だけどデートに誘われたことですっかり睡魔が飛んでしまった。
「いや、まあ……寝られなかったような……寝たような……?」
「何よ、それ」
その曖昧な言葉に思わず笑うと、五条くんは困り顔で頭を掻いている。
「何つーか……オマエの気持ちが分かって夕べは少し浮かれ過ぎた……かも」
「……え?」
意外な言葉を聞いた気がして顔を上げると、少し照れ臭そうな仏頂面の五条くんと目が合う。
「……嬉しかったから」
「……五条くん」
普段はかなり飄々としてるクセに。わたしの気持ちが自分にあると知って浮かれてくれるくらい、五条くんはわたしのことを想っていてくれたんだろうか。
そんなの、こっちの台詞なのに。
気づけば家の近くまで戻って来ていた。もうすっかり日は暮れて一気に気温も下がってくる。なのにまだ帰りたくない、なんて、少女漫画の一コマに出てきそうな思いが湧いてきた。やっぱり、ああいう感情って実際に芽生えるものなんだと変に感心してしまう。もう少し一緒にいたいという気持ちは、確かに恋心から生まれるんだと。
だけど五条くんは疲れてるし、我がままは言えない。
「あ、あの、五条く――」
「」
「え?」
ほぼ同時に話しかけたことで一瞬、互いに顔を見合わせた。
「えっと……何?」
「いや……オマエこそ何だよ」
「え、っとね、今日は……ありがとう。凄く楽しかった」
もうすぐあの公園。そしてその先にはお互いの家に向かう分かれ道がある。そろそろデートの時間も終わりだと、そう思ったから言った言葉だった。
でも五条くんは僅かに顔をしかめたように見えた。彼が小さく息を吐くと、それが冷たい空気で白に変わる。
「……オマエ、帰ろうとしてる?」
「え?だって……」
「……まだ一緒にいたいって思ってるの俺だけかよ」
「……」
その言葉と表情はズルい。五条くんはスネたようにプイっと顔を反らしてしまった。
わたしの心音を乱すだけ乱して、盛大に溜息なんかついてる。帰りたくないのはわたしも同じなのに。
「五条くん……」
「……何」
「わたしもほんとはまだ帰りたくないよ」
「……嘘つけ」
「ほんと。でも五条くん疲れてると思ったから我がまま言えないと思って……」
恥ずかしいのを我慢して正直に自分の思ったことを伝えると、彼はやっとわたしの方を見てくれた。
心なしか、表情がさっきよりも和らいだ気がする。五条くんが些細なことで不貞腐れたりする人だったなんて思わなかったし、わたしにそんな顔を見せてくれるのが凄く不思議だった。
「何で?」
「え?」
「何で我がまま言えねーの?」
「何でって……」
「俺、になら我がまま言われたいけど」
「……っ」
さっきまでスネてた人とは思えないほど、優しい顔でそんなことを言われて、思わず顔が熱くなる。五条くんはツンデレの王子様かもしれない。
そのギャップをこの短時間に見せられたら、だいたいの女の子はキュン死すると思う。
「が可愛く、まだ帰りたくないの、五条くん♡って言ったら、俺、ヤバイかも」
「な、何それ……そんな恥ずかしい台詞言えないってば」
「え、言えよ」
今度はいきなりツンにシフト変更してきた五条くんに、わたしの心臓が壊れないか心配になった。
「あ、言いながら抱きついてきてもいーからね?」
「だ、抱きつけるわけないでしょ……!」
楽しげに笑いながらふざけた事を言ってくる。でも公園の前まで歩いて来た時、五条くんの歩く速度が急に遅くなった。
追いついて隣に並ぶと、五条くんは不意にわたしを見下ろした。サングラスのせいで、彼の綺麗な瞳は殆ど見えない。
「、明日も……時間ある?」
「え?あ、うん……ある、けど……」
「俺、明日は家の仕事……?遅くなるから学校には顔出せねーんだけどさ。帰ってきたらケータイに電話するから……そのあとに会える?」
「う、うん。待ってる」
あまりに優しい声で訊いて来るから、さっきからドキドキが止まらない。明日も会いたいって思ってくれただけでも、わたしは死ぬほど嬉しかった。
だけど、一つだけ疑問がある。五条くんはどうしてわたしのことをここまで好きになってくれたんだろう。
そこだけは本当に分からない。
自分で言うのもなんだけど、わたしは特に人より際立ってるわけでもないし、言ってみれば普通の人間だと思う。
お菓子作りは得意だけど、そんなの何のメリットにもならない。
逆に五条くんは超絶イケメンで高身長に加えて家柄もいい。何もかも普通のわたしとは真逆の世界にいる人だと思う。
だから余計に五条くんはわたしのどこを好きになってくれたんだろうって思ってしまうのだ。
「じゃあ……あんま引き留めてに風邪でも引かれちゃ困るし、そろそろ帰るか」
「そっちこそ寒いんじゃないの?」
鼻を啜っている五条くんを見上げて笑うと、彼も「あながち間違ってない」と苦笑する。
「んじゃ……また明日な」
「うん、また明日」
互いの家に続く分かれ道の前で、わたしと五条くんは言葉を交わして家路についた。途中、何度か振り返ってくれるのが嬉しくて、軽く手を振る。それに気づいた五条くんも、手こそ振らなかったけど片手をあげてくれて。
そんな些細なことが、わたしは幸せだと感じた。
付き合って一日目――。
手を繋ぐことすらなかった彼との初デートは、こうして終わりを告げた。

五条くんと付き合いだして一か月になろうとしていた。
忙しい五条くんもなるべく会う時間を作ってくれてるし、来れる時は学校にも来てくれる。
でもそんなことをしていたらアッという間に噂が広まって、クラスメートや例の中村さん達にもわたしと五条くんの関係が知れるところとなった。
中村さんには「彼女ってさんのことだったんだ」と嫌味を言われたし、廊下ですれ違えば「早く別れてよねー」と言われて笑われる。事情は説明して謝ったけど、彼女達の怒りは収まらなかった。
それに彼女たち以外でも五条くんのファンは学校中にいるから、いちいち教室までわたしを見に来たりする人も増えた。
「えー?あの女?噂より可愛くないじゃん」
「五条くんに遊ばれてるだけじゃない?あの程度ならいっぱいいるって」
わざわざ聞こえるようにそんなことを言い捨てて行く人もいる。正直キツイと思うけど、それより五条くんの傍にいられることの方が大切だと思った。
「気にしないでいいよ。あんなのただの僻みじゃん」
と、クラスで仲のいい子達は逆に応援してくれるようになったのは嬉しかった。
「自分達は五条くんに話しかけられもしなかったんだから文句言えるような立場じゃないでしょ」
なんて言って笑い飛ばしてくれる。でもそんな話が五条くんの耳にも入ってしまって、彼が一度、わたしに意地悪をしてきた人たちを怒鳴ったこともあった。
「俺達のこと何かオマエらに関係あんの?ねえよなぁ?二度とに関わるな。何かしたら許さねえから」
他の生徒の前でそう言ってくれた時は、本気で泣きそうになったし、何ならトイレで少しだけ泣いた。
普段からカッコいい五条くんが更にカッコよく見えて、また好きが増えた気がした。
そんなこともあって、付き合いだして一ヶ月目にはわたしと五条くんの仲はすっかり公認になっていた。
「はい。これチョコ代わりに焼いたの。バレンタインケーキ」
「……え、マジ?」
朝、教室で顔を合わせた瞬間、ラッピングしたケーキの箱を渡すと、五条くんは見たこともないような顔で驚いている。
今日は仕事もなく朝から学校に来れると聞いて頑張って焼いたのだ。
「ほんとは帰りとか二人の時に渡そうと思ったんだけど、この箱じゃ目立つしサプライズも出来ないから今あげちゃう」
「お、おう……さんきゅ。ってかホール?すげぇじゃん、」
五条くんは箱の中身を見て更に驚いたようだ。それでも嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
普段から五条くんは甘い物が好きで、一緒にカフェに行ってもケーキを食べていたのを見て、今回チョコじゃ物足りないし、とこれを思いついたのだ。
「良かったらご家族の方と食べて」
「は?やらねーし。俺一人で食うわ」
五条くんはそう言いながら、いきなり指でクリームを掬ってそれを舐めている。
「うまっ。え、このクリームもが作ったのかよ」
「うん。気に入ったなら良かった。これは初挑戦だったから」
「へえ。ありがとう。手作りケーキ貰ったの初めてだし感動した」
「大げさだよ」
と言いながらも、ここまで喜んでもらえると頑張って焼いた甲斐があったなと思う。
その時、クラスメートから「良かったねー五条くん」とか「あんま見せつけんなよー」なんて声が飛んでくる。
五条くんもそんな野次に「妬くな、妬くな」と楽しげに笑っていた。
のおかげで五条くんに声かけやすくなった、とこの前クラスメート達から言われたけど、それもやっぱり嬉しかった。
学校に殆ど来なかった五条くんは、どこかやっぱり浮いていて、あのイケメンぶりに男子からも敬遠されてたけど、今は普通にバカ話をして盛り上がるくらいには打ち解けている。
でもやっとクラスがいい雰囲気になって来たところなのに、もうすぐ卒業しなくちゃいけないのが少し寂しい。
「五条くんはその……特殊な専門学校に行くのが決まってるんでしょ?」
学校帰り、一緒に帰ってあの公園に立ち寄ったわたし達は、いつものようにベンチに座ってお喋りをしていた。
でも進学の話になり、五条くんが普通の高校には行かないことを思い出してしまったのだ。
「ん?あーまあ。呪術師はだいたいその学校だな」
「……そっかぁ」
付き合いだしてすぐ、五条くんは家のことを簡単に説明してくれた。
そういうのに疎いわたしはあまりよく分からなかったけど、五条くんが人の役に立つことをしているのは確かなようだ。
怖がりなわたしを気遣って、彼は自分のやってる仕事の内容は殆ど話さないけど、多分、結構危ないことなんだと思う。
「同じ高校に行きたかったな……」
「……そんなに俺と一緒にいたいんだ」
「……そりゃ……」
人が真剣に悩んでるのに、五条くんはニヤニヤしながらわたしの顔を覗き込んでくる。こういう時の五条くんはちょっとだけ憎たらしい。
「だって……その学校、ちょっと遠いって言ってたじゃない」
「あーまあ……遠いっちゃ遠いな。でも同じ東京都だし何も海外留学に行くわけじゃねぇから、今まで通りって訳には行かなくても会えるよ、ちゃんと」
ポンとわたしの頭に手を乗せてグリグリしながら優しい笑顔をくれる。そんな五条くんを見てると、やっぱり同じ高校に行けないことが無性に寂しく感じた。
「は近所の高校だっけ」
「うん。まあ、私の頭じゃそこが限界でして」
「お、自分のこと、よく分かってんじゃん」
「む……どーせ五条くんみたいに頭よくありませんよ!」
いつものようにからかってくる五条くんから顔を背ければ、彼は笑いながら「そんな怒んなって」と腕を引っ張ってくる。
それでも無視していると、五条くんは「マジで怒ったの……?」と訊いてくる。
本当はとっくに許してる。というか最初から怒ってなんかいない。
わたしが怒ったふりをすると、普段じゃあまり見られない五条くんが見られるから、それが嬉しいのだ。
「おい、……?」
五条くんは困ったように頭を掻きながらわたしの顔を覗き込んできたけど敢えてそっちを見ないようにする。すると今度は掴んだままの腕を少しだけ自分の方へ引き寄せた。
「あんなことくらいで怒んなよ……冗談だろ?」
「……ぷっ」
「ぷ?」
もう少し粘ろうかと思ったけど限界だった。小さく吹き出すと、五条くんは「あっ」と声を上げて今度こそわたしを自分の方へ向かせた。
「おま……わざとかよっ」
「ご、ごめん…。五条くん本気で困ってるから、つい」
「……」
今度は自分がからかわれたと気づいた五条くんは口を大きく開けてガックリと項垂れてしまった。
「ごめんね?」
「ったく……」
五条くんは小さく息を吐くと、サングラスを外してベンチの背もたれに頭を乗せて夜空を仰いだ。
「マジ、焦った……」
「そ、そんなに?あんなことで怒らないってば」
そういうこと彼はあまり気にしないような性格だと思ってた。
五条くんは暫く夜空を見上げていたけど、ふと頭を起こしてわたしを見つめた。二人きりの時にだけ見せてくれるその宝石の如く輝いた瞳は何度見たって幻想的だ。
「わかんねーじゃん。人が何に本気で怒るかなんて」
「え……?」
五条くんが真剣な顔で言ってくるからドキっとした。
こんな彼は見たことがない。どこか言いにくそうに視線を逸らす五条くんに、今度はわたしが不安になってくる。
この時、わたしは彼のことを知っているようで、本当は何も知らないんじゃないかという思いがこみ上げてきた。
「……俺、昔から何でも器用に出来る方で……だから人のこと知らないうちに傷つけちまうことあるからさ」
「……傷つける?」
「何の気なしに言った一言とか余計な一言とか言っちまうことあるんだよ。だから今ものこと傷つけたかなって焦った」
「五条くん……」
「五条って家に生まれて六眼なんてもん勝手に授かって。まあ、それはそれで強くあれるからいいんだけど、その代わりに失ったもん結構あるんだよな」
そう言った五条くんは少しだけ寂しそうだった。わたしは何でも出来る五条くんが羨ましいって思っていたけど、何でも出来るからと言って幸せとは限らない。
心の話を、彼はしているんだと思った。
「でも……わたしは五条くんの言葉では傷つかないよ……?」
「……え?」
「だからそんな心配しないでね」
五条くんはふと笑みを浮かべると、「うん」と優しい眼差しを私に向けた。
「だから俺はを好きになった」
「……え?」
「は覚えてないかもしれないけどな」
「それって、どういう意味?」
何を言ってるのか分からず、そう尋ねると、五条くんは苦笑しながらわたしを見つめた。
「俺、ほんと性格悪くてさ。弱いヤツってどうでもいいって思ってるような人間なんだよ」
「……弱いヤツ?」
「俺のいる呪術界での話だけど、は非術師って呼ばれる対象で、俺ら術師が守る側になるんだ。ぶっちゃければ、そういう弱い人間を守りながら戦わなきゃならないのが面倒だって本気で思ってる」
「戦う……って……何と?」
「呪霊って呼ばれる……まあバケモンだな。まあ、とにかくそういうバケモンを祓うのが俺の家の仕事であって、だから学校の奴らとかもハッキリ言って守る対象になるから最初からそういう目で見てた。態度にも多分……だしてた」
五条くんはそこまで話すと軽く息を吐いた。
「と最初に会った時も俺そういう態度したんだ。低級霊に憑かれてるオマエ見て、コイツこんな雑魚に憑かれても抗う力すらねーんだなって」
「あ……前に祓ってくれたやつ?」
「いや、あれの前。これ言うと怖がると思って言ってなかったけど……、結構そういうのに憑かれやすい体質みたいだな」
「えっ?嘘……」
「今は大丈夫だって。俺が傍にいるから」
五条くんは笑いながらわたしの頭を軽く撫でた。その優しい瞳を見てると、そんな風に思っていたようには見えない。
「んで、こっそり祓ってはいたんだけど、会うたび違うのくっついてるし、だんだん心配になって来てさ」
「……え、そ、そんなに?」
「体調悪かったり、それがなかなか治らなかったりした時あったろ?そういう時はだいたい憑いてたな、オマエ」
「……」
それを聞いて血の気が引いた。わたしは本当にその手の話は苦手なのだ。
五条くんは「んな顏すんなって」と、そっとわたしの頬へ触れるから、不意に感じた彼の体温にドキっとする。
「で……気にしてのこと見てたんだけど、オマエは全然気づかねーし、俺が嫌な態度しようが暴言吐こうが、いつも笑顔で挨拶して来たろ。おはようって」
「え、そうだっけ……。っていうか五条くんって確かに最初はちょっと怖かったけど、いつもわたしの体調聞いてきてたでしょ?具合どうだ?って。だから口は悪いけど本質は優しい人なんだって……思ってた」
「激しく誤解したな、それ」
五条くんは苦笑いを零しながら「でも……途中から本気で心配してる自分に気づいてさ」と言った。
「学校に行ってない時も、アイツ大丈夫か?とか気になるようになってた。だから行ける時は学校にも行くようにした」
「えっ?五条くんが学校に来るようになったのって……」
「まあ……のため、かな……」
照れ臭そうに視線を反らしながら呟く五条くんの頬がかすかに赤い。
そしてわたしは自分が原因だったことに驚いていた。そう言えば来るたび、五条くんに体調を聞かれてた気がする。
だからわたしは五条くんが気になりだして、そしていつの間にか本当に好きになった。
「そう、だったんだ……知らなかった」
「が鈍くて良かったよ」
「に、鈍いって……」
「出来ればオマエに会ったところからやり直したいくらいだけどな、俺は」
「え、何で……?」
「そうしたら……きっと優しくする」
「五条くん……」
「俺、が"おはよう"って声かけてくれるの好きだった。どんなに素っ気ない態度しても次に会うとは必ず笑顔で俺におはようって声かけてくれるから」
「それは……だって……」
話すキッカケが欲しかったんだよ。わたしも五条くんともっと話がしたかったから。
「……だから、のこと、好きだって思った」
五条くんの優しい声が耳に届いた時。僅かに屈んだ五条くんの唇がわたしのと重なった。
それはほんの少し、触れるだけの。
手すら繋いだことのない、わたし達の初めてのキスだった。