無駄な努力
(危なかった……)
霧の濃いヌメーレ湿原を走りながら後方を走るヒソカの気配を探る。
出発する直前、人面猿騒動が起こった。ヒソカが試験官や受験生に化けた猿をあっさりと殺してたけど、私も危うく手を出しそうになってしまった。普段の習慣ってのは恐ろしい。無意識に攻撃態勢に入るのは邪魔なものは排除するという"イルミ脳"とも言える。それだけイルミの傍にいて感化され続けてきたってことなんだろうけど。
ただヘタに目立てばヒソカにバレて面倒なことになる。気をつけなくちゃ、と改めて気を引き締める。
けれど、そう簡単にいかないのは分かっていた。キルアも気づいているのか、速度を落として私の隣を走り出す。
「、気づいてる?」
「うん、まあ……アイツ、でしょ?」
「凄い殺気……この霧を利用する気だ。急に後ろへ下がったのはそのためだ」
「うん……」
さっきまでは余裕で前を走っていたヒソカが、今は私たちより随分と後ろを走っている。それもこれも試験官にバレないよう、後ろにいる受験生を殺すために下がったんだろう。
私とキルアは少しだけスピードを上げることにした。キルアはそばを走っているゴンくんにも声をかけている。
「ゴン、もっと前に行こう」
「うん。試験官を見失うといけないもんね」
ゴンくんは気づいてないのか呑気にそんなことを言っている。キルアは少し考えながらも首を振った。
「そんなことより……ヒソカから離れた方がいい」
「え……?」
「あいつ、殺しをしたくてウズウズしてるから」
「……ッ?」
「霧に乗じてかなり殺るぜ」
「……」
ゴンくんが唖然とした様子でキルアを見つめてる。まあ、いきなり殺しをやると言われてもピンとはこないだろう。ゴンくんは平和な場所で育って来たみたいだし。キルアもその様子に気づいたのか、僅かに苦笑を漏らした。
「何でそんなこと分かるのって顔してるね」
ゴンくんの視線を感じたキルアは「何故ならオレも同類だから」とあっさり言った。私はギョっとして振り返ったけど、キルアは気にする様子もなく「臭いで分かるのさ」と説明している。
自分の素性を明かす気なのかと思って、ちょっとだけ焦ってしまった。
「キル……しゃべりすぎ」
「大丈夫だよ、ゴンは」
キルアはそう言って笑うと、再びゴンくんへ視線を向けた。ゴンくんは不思議そうな顔で鼻を動かしている。さっきも思ったけど、ゴンくんは普通より嗅覚が鋭いみたいだ。
「同類……?あいつと?そんな風には見えないよ」
「それはオレが猫かぶってるからだよ。そのうち分かるさ」
「ふーん……」
ゴンくんは分かったような分かってないような曖昧な返事をすると、いきなり後ろへ向かって大きな声で叫びだした。
「レオリオー!クラピカ―!キルアが前に来た方がいいってさー!」
「――ッ」
ゴンくんの行動にさすがのキルアもギョっとした顔だ。こっそり耳打ちした意味がまるでない。
ゴンくんはあまりに自然体な子だから、合理的なキルアにしてみればどう扱っていいのか分からない様子だ。困ってる顔がちょっと笑える。やっぱりゴンくんはこれまで会ったことのないタイプらしい。
「アホ―!行けるならとっくに行っとるわい!」
少し後ろからレオリオの怒鳴り声が返ってくる。彼はあまり体力がないみたいだから、今の言葉も本音だろう。
「ったく……緊張感のない奴らだなー」
キルアが呆れたように言った時だった。辺りに立ち込めてた霧が一段と濃くなったのが合図のように"ソレ"は始まった。
「うわぁぁぁ!!」
「た……助けてくれー……!!」
後方のあちこちから凄まじい悲鳴が上がり始め、ちょっとしたパニック状態になっている。一瞬ヒソカが?と思ったけど、まだあの禍々しい殺気は感じない。きっと例の獣たちに襲われてるんだろう。
ゴンくんは友達が気になるのか何度も振り返っていた。レオリオとクラピカはまだ後ろを走ってるようだ。
「ゴン……」
行くなよ、という思いを込めてキルアが声をかける。でもゴンくんの視線はジっと後ろへ向けられたまま。
「……」
「ゴン!!」
不意にキルアが大きな声を出した。
「え、何……?」
「ボヤっとすんなよ。人の心配してる場合じゃないだろ。見ろよ、この霧。前を走るヤツがかすんでるぜ。一度はぐれたらもうアウトさ」
「……」
キルアの言うことは正論だ。確かにこの霧はヤバい。キルアが念使いなら心配はないけど今はまだ……と僅かに考え事をしていた時だった。今度は少し後ろで悲鳴が上がった。同時にヒソカの殺気を感じたということは、アイツも後ろの騒ぎに紛れて殺しを始めたということだ。
あまり近くにいれば巻き込まれる恐れがある。もっと離れた方がいい、と判断した。
「キルア、もっと前に――」
と言いかけたその時。ゴンくんが誰かの悲鳴に反応した。
「……レオリオ!」
「ゴン?!」
ゴンくんはキルアの静止もきかず、一人後ろへ駆けて行く。小さな背中は霧のせいですぐに見えなくなった。
それを見てすぐにキルアの腕を掴んだのは、キルアがゴンくんを追いかけたそうにしてたからだ。ヒソカの狩りに巻き込まれれば、キルアと言えど無事には済まない。
でも私が思うよりキルアは冷静だったらしい。
「大丈夫だよ、。行かないさ。アイツはオレでも無理だって分かる……」
「……なら先を急ごう」
内心ホっとしつつ、霧の中を進む。ただ前へ。サトツの気配を見失わないように。
(ああ……また殺した)
ヒソカの濃い殺気が漂ってくるせいで、こっちまで抑えている本能が刺激されてしまう。
今度は一気に数人を瞬殺したようだ。血臭が僅かな風に乗って私の鼻腔を刺激してくる。
ゴンくんの友達もこの中にいるんだろうか。いや、彼も助けに行ったところでヒソカを止められるはずもない。ゴンくん自身も殺されてしまった可能性は大きい。
チラっと隣を走るキルアの様子を伺ったけど、今は特に後ろを気にしている感じはない。
その時、サトツのペースが落ちて来た気配がした。
「もうすぐ着くみたいだな」
「……うん」
キルアに頷きながらもホっと胸を撫でおろす。どういうわけかヒソカの気配が遠ざかったからだ。きっと動きを止めて途中で戦っているか、一方的な殺戮を楽しんでるのかもしれない。
「……あれさえなきゃいいのに」
一度スイッチが入るとああなってしまうのはヒソカの悪いクセだ。
「ん?何か言った?」
「別に」
苦笑交じりで首を振ると、一気にスピードを上げてサトツのあとを追いかけた。

「あーもう疲れたぁぁぁ……」
重たい身体をベッドに投げ出すと、深い深い息が自然と漏れた。第二次試験も無事に通過し、今は次の目的地に向かう飛行船の中だ。明日の朝8時に着くらしいから、とりあえずそれまでは身体を休める。
キルアは飛行船を探検すると言ってゴンくんとどこかへ消えてしまったけど、まあヒソカにさえ近づかなければ大丈夫だろう。
「それにしても意外だった……」
てっきり湿原で全員ヒソカに殺されたかと思っていた。なのに後からやってきたヒソカは何故か意識のないレオリオを担いでいて、その後に来たゴンくんやクラピカという色白の少年もピンピンしてたのを見た時は正直ビックリさせられた。
あのヒソカが殺さず、みんなを生かしたという事実と、怪我人を運んであげるという親切さは異様な光景だった。
「ヒソカってばどういう風の吹き回しだろ……ゴンくんに聞いたら、ただ合格と言われただけだったようだけど……」
ヒソカは"試験官ごっこ"と言ってたらしい。大方、相手の力量を図るための遊びのようなものだろう。
でもゴンくんを含めた3人はヒソカの何らかの試験に合格し、見事に生き延びた。
「なかなかやるもんだなぁ……あのヒソカ相手に」
レオリオは一発でダウンしたらしいけど殺されずに済んだようだし、ヒソカは彼らの何かを気に入ったということなのか。まあ無事で何よりだ。キルアもゴンくん達が生きてたことは驚いてたけど喜んでたみたいだし、試験の間は一緒に行動しようということになった。確かにあのメンバーに紛れてしまえば隠れ蓑にしやすい。
「あーお腹空いた……食堂あるって言ってたっけ、あのおじいちゃん」
身体を起こし、ベッドへ腰を掛けると、長い髪を頭の上でお団子にする。その上から大きなキャスケットを被ってサングラスをすれば、一見して私だとは気づきにくいだろう。
「まさかハンター協会の会長が直々に現場に来るとはねー」
有名人なので顔はテレビやネットの動画で何度か見たことがある。温厚そうな外見とは裏腹に、実際に会ったネテロ会長は化け物すぎるくらい化け物だった。相当な使い手だと肌でビリビリ感じる。
私なんか瞬殺されてしまいそうで怖かった。あれはお父さんやおじいちゃんと同等か、それ以上かもしれない。
「世の中にはあんな化け物がいるのね……」
簡単に着替えると、まずは空腹を満たすために食堂へ向かう。通路の窓から見える星空を眺めながら歩いていると、途中のベンチにキルアとゴンくんが仲良く並んで座ってた。
「あ、どこいくんだよ」
「ちょっと食堂。お腹空いちゃって眠れそうにないし」
「ひとりじゃ危ねえって……」
「大丈夫だよ。ちゃんと地味にしてきたから」
「Tシャツとジーンズでも十分目立つ」
キルアは苦笑しながら肩を竦めている。心配性なところはイルミにそっくりだ。こんなこと言うとキルアが嫌がるから言わないけど。
「ん?ゴンくん、私の顔に何かついてる?」
キルアの隣にいたゴンくんがジっと私を見上げているのが気になって尋ねると、ゴンくんは首を傾げつつ「さんも殺し屋なの?」と訊いてきた。ギョっとしてキルアを見ると「わりぃ。話しちった」と呑気に笑っている。
別に地元じゃ有名だから今更バレたところで本人がいいなら構わない。けど、その話が流れてヒソカの耳にでも入ったら最後、キルアが私やイルミの弟だとバレてしまうことの方が心配だ。
「凄いね、さん。女の人なのに優秀な暗殺者なんて」
「ゆ、優秀ってほどじゃないんだけど……あまり目立ちたくないからこの話は内緒ね」
「うん!絶対に言わないよ」
「……ありがとう(やっぱり可愛い)
素直に頷いてくれたゴンくんに癒されつつ、私は二人に手を振ると一人食堂へ向かった。
飛行船の一階部分の真ん中にある広い食堂は、遅い時間のわりに受験生たちで賑わっている。会場についてから二次試験まで相当疲れて空腹も限界だったのは皆も同じようだ。思い思いテーブルについて食事をしながら寛いでいる。
ざっと見渡してみてもヒソカはいない。ホっとしながら料理を注文する。本当はがっつりステーキを食べたいところだけど、寝る前なので軽めのサンドイッチにしておいた。
「あ……これなら部屋で食べられるか」
一瞬テーブルにつきかけたが、思い直して立ち上がる。ここで食事をするより、部屋で食べる方が見つかりにくいと思ったからだ。
でもその時、背中にゾクリと寒気が走った。
「隣、いいかな?」
「――!」
ねっとりとした艶のある声――。
振り向かなくても分かるその気配に、私は思わず息を飲んだ。
「ど、どうぞ……私は部屋に戻るところなんで……」
咄嗟に声を変え、ヒソカの方を見ないまま食堂を足早に出る。不自然過ぎたかとも思ったが、ここでのヒソカは全員に畏怖の念を抱かれている。今の対応でもそれほどおかしくはないはずだ。
「び、びっくりした……」
早歩きで部屋に向かっていたけど途中からは完全に走っていた。今頃になってどっと汗が噴き出してくる。まさか背後に来られるまでヒソカの気配に気づかないなんて。呑気にもほどがある。
(それにしても……何でよりによって私のとこへ?)
確かに席はだいたい埋まってはいた。だけど冷静になって考えてみれば少しおかしい気もする。
(もしかして……バレてる?)
まさか――とは考えない。この飛行船に乗るまで殆どヒソカと接触はしなかったけど、アイツはそれくらい油断ならない男だ。もしバレてるなら私もそれなりに対応を考えなくちゃならないなと思った。
部屋に戻る途中、さっきの場所にキルアとゴンくんの姿はなかった。また二人で船内を探索しに行ったんだろう。とにかく私は部屋に戻って食事をして寝てしまおう。今はそれしか考えてなかった。
「あ……いけない。通り過ぎるとこだった」
一気に走って来たせいか、自分の部屋の前を一瞬、通り過ぎる。慌てて引き返すと、すぐにドアを開けて中へ入った。
「やあ、おかえり♡」
「……は?」
信じられないその声に足が止まる。そこにはいるはずのないヒソカが、妖しい笑みを浮かべて立っていた。
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