恋でも、恋じゃなくても



 任務先で怪我をして胡蝶さまの蝶屋敷でお世話になることになったその日の夜。蜜璃さまが任務から戻られたその足でお見舞いに来て下さった。
 手土産はお団子と塩煎餅。「甘い物としょっぱい物、どちらも食べたくなるでしょ!」という何とも蜜璃さまらしい発想と配慮だ。有り難くそれを夜食代わりに頂く。蜜璃さまも一緒になって食べてたので、もしかしたら自分が食べたい物を持って来て下さったのかもしれない。そういうところが贔屓目に見ても可愛らしい方だと思う。
 一緒にオヤツを食べながら、しばし任務先での話をしていた時。ふと、蜜璃さまに言われたことを思い出す。

――私の継子はね。恋をしなくちゃなれないの。

 それからずっと”恋とは何ぞや?”と考えているけれど、未だに答えは見つからない。天元さまや富岡さまに尋ねてみたものの、ハッキリとした答えは得られなかった。でもいい機会だから、この際直接本人に尋ねればいいんじゃないかと考えた。

「あ、あの……蜜璃さま」
「なぁに?ちゃん」
「……(可愛い)」

 天真爛漫な明るい笑顔を見せながら身を乗り出してくる蜜璃さまは、まるで太陽に向かって咲く向日葵のようだ。見ていると元気になるし、そこに在るだけで周りを明るく照らしてくれる方だと思う。
 私は……こんな風に笑えない。

「えっと……蜜璃さまは私に恋をしろと仰ってくれましたが……恋をするのが未だにどういったものなのか分かりません。それはどういう感情なんですか?」
「え、どういう……?」
「はい……天元さまや富岡さまにも恋をするのはどういうものなのかと尋ねましたけど、いまいち欲しい答えは頂けなくて……」
「えっ? あの二人に訊いたの? ちゃん、勇気あるねー!」

蜜璃さまは驚愕といった顔をされたあと、凄い凄いと感心しきりのご様子。やはり柱に訊くような内容ではなかったらしい。今頃になって赤面してしまう。あとで謝っておこう、と素直に反省した。
 その蜜璃さまも私の質問に対し、「う~ん……言葉で説明するのは難しいなあ」と腕を組みつつ、首を捻っている。更に首を左右へ揺らしながら考えこむこと数秒。ふと何かに気づいたのか、動きをぴたりと止め、「そうだ!」と両手を合わせて満面の笑みを浮かべた。控え目に言って、超絶可愛らしい。

「私の場合はね、好きな人を見るとこう……胸の奥がズッキューンバッキューンと何かに撃ち抜かれて、ぐわ~ん! って体温が上がって、次に心臓がバクバクバク~って動き出す感じなの! それで胸の辺りがふわふわ~っとして、それからヘニョヘニョ~って全身の力が抜ける感じかな!」
「……(ズッキューンバッキューン……? ぐわ~んと熱が上昇……のあとに……バクバクバク~……?)」

 張りきって答えてくれた蜜璃さまには申し訳ないけれど、あまりに抽象的な説明過ぎて私の乏しい頭では理解するまでに至らない。頭の上を"はてな"が無数に回っている。そんな空気を蜜璃さまも感じたらしい。かすかに顔を赤くされてしまった。

「ご、ごめんね……分かりづらいよね。私ってばほんと説明が下手で……」
「い、いえ……私が経験不足なだけです! それにズッキューンという感じだけは分かりましたし……」
「え、そうなの?」
「その感覚は蜜璃さまと初めてお会いした時になった気がします」
「え? 私?」

 蜜璃さまは酷く驚いてるけれど、あの時は確かに心臓が何か鋭い矢で射抜かれたみたいな感覚だった。悪夢のようなあの夜。鬼の襲撃を受けて死を予感したあの時……突然現れて太陽のように私を照らしてくれた人。あの時の何とも言えない幸福感は一生忘れないと思う。

「えっと……恋とは違うかもしれませんが……」

 蜜璃さまはどこかきょとん、としてる。変なことを言ってしまったと慌てて言葉を付け足した。きっと蜜璃さまが仰ったのは異性に対しての感覚で私の感じたものとは別物かもしれない。

「すみません。変なことを言って……」
「え? 何で謝るの? 私は嬉しいよ」
「……嬉しい?」
「うん。だってちゃんが誰かに対してズキューンとしたのが私ってことでしょ? 私もしのぶちゃんにそうなることあるし分かるもの。だから嬉しい!」

 ……そうか。蜜璃さまは異性に対してだけじゃなく、同性相手でもときめいてしまう方だった。それを恋とは呼ばないかもしれないけれど、他人の良いところに惹かれるのが純真な蜜璃さまらしいと思う。

ちゃんはあまりそういった感情を上手く出せないとこあるから心配だったけど、そういう感覚があるならきっと恋もすぐに出来ると思うよー!」
「え……そう、なんですか?」
「もちろん。あ、そういう感覚って私以外……例えば男の人になったことはないの?」
「……男の人に……ズッキューン……ですか?」
「うん、そう」

 その質問は難しい。あの感覚になったのは蜜璃さまのみで、他の人に対して感じたことはない。しかも異性になんてありえない。幼い頃に育った環境が環境だけに、男という生き物に否定的な感情を持って生きて来たのだから。
 遊郭にいれば世間以上に男尊女卑など当たり前で、遊女の存在そのものは軽んじられている。花魁くらい地位の高い女性は別格だけれど、格下の者や禿といった見習いは物のように扱われるのが常。そんな環境しか見て育っていないのだから、男なんて皆同じ、という少し偏った感情が植え付けられていた。
 だけど――この鬼殺隊へ入って、確かにその負の感情が薄れつつあるのは確かだ。

――私以外で……男の人になったことはないの?
 
 その質問でふと頭に浮かんだのは――蛇柱である伊黒さまだった。
 私が鬼殺隊に入った時から、蜜璃さまと伊黒さまはすでに親しい関係のように見えた。
 ある日。蜜璃さまと休みが重なり、一緒に食事へ行かないかと蜜璃さまに誘われた時のこと。

ちゃんの昇進のお祝いしなくちゃね」

 ちょうどその時期、階級が上がった私に蜜璃さまはそう仰った。蜜璃さまも柱に昇進した時、皆がお祝いをしてくれたことが凄く嬉しかったそうだ。だから私のことも祝ってあげたいと思って誘ってくれたらしい。その際、何故か伊黒さまも同席していた。
 憧れの蜜璃さまから誘われたこと。殆ど話したこともない伊黒さまがいたこと。私は柱二人に挟まれ、酷く緊張してしまったけれど、蜜璃さまが持ち前の明るさで接してくれるので、徐々に緊張も解れてどうにか食事をすることが出来た。
 その時に蜜璃さまが私を紹介して下さり、伊黒さまとも初めて言葉を交わしたはずが、あまり内容は覚えていない。
 蜜璃さまより威圧感のある伊黒さまを最初は怖い人だと思い込んでいたから、きっと自分で思う以上に緊張してたんだろう。
 しかし、そんな印象が変わる出来事があった。それは食事のあと。伊黒さまが徐に蜜璃さまの髪色と同じ靴下を、蜜璃さまへ送ったことだ。態度は素っ気なかったと記憶してる。それでも蜜璃さまは無邪気に喜んで嬉しそうに受け取っていた。
 その光景を目の前で見ていた私は、軽い衝撃を受けた。
 男性が女性に贈り物をする。それは私の育った遊郭でありがちな光景だ。それは良くも悪くも下心からくるもの。大勢の男の中から自分を優先して欲しいだとか、身請けの申し出だとか、そういう理由から男は女に贈り物をする。
 けれど伊黒さまは違う。少なくとも私にはそう見えた。何の見返りも期待せず、ただ蜜璃さまに喜んで欲しくて贈り物をしたかったんだと思う。そんな優しい空気を感じた。あの素っ気なさはきっと照れの裏返しで、そこに伊黒さまの想いを感じてしまった。
 こんな男性もいるのか――。
 私の持つ男という生き物の印象が大きく変わった瞬間でもあった。その時、蜜璃さまの仰った"ズッキューン"を感じた気がする。まさに心臓を撃ち抜かれたような感覚だった。しかもその後に熱いと思うほど体温が上昇し、心臓が早鐘を打ったような記憶もある。
 あの時は怖そうな雰囲気の伊黒さまのさり気ない優しさへの驚きや、私の知ってる男だけが全てじゃないのだと気づいた衝撃のせいだと思っていた。でも――。

(あれは……あの感覚は……蜜璃さまの仰ってた恋の感覚と同じ……ってこと?)

 いや、まさか。そんなはずはない、とすぐに打ち消した。仮に、もしそうだとしたら大問題だ。伊黒さまは蜜璃さまの想い人であることは間違いない。いや、蜜璃さまは誰にでもときめきを覚えるところがある。あるけれど、伊黒さまに対する親密さは他の人と少し違う気がする。
 少なくとも、伊黒さまは蜜璃さまを特別な存在として大事に想っているのは確実――。
 だとしたら私が伊黒さまにときめいていいはずがない。

ちゃん……どうしたの? 顔色が悪いけど……」
「……え? あ、いえ……だ、大丈夫です」

 一瞬、何かに気づきそうになったところで蜜璃さまに声をかけられ、慌てて頭の中から今の考えを追い出す。
 違う。これは恋じゃない――。
 かすかに心臓が早鐘を打ち出すのを感じながら、そう念仏のように何度も唱える。

「ほんとに? 何かブツブツ言ってるけど……変なちゃん」

 蜜璃さまは明るく笑っていたけれど、私は内心気が気じゃなかった。憧れの蜜璃さまが大切に想っている方に恋をするだなんて、そんな不毛なことはない。あの時の感覚はまた別のものだ。そう思うことにした。

 
 



 
その次の日の朝――目が覚めると病室には大量の桜餅や、どら焼きが届いていた。
 カサカサという音や人の気配。同時にいい香りに誘われて目を開けると、寝台の横の卓にそれらが山積みとなって置いてあり、何事かと驚いて飛び起きる。すると視界の端に見覚えのある羽織りが見えて思わず息を呑む。
 目の前には威厳のある二名の柱が立っていた。

「よォ、。音柱の任務で怪我したんだってなァ?」
「し……不死川さま……?」
「甘露寺から聞いて見舞いにきた。痛みはまだあるか?」
「い……っ伊黒……さま……」

 これは夢かと混乱する私を見て「おいおい……まだ寝ぼけてんのかァ?」と身を屈めた不死川さまの顏が、視界いっぱいに広がる。相変わらず怖そうな見た目ではあるが、今は不機嫌といった感じではない。どうにか「お、おはよう御座います……」という言葉だけは絞りだすことが出来た。
 不死川さまにお会いするのは半月ぶり。他の柱とは違い、彼への同行はお館さまからの指令だった。

「状況を読むのが上手い子なら、実弥につけてみてはくれないか。あの子は一人で無茶をして、また傷を増やしてしまうから」
 
 蜜璃さまが私のことを話した際、お館さまからそう頼まれたと仰っていた。何てもったいないお言葉だと感動したのを覚えている。蜜璃さまが私の話をお館さまにして下さったこともそうだけれど、そのお館さまから頼まれるなんて名誉なことだと思った。
 ただ、風柱さまの任務へ同行……という指令は、私が思っていた以上に大変だった。

 ――あ? 俺の任務に同行だァ? いらねェよ、んなもん! 足手まといにしかならねェ!

 散々怒鳴られ、拒否され続けた時はどうなるかと思ったけれど、お館さまから直々の口添えで、不死川さまも渋々私や他の隊士を含め、任務への同行を認めてくれたという経緯がある。
 ただ一つ、嬉しい誤算があった。

――お前は他の奴らと違ってよく動けるなァ。判断が早い奴は生き残る可能性が最も高い。鬼も倒したし、よく頑張ったな。

 あの時はやっとの思いで鬼を一匹倒しただけなのに、不死川さまは怒るどころか褒めてくれて、かなり驚いた。恐ろしい方だと思っていただけに、そう言ってもらえた時の嬉しさは言葉では言い表せない。
 ただ、だからといって柱である不死川さまが一隊士の私の見舞いに来るなんてありえないことだ。何故ここにいるんだろう?
 少し混乱したものの、その答えはすぐに判明した。

「伊黒とこれから任務に行くんだけどよォ。その前にお前が怪我して胡蝶のとこにいるから寄るって言いだしてなァ。ついでに俺もついて来たってわけだ」

 恐る恐るどうして、と尋ねたら、そんな答えが返ってきた。どうやらこの突然の訪問は伊黒さまが決めたらしい。そして伊黒さまは蜜璃さまから聞いて、ここへ立ち寄ってくれた。どこまでも優しい方だ。
 こんなに桜餅を持って来てくれたのも、きっと蜜璃さまもここへ来ることを見越してのことに違いない。桜餅は蜜璃さまの好物だから。

「子供を助けたんだってな」
「え、あ……は、はい……」
「今回も誰一人として犠牲者を出さなかったと聞く。よくやったな。今は体を休めて早く治せ」
「あ……ありがとう……御座います」

 伊黒さまに褒められ、熱が一気に顔へ集中するのが分かった。地味に心臓までバクバクと早鐘を打ち出す……あれ以来の体の異変。きっと蜜璃さまからあの話を聞かなければ、ただの緊張や褒められたことへの喜びだと思っていたに違いない。
 だけど今は違う。もしかしたらマズい傾向かもしれない。伊黒さまと目が合うたび、心臓が壊れそうなほどにおかしな音を立てるのは、蜜璃さまが仰ってた症状とよく似てる気がする。例の"ズッキューンバッキューン"ってやつだ。
 どうしよう。この症状に効果のある薬って調合してもらえたりするんだろうか。

「つーか。お前、熱でもあんじゃねーかァ? 顔が真っ赤になってんぞ」

 伊黒さまの隣にいる不死川さまは怪訝そうに私を見るから焦ってしまった。

「い、いえ!大丈夫です……!きょ、今日はちょっと暑くて……」

 やはり顔が赤いらしい。いや、自分でも頬の火照りを嫌と言うほど感じていた。指摘されたことで、それがますます強くなっていく。
 その時、ふわりと風が動いた。それに釣られて顔をあげると、不意に額へ冷んやりとしたものが触れる。

「熱は……ないようだな」
「……っ!」

 伊黒さまが私の額へ手を当てて呟くのを、言葉もなく見ていた。色違いの綺麗な瞳に、動揺してる私の顔が映し出されている。輝石のような美しい瞳を間近で見て、更に症状・・が悪化していく。

「そうかァ? まあ怪我したのは足首なんだろ? 胡蝶が治療したならばい菌が入ったなんてこともねぇだろうしなァ」
「は……はい……大丈夫、です……こんな怪我などすぐに治ります……」

 どうにか不死川さまに返事をしつつ、ほっと息を吐き出す。一瞬だけ触れられた額が熱い。いや、耳も頬も首まで熱いかもしれない。きっと私の顏は茹蛸のようになってる。そう思うと恥ずかしかった。地味に伊黒さまに巻き付いている白蛇――確か鏑丸かぶらまるという名前だ――が、私の心を見透かすように見つめてくるのが怖い。地味に笑って見えるのは気のせい?

「あまり長居するのも良くないな。そろそろ行こうか。風柱」
「おう、そうだなァ。んじゃあはきちんと怪我治しとけよ! また任務で手が欲しい時は呼ぶからよ」
「……は、はい! お願いします!」

 不死川さまは私の頭をクシャリと一撫でして病室から出て行く。伊黒さまも「ではまたな」とそのあとに続いた。
柱二人がいなくなり、急に静寂を取り戻したものの。気配が色濃く残る病室を見渡しながら、今のは現実だったんだろうかと首を捻る。寝起きのせいか、白昼夢を見た心地で茫然としてしまった。

「収まってきた……」

 静けさの中にいると、あれほど早鐘を打っていた心臓が少しずつ平常に戻っていく。安堵の息を洩らし、窓の外へ視線を向けると、ちょうど伊黒さまと不死川さまが敷地の外へ歩いて行くのがチラっと見えた。

(まさかお見舞いに来てくれるなんて……)

 蜜璃さまから言われたのかもしれない。だけど任務の前に足を運んでくれた事実は嬉しかった。

「オヤツまでこんなに沢山……」

 卓上に山積みされた菓子類を見て、つい笑みが漏れる。どら焼きの箱には乱雑に書かれた"風"の文字。「俺からだ」と言わんばかりに主張してる辺りが不死川さまらしい。
 親元にいた時も、そして遊郭にいた時も。高熱を出したところで誰かに何かをしてもらった記憶はない。なのに鬼殺隊ここでは誰かしらが気にかけてくれる。それが何より嬉しかった。
 それに――。

――今度からは怪我をしないように動けよ。

 桜餅の入った箱の上には一枚の書付け。綺麗な字体を見れば、すぐに伊黒さまからだと分かる。蜜璃さま当てに届いた封筒の宛名を見たことがあるからだ。

「やっぱり優しい方だ……」

 その文字一つ一つを見ていると、胸の奥がじんわりと熱くなっていく。それは春の日差しのように穏やかで、仄かに切ない熱だった。
 この感情が恋でも、恋じゃなくても。男の人を思い、心を動かされるのは、私にとって初めての経験だったかもしれない。