三話:哀感の後会




「……天元?」
 
 この声で名を呼ばれたのは何年ぶりだろう――?
 
……か……?」

 女の綺麗な顔がみるみるうちに崩れ、大きな黒目から大粒の涙が溢れ出す。この時、俺はこいつの涙を初めて見た。
 忍びは道具。道具は涙を見せてはならぬ。人の感情を捨てろ――!
 そんな下らない呪いのような掟を、バカみたいに守っていた過去が過ぎる。だが今はそんなものどうでもいい。が、あれほど恋焦がれた女が、生きて目の前にいる現実は一瞬で俺たちをあの頃の二人へ戻してくれた。

「お前……生きて……生きてたのか……?」
「天元……ほんとに……天元なのね……」

 はそう呟いて、俺の胸に額を押し付けた。ふわりと香ったのは藤の花の匂い。感じる体温で本当になのだと実感した。あまりに信じ難く、言葉も出ない。
 互いにあの頃よりは身長も伸びている。けれど、抱き寄せた華奢な肩は何も変わらない。このまま強く抱きしめたいと思った。強くかき抱いて、の体温をこの身にもっと刻みたい、と。そうしなければ、またすぐにでも消えてしまいそうで怖い。
 だが理性が俺を踏み留めさせる。こいつの旦那がいるこの家で、それをするのは礼儀に反するからだ。
 俺はゆっくりと彼女の体を押し戻した。

……聞かせてくれ。あの時、お前に何があった」

 顔を覗き込むように尋ねれば、は泣き笑いのような顔で俺を見上げた。

「背、伸びたね、天元……」
「おい――」

 俺の問いをはぐらかすを問い詰めようと肩を掴んだ手に力を入れれば、彼女は目を伏せながら小さな息を吐いた。
 
「今は……ゆっくり話す時間がないの。ごめん」

 その言葉の意味は嫌でも分かる。藤の花の家紋の家は国内あちこちに点在するが、この家には初めて立ち寄った鬼狩りと、主の妻が長々話していればおかしいと思われるだろう。でも俺はどうしてもと二人で話をしたかった。

「いつならいい」
「……鬼がいなくなれば家を出ることが出来る。隣町に藤の香を作る作業場があって、鬼が出なければわたしは数日そこで作業することになってたの」
「……これはお前が作ってるのか」

 ふと部屋の隅に焚かれている香へ目を向ければ、は小さく頷いた。

「忍びだった時の知識を生かしてお香作りを仕事にしてた時、夫と知り合ったの。この家に入って鬼の話を聞いたあとも役に立つと思って……藤の香を作るのが今はわたしの仕事になってる」

 確かに忍びだった頃は色々な植物から作る薬や、香の調合も学ばされた。敵の屋敷へ忍びこみ、標的を眠らせる香などは役に立つのだ。
 とにかくの言い分は理解した。

「分かった。なら俺がすぐにでも鬼を見つけて頸を斬ってやる。そうすれば二人で会えるんだな?」

 念を押すよう尋ねれば、今度こそは笑顔で頷いた。

「まさかあの天元が鬼狩りさまになってるなんてね……」
「お前こそ……」

 生きてた上に、よその男の嫁になってるなんて、と言いかけた言葉を飲み込む。それを言うなら自分も似たようなものだ。今知りたいのは、あの時のに何があったのかということと、生きていたのなら何故里に戻って来なかったのかということ。それだけだ。
は「じゃあ、そろそろ戻らないと……」と呟き、離れがたそうにしながらも部屋を出て行った。急にしん、と静まり返った部屋に一人残されると、今のが夢だったんじゃないかと思えて己の手を見下ろす。そこには今もまだあいつの体温と触れた感触が残っていた。

「夢じゃないんだな……」

 少しだけホっとしながら、窓の外を眺めた。

 ――鬼がいなくなれば……

 はそう話してた。ここに潜んでいる鬼は女子供を好んで襲っている。旦那も心配で嫁を外出させたくないんだろう。どうやらは十分に愛されてるようだ。そう感じた時、苦い思いがこみ上げてくる。
 本当なら、俺があいつの隣にいるはずだった――。
 今更言っても仕方のないこと。それは俺も分かっている。過去はどうやっても変えられないし、悔やんだところで過去には戻れない。ただ、己の皮肉な運命を呪うばかりだ。

「チッ……生きてたってだけで十分じゃねぇか……」

 そう独り言ちながら、夜の帳が下りていくのをしばらく眺めていた。
 
 



あまり寝付けないまま朝を迎え、俺は再び地味な変装で街へ聞き込みに向かうことにした。早くに出発したのはと顔を合わせないためだ。今、顏を見てしまえば、どうしたって心が乱れてしまう。
 元忍びから鬼狩りへ転身し、数年ほどで柱にまで上り詰めた。昔に比べて随分と成長したつもりでいたが、俺もまだまだ青臭い一面が残っているらしい。
 今は鬼に集中しねえとな――。
 これ以上、あいつの暮らす場所を危険にさらすわけにはいかない。俺は本来の目的のため、鬼の所在を絞るのに子供が消えたという家へ出向き、その時の状況を詳しく聞いて回った。昨日の話を合わせると、女も子供も家の中で姿を消したらしい。その現場から逆算していけば鬼が狙いそうな場所もかなり絞られてきた。これなら今夜にでも見つけられそうだ。最後に子供二人が消えたのは四日前。そろそろ鬼も空腹だろう。
 
 だいぶ日も暮れてきた頃、一度藤の家に戻り隊服に着替えると普段の恰好へ戻る。昨日から地味にしてきた反動か、派手な装飾を身に着けると、やけにホっとした。
 その時、無意識に胸元へ下げているものに手が触れる。あいつの形見として今日まで大事に持っていた、あの輝石の首飾りだ。でもあいつは生きてたんだから、これはもう必要ないのかもしれない。
 そう思っていると、襖の向こうから「お茶をお持ちしました」という声がかかった。入って来たのはだ。襖を開けるなり、俺の姿を見て目を丸くしている。当然だ。は地味だった頃の忍びの俺しか知らないし、昨日も変装のために地味にしていた。まァ、だから一目で気づいたんだろうが。

「……え、て、天元、なの?」
「おう、ド派手でこっちのがいい男だろ?」

 言いながら指で額あての輝石をぴん、と弾けば、はどこか呆れ顔で苦笑いを浮かべた。その顏が俺の知る昔のこいつと綺麗に重なった。今では立派な奥方らしい艶やかな着物を纏い、女らしく髪まで伸ばしている。でも表情までは変えられない。あの頃、何度となく俺に向けて来た顔だ。
 
「鬼狩りさまがそんなに派手でいいわけ?」
「いいんだよ。もう闇に身を潜めることもねェ。裏でコソコソすることもな。鬼相手なら気づかれようが頸を斬るまでだ」
「そう……そうだね。昔とは違うもの」

 は独り言のように呟き、「これから出るの?」と聞いてきた。俺は出された茶を一口飲んで、刀を背負って立ち上がる。

「ああ。鬼が出そうな辺りは目ぼしがついたし、多分……今夜にでも現れるはずだ」
「今夜……そんなことまで分かるんだ」
「まァ、これまでの経験上な」
「そう……ほんとに鬼狩りさまになったんだね、天元は」

 はそう言いながら、沈む夕日に照らされた町並みへ視線を向けた。窓から差し込む西日は、の横顔を茜色に染めていく。素直に綺麗だ、と思った。

「お前……いい女になったな」
「な、何よ、急に」
「本音だよ、俺の。ま……昔からそう思ってたけどな」

 照れ臭そうに視線を泳がせていたは、最後の俺の言葉に小さく息を呑んで顔を上げた。その瞳は悲しげに揺れて今にも泣いてしまいそうだ。

「今夜だ」
「……え?」
「今夜、必ず鬼を狩る。そしたら……」
「うん……」

 俺が何かを言う前に、はハッキリと頷いた。

「待ってる……気を付けて」
「あァ。すぐに終わらせてやるよ」

 の肩をぽん、と叩き、俺は部屋の窓から一気に外へ飛び出した。俺の読み通りなら、鬼は今夜ここから西の方角に現れるはずだ。
 屋根伝いに移動しながら少しずつ足を速めていく。 
 狙いをつけた付近の高い建物の屋根へ上がり、まずは完全に陽が落ちるのを待つ。鬼が出現するのは深夜、日をまたぐ前後が最も多い。ただ、この時間に女子供がいるはずもなく。上からザっと見渡しても、千鳥足の酔っ払いしかいない。
 報告してきた人間の話から、ここに巣くってる鬼はあまり派手な動きをしていない。鬼のクセに頭は回るようだ。となれば雑魚鬼の類ではなく、少なくとも下弦か……或いは上弦――?
 そこまで考えたが、いや、上弦はないかとすぐに打ち消した。これは俺の直感だが、もしこの町にいるのが上弦なら、もっと重苦しい張りつめた気配を感じるはずだ。でも今のところ、それはない。
 ならば、やはり下弦辺りか?

「さて、どの家を狙ってきやがるかな」
 
 行方不明者の家を回って親から話を聞いたが、女でも子供でも狙われる人間には共通点があった。それはどの家も片親で二人暮らし、そして全員が家から姿を消したということだ。
 鬼としても俺たち鬼殺隊にはバレたくないだろう。それを考えると、やはり見つかる可能性がある家族の多い家は避けているとみるべきだ。

「――ってなわけで二人暮らしや単身者の多いこの地域を張ってたんだが……当たりだったな。いや、外れか。お前が下弦ってところはなァ」

 予想通り。目の前の鬼は十二鬼月だった。鬼舞辻無惨の血が最も濃いとされる直属の配下。ただ、瞳に刻まれた数字は低い。
 
「ぐぁぅ、」
「お前か? 若い娘や子供を攫ってたのは」
「チッ……鬼狩りか。だったら……? 人間なんぞ鮮度があるうちに喰らわなきゃマズいだろうが」

 俺の読み通り、鬼は張っていた付近に現れた。異質な音を探れば現在地がドンピシャで特定できるって寸法だ。
 急ぎ、現場へ駆けつければ、暗がりの路地から民家へ忍び込もうとしている奴を見つけた。その鬼はぎょろりとした釣り目を血走らせ、悔しそうに歯噛みしながら唸り声をあげている。比較的、鬼にしては小柄。ただし異様に長い牙と爪を持っていた。相当空腹なのか、牙の突き出た口からはボタボタと涎を垂らしている。ギリギリまで空腹に耐え、ひっそりと人間を狩ってたのは、俺たちにこうして見つかることを恐れてたからだろう。

 「……鮮度、ねえ。ここへ来た隊士たちを殺ったのもお前か」
「だから、それが何だ! ここらをうろついてやがったから見つかる前に殺ったまでのこと」
「チッ……かなり慎重に動いてたようだが、俺が出張って来た時点でお前はツイてねぇ。この町を狙ったことド派手に後悔させてやるよ」
「……俺についてこれたらしてやるさ!」
 
 言った瞬間、鬼は姿を消したが、自分が奏でる音だけは消せないらしい。鬼の汚いそれは俺の耳にちゃーんと届いている。異能持ちでも関係ねえ。ヤツより速く動き、屋根の上に先回りをしたところへ、再び鬼が姿を現わす。

「な……何で俺の居場所が……っ」
「瞬間移動なんて便利なもん持ってたところで、俺の耳と足からは逃げられねえぜ。まァ、逃げられちゃ困んだよ、こっちもな」

 鬼は明らかに怯えていた。俺の動きを見て「まさか……は、柱か?! バカな……!」と、その汚ねぇツラを歪めて逃げようとする。

「おいおい……敵に背を向けて逃げる気かァ? 仮にもお前、下弦の鬼だろーが」
「う、うるせぇ! 柱なんか相手にしてられるか! こっちはやっと下弦になったばかりだってのに……っ」

 腕組みをしたまま立っているだけの俺にすらビビって逃げ出そうとする辺り、どうやら下弦の中でも最下層らしい。仮にも十二鬼月に選ばれた鬼なら、鬼らしく攻撃してくるくらいの気概を見せろってんだ。
 大方、今以上の力を付けるまでの間、コソコソと人間を喰い続ける腹積もりだったんだろうが、その愚行も今夜限りだ。

「だから逃げられちゃァ困んだよ。こっちも急いでんだ」
「くそ……!」
 
 近づきつつ、俺が背中の刀へ手を伸ばしたのを見た鬼は、また異脳の力で逃げようと身構える。

「させるかよ!」

 その刹那、俺は背中の刀を真一文字に振り抜いていた。鬼の頭部が一瞬は宙に舞い、そのまま地面へごとりと落ちる。絶命した鬼の体は塵と化し、ふわりと風に吹かれて消えていった。

「……チッ。下弦とはいえ手ごたえのねえ奴だ。俺が出張るまでもなかったわ」

 刀についた鬼の血を、拭紙ぬぐいがみでふき取り鞘へ納めると、念のため辺りの音を探ってみる。だが平和で温かい音しか聞こえてこない。他に脅威はないと考えた。
 となれば……あとは自由だ。

 ――待ってる。

 その言葉が脳裏を過ぎり、俺はすぐにあいつの待つ藤の家へと急いだ。


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