純粋なる善は呪わしき悪③




 「全く手こずらせおって……忌々しい獣どもめ」

 激しい息遣いと共に、舌打ちが聞こえた気がした。すでに手足の感覚はない。術式を解いたせいで、今はもう風一つ、操ることが出来ない。再び力を使えば、あの子達が戻って来てしまうからだ。
 わたしを守る為に集まった動物たちを、ここから逃がすだけで精一杯だった。これ以上、あの子達を傷つけられたくはない。

 「現状……公での死刑は停止中なれど、おぞましい形で我が一族を裏切ったオマエには、死を以て償うことこそ、相応しい罰なのだ」

 この平安の世。死刑は"死穢しえ"を生み、天皇や宮中を穢すと考えられていた。"死"は民の恐怖の対象であり、亡骸に触れれば他者へ伝染する、或いは恨みを残した死者たちの怨霊が、この世に厄災を呼ぶと信じられている。けれど、呪術師にそういった概念はない。当然だ。生まれてくるのは絵巻に描かれているような怨霊などではなく、人々の恐れが生み出した、実体のない呪いなのだから。
 そして、呪術師からは呪霊が生まれないことを、呪術師だけが知っている。
 蹲るわたしの前に立つ兄は、呪具の刀をこちらへ向けた。今のわたしに抗う力などない。すでに兄の術式で全身が焼け爛れている。
 家直伝、火焔かえんを操る術式を極めた兄には、わたしの力など到底かなわない。
 わたしには一切、受け継がれなかった術式だ。

「せ、せめて母上に一目だけ……」

 わたしはここで死ぬだろう。ならば、せめて文をくれた母に一目会いたかった。けれど、それを聞いた兄は鼻で笑い、項垂れたわたしの顎を指で持ち上げた。血で滲む視界に、哀れみの表情を浮かべた兄が映る。

 「仕方ない。冥土の土産に教えてやろう。母上はオマエを心配して文を書いたのではないぞ。あれは私が仕込んだ大嘘だ。オマエをおびき出す為のな」

 視界が揺らいだと同時に、兄の冷笑が鼓膜を揺らした。自分の愚かさに気づき、信じたかすかな希望も、母への情も打ち砕かれる。

「死ぬがいい。愚かな妹よ」
 
 兄は当然のようにその言葉を口にし、不肖の妹の首をあっさりと斬り落とした、らしい。兄が刀の扱いに長けていたおかげか、幸いなことに痛みは感じなかった。

「……宿儺……さ、ま……」
 
 人は首を落とされても声は出るらしい。目もかすかながら見えるようだ。わたしを見下ろす兄の、穢れを諫めるような目つきが、ぼんやりと視界の端に映る。
 けれど、最期にわたしの目が映したのは、淡く照らす温かい炎のような眼差し。
 唯一、わたしを人に戻してくれたあの方の、皮肉めいた、けれど、慈愛を宿したまなこだった。

 このすぐあとに、家、いや、都全てが塵になることなど知らぬまま、わたしの意識は深い深い闇へと沈んでいった。

 

 




そもそも何故、このようなことになったのか。それは健康だけが取り柄のわたしが、謎の病にかかったことから始まっていた。

 数刻前——。

 
「申し訳ございません。感冒ごときでお世話をかけてしまい……」

 床に入りながら傍で薬膳の用意をしてくれている裏梅さまに声をかけると、大きな瞳がぎろりと動いてこちらを睨む。ついでに深い息を吐かれた。呆れられているようだ。

「いちいち謝るなと言ったのを忘れたのか」

 裏梅さまは体調を崩したことではなく、わたしが何度も同じ言葉を繰り返すことに呆れたらしい。その綺麗なお顔を歪めたまま、薬を煎じた粥をわたしへ差し出した。上体を起こしてそれを受けとると、ツンとした薬独特の香りが鼻腔を刺激してくる。

「ありがとう御座います……」
「細かいことは気に病まず、それを食して大人しく寝ていろ。大食いのオマエには物足りない食事だろうが、今は体力をつけることが一番。そうすれば2~3日で治ると医者が言ってたからな」
「……は、はい」
「私は宿儺さまの様子を見てくる。は食事が済んだら、きちんと寝ておけ」

 裏梅さまはそう告げると足早に部屋を出て行く。この時刻、食事を終えた宿儺さまは必ず湯浴みをされるから、きっと準備に忙しいんだろう。その合間を縫ってわたしの世話までしてくれている裏梅さまに感謝をしつつ。心の中で申し訳ありません、と呟いたのは、今から己のする行為が宿儺さまや裏梅さまの優しさを無下にすることだと思ったからだ。

「おえ、不味い……」

 煎じて頂いた薬と煮込まれた粥を一気に口へ流し込み、その苦さと不味さに自然と顔がしかめっ面になる。良薬は口に苦し、と言うけれど、まさに本当だと妙に納得しながら、わたしは空になったお椀を枕元へ置いた。そして敷布団の下に隠してあるふみを取り出す。これはわたしを診てくれたお医者さまから、こっそりと渡されたものだ。

 ——この文はあなたの母君から頼まれたものに御座います。どうか宿儺さまや側近の方にはご内密に……私の命が危ういので。

 怪訝そうにしたわたしを見て、お医者さまは畳に頭を擦りつけながら説明してくれた。
 松治まつはると名乗った彼は、家とも付き合いがあると話し、万さまに頼まれてここへ来ることになった際、わたしの両親にもその旨を伝えたという。そこで母から娘に、と密かに文を預かったのだと。

 ——お母さまはあなたが生きておられることを知り、ものすごく驚いたと同時に、今現在において体調を崩されていることを知って心配し、心を痛めておいででした。

 その話を聞いた時は酷く驚いた。わたしが生きていることは姉から聞かされたんだろうけど、あの母がわたしの身を案じているなどあり得ない、と。
 物心ついた時から、わたしの傍に母と呼べる人はいなかった。顔を合わせても常に父の陰に隠れ、父の顔色を窺い、わたしには哀れみにも似た視線を向けてくるだけ。父や兄弟たちに「オマエはいらない子だった」と詰られるわたしを庇うことは一度もなく、ひたすら末っ子の存在を見ないようにしていた気がする。
 
 わたしを身ごもったことへの、そして不要な子を産まなければならなかった母の後悔を、子供ながらに感じていた。その母が、娘の生存に憤りを感じているならまだしも、身を案じているなど、とても信じられない。
 けれど……内容に目を通した時、そんな思いが一瞬で揺らいでしまった。文には確かに母の字で、わたしを心配している旨が書き綴られていて。最後に「生かされたのなら一度戻って来なさい」という一文があったせいだ。今、わたしが置かれている現状ならば、家に顔を見せるくらいは許されるのではないか、と。
 母がそう考えたのは、都へお使いに出た際、わたしが姉に遭遇したからだろう。
 ひとりで外へ出歩くことが出来るのなら、家にも顔を見せに来て欲しい——。
 そんな文章で締めくくられていた文を読み終えた時、心に燻っていた迷いが消え、母と会って話したいと思ってしまった。それはわたしの中にまだ、産んでくれた母にだけでも愛されたい……という愚かな願望が残っていたからかもしれない。
 母から優しくされている兄や姉が羨ましい、とひっそり泣いていた幼き頃の自分を思い出した。

(宿儺さまは今から湯浴みをされる……いつも長風呂になるし、その間は裏梅さまもここへ来る暇はない。少しの間なら気づかれないはず)

 幸いなことに薬が効いているのか、初日のような吐き気や気だるさは消えている。都にある生家へ行くくらいの体力はあった。

「申し訳ありません……宿儺さま……裏梅さま……」
 
 屋敷を抜け出すことを心苦しく思いながらも、外出用の着物へ着替える。本当なら、正直に話して外出の許可を得ればいいだけの話。宿儺さまなら、ちゃんとわたしの話に耳を傾けてくれるはず。
 ただ、宿儺さまがわたしの家族を心良く思っていないことは薄々感じていた。わたしが家でどんな扱いを受けていたのか知っているし、母に会うだけだと言ったとして、必ずしも許してくれるとは限らない。最悪、怒らせてしまうかもしれない、と思うと、どうしても言い出せなかった。
 体を冷やさないよう羽織りを着こみ、障子を開けると、降り続く小雨が庭先を濡らしていた。

「すぐに戻ります……」

 草履を履き、裏口へ向かう前に風呂場のある方へ、深く頭を下げる。この時のわたしはまだ、母に対して僅かな希望を抱く、浅はかで、可哀そうなほどに、愚かな娘だった。


 


 
「ふふ……」

 藤原の屋敷へ帰る道中、自然と頬が緩む自分に気づき、万はすぐに表情を整えた。しかし、つい先ほど夢のような契約を結んだばかり。とても高揚した心を隠し切れない。
 出来ることなら大声で笑いだしたい心地だった。

「それにしても……この世の中には想像もつかないような術式や技術を持っている術師がいるんだねぇ」

 帝に成りすましている怪しい存在。そんな相手の話を丸ごと信じていいのか半信半疑ではあったけれど、同時にあの男の話は眉唾ものの類じゃないというのは、本能的に分かっていた。現に帝の中身、つまりは頭に宿す本体・・を見せつけられたのだから、もはや信じざるを得ない。
 ただし。自分だけが契約をしたところで、やはり面白味に欠ける。当然、愛する者も一緒でなければ。

——宿儺からはいい返事をもらえなかったんだ。まだ諦めてはいないがね。

 羂索、と名乗った術師はそう話していた。だが万は「その辺はどうにかなるかもね」と、今まさに実行に移している自分の計画を羂索へ教えてやった。その情報を羂索がどう利用するかは分からないが、大いに興味を持っていた様子。どうにかして上手く宿儺を丸め込み、例の契約を結んでくれるだろう。万にはそう確信があった。

「あの娘はこの世で消え、私と宿儺は遠い未来で結ばれる……悪くない話じゃないか」

 どうせ小娘に対する執着など、一時の気まぐれ。相手がいなくなれば、この世で消え去る儚い幻だ。

「宿儺を深く深く愛しているのも私だけ。愛される資格があるのもね……」

 そう独り言ちながら、見えてきた門番の衛兵に「お疲れ様」と声をかけ、軽い足取りで正門をくぐる。普段なら決して、口にはしない言葉だ。

「……随分と機嫌がいいな、今宵の万さまは」
「最近よく出かけられるが、外に男でも出来たんじゃないか」

 初めて労いの言葉をかけられた二人の衛兵が、小声で言いながら笑いあう。まさか、このあと自分達が、一瞬でこの世から掻き消えるなど、全く想像すらしていなかった。

 
 




 家の正門をくぐるのは今日で二度目だった。一度目は、生贄として家を出た時だ。
 不肖の娘であるわたしは、家を囲う塀の外に出たことはなく。あの時はこれから死ぬのだと分かっていても、初めて見る都の景色に心が湧きたったのを覚えている。
 そんなことを思い出し、最初は家の近くまで来ても門へなかなか近づくことが出来なかった。あの中へ入れば、二度と外へは出られないんじゃないかという思いが過ぎったからだ。けれど、わたしに気づいた門番が慌てた様子で中へ向かい、少しすると正門がゆっくりと開く。
 一瞬緊張したけれど、姿を見せたのは文を寄こした母ではなく……わたしが最も恐れていた兄、ひとりだけだった。

「聞いてはいたが……本当に生きていたとはな」

 兄は少しだけ驚いたように目を見開くと、反射的に後ずさりをしたわたしを見て片眉を上げた。

「ほう……随分と高価な着物を身に着けておるな。それも鬼神からの贈り物か……?」
「え……こ、これは……」

 兄上は何も変わってはいなかった。侮蔑の感情を隠そうともしない冷え切った眼差しで、今もなお、わたしを遥か上から見下ろしている。鬼神だなんだと恐れていても、心の中では異質な存在の宿儺さまを、兄は蔑んでいるんだろう。そして不肖の妹である、わたしのことも。

 「まあいい。ここでは人の目がある。中へ入れ」
 「……え」
 「聞こえなかったのか?」
 「い、いえ……」
 
 感情のない、氷のような眼。応えながらも自然と足がすくむ。幼き頃から、わたしは兄が心底恐ろしかったのだ。それは生贄になることよりも、遥かに。
 幼少の頃から折檻で植え付けられた痛みの記憶は、今も頭に焼き付いている。
 宿儺さまの元で一度は死を覚悟した時に、そんな恐怖は綺麗に消え去ったと思っていたのに、兄の顔を見た瞬間に過去の苦痛を思い出すとは。

「あ、あの……兄上さま。わたしは母上に——」
「黙ってついてこい」

 兄は事情も聞かず、わたしを従えて門を抜けると、本宅ではなく裏にある離れへ足を向けた。そこはわたしが与えられていた*伏せ屋よりも手前にあり、家の者が病で臥せった時にのみ使用する場所だ。 (*地面に伏せたように屋根が低く、小さくみすぼらしい建物)
 
 (何故このような場所に——?)
 
 生贄として家を出た妹が突然戻ったにも関わらず、そのことを咎めようともしない兄を見て不審に思い始めた時だった。不意に兄が足を止める。
  
「ここに医師を待たせているのだ」
「医師……まさか母上が病に……?」

 てっきり母が離れで医師の看病を受けているのかと思った。でも、それは大きな間違いだったと気づかされたのは、突然現れた兄の配下の術師に、両脇を抱えられた時だった。

「な、何を——」
「耳を疑うような話を聞いてな。それを確かめさせてもらう」
「何を仰ってるのか分かりません……あっ」

 離れの襖が開き、拘束されていた体が解放された瞬間、畳の上へ突き飛ばされる。慌てて顔を上げれば、目の前には確かに白衣を纏った男が二人ほど、きちんと正座をして頭を下げていた。もちろん、わたしにではなく、兄に向って。
 彼らは貴族を専門に治療をする医師たちで、家のお抱えでもある。どういう状況なのかと、わたしは酷く動揺した。

「今すぐ、こやつの体を調べろ」
「は」
「あ、兄上……? お、おやめください……!」

 先ほどの術師たちが再びわたしの体を拘束し、無理やり敷き布団の上へ寝かされる。ついでに両手両足ともに逃げられないよう押さえつける徹底ぶりに、わたしは文字通り言葉を失った。何が起きているのかすら分からない。

「大人しくしていろ。暴れたら手足の骨を砕いてもかまわん」
「かしこまりました」

 わたしの両腕を抑えている術師が無機質な声で応えているのを聞き、心の底から怖気が走った。兄は本気で言っている。少しでも抵抗すれば、この術師たちは躊躇うことなく、わたしの骨を砕くだろう。
 けれど——それ以上におぞましく、怖気の走ることが起こった。

「あ……な、何を——!」

 医師の一人がわたしの着物の裾を捲り上げ、腿を大きく開いたせいだ。こんな痴態を知らない男たちがいる中で晒すことになるなんて、想像すらしていなかった。
 以前の無知なわたしなら、どんなことをされても何も感じなかったかもしれない。けれど今は、この行為が女にとって何より屈辱的なものということだけは、本能的に理解できる。
 それは皮肉にも、宿儺さまから教わった感情だった。


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