名誉の負傷
「全く……無茶をしましたね」
何とも気品のある微笑みを見せながら、胡蝶しのぶさまは私の怪我の治療をしてくれた。蟲柱であるしのぶさまは薬の調合に長けたお方で、自分の館を治療の場として提供して下さっている。誰にでも優しく、常ににこやかな笑みを絶やさない。だけど時々その笑みとは裏腹に、静かな怒りが垣間見えるような、とても不思議な人だった。
何故そう感じるのか理由は分からない。遊郭で多彩な人達を見て培った直感としか言いようがないのだけど。
「いくら止血されてるとはいえ、これほどの怪我をしてるのに歩いて帰ってくるなんて」
「す、すみません……でも途中までは荷馬車で――」
「富岡さん、あなたにも言ってるんですよ。聞いてますか?」
しのぶさまは後ろの壁に寄り掛かり、ボーっと外を眺めている富岡さまへ、いつもの笑みを向けた。でも穏やかな微笑を浮かべているしのぶさまは、今回もどこか怒っているように見える。こんなにニコニコしてるのに、やはり不思議な方だ。
逆に私をここへ連れて来てくれた富岡さまは何を言われてるのか分からなかったらしい。怪訝そうな顔を隠そうともせず、しのぶさまへ感情の見えない視線を向けた。
「さんの怪我は決して軽傷じゃありませんし、無理に歩かせず、おぶって運んであげても良かったのでは?」
なるほど。そういう意味合いも含まれてたのか、と自分のことなのに呑気に考えていると、チクリとされた富岡さまの目がすっと細まったのを、私は見てしまった。きっと心外な、と言いたいんだろう。
「……本人が平気だと言った」
そう、私は確かにそう言った。
帰宅途中、肩を支えてもらってはいたものの。足首の傷が次第にジクジクと痛みだし、つい歩みを止めてしまった時のこと。
富岡さまは「痛いのか?」と聞いて下さった。でも私は変な気を遣わせるわけにもいかず「平気です」と応えた。柱相手に「痛くて歩けないのでおぶって下さい」などと言えるはずもない。それでも富岡さまは心配そうに眉を潜め、「本当か?」と聞いて下さったものの、私がもう一度「大丈夫です」と歩き出せば、それ以上は何も聞いてこなかった。
それに私もそこまで大きな怪我と思っていなかったのもある。でもしのぶさま曰く。あともう少しズレていたら大事な血管を傷つけていたそうだ。
「例え本人が平気だと応えたとしても、彼女は柱である富岡さんに遠慮してるかもしれない。そうは思わなかったんですか?」
「……」
しのぶさまの問いに富岡さまは無言のまま顔を背けてしまった。その態度がカチンと来たらしい。いつもは穏やかなしのぶさまの頬が僅かに引きつっている。そして私はというと、内容が内容だけに黙ったままでいることも出来ず「本当に大丈夫だったんです」と口を挟んだ。実際、かなりの痛みはあったものの、どうしても歩けないというほどじゃなかった。
ただ――今現在はその無理が祟ったのか、治療はしてもらったものの、痛みと腫れが見事に酷くなっていた。しのぶさまはそれすらお見通しのようだ。 「おぶってもらっていたら、ここまでの腫れと痛みは出なかったでしょうね」と私を諫めるように言った。確かに。しのぶさまの仰るとおりだ。
「我慢を美徳とする場合もあるけれど、ここ鬼殺隊ではそんなもの必要ありません。痛いなら痛い。ツラいならツラいと正直に口にしていいんですよ?誰もあなたを咎めたりしません」
「……はい」
「分かってくれたならいいんです」
諭すように言ったあと、しのぶさまはいつもの優しい笑みを浮かべて、私の頭を軽く撫でてくれた。蜜璃さまと同じく、優しい手だ。他者を慈しむ情を感じる。怖い一面もあるけれど、しのぶさまも優しい人だと思う。
鬼と富岡さまには容赦ないけれど。(!)
「しのぶさま!ちょっといいですか?」
そこへ他の隊士が顔を出した。再び怪我人が運ばれてきたらしい。しのぶさまは「今行きます」と応えながら、すぐに歩いていく。でもふと足を止め、未だそっぽを向いたままの富岡さまへ「富岡さん」と声をかけた。
「何だ――」
「そんなに暇ならさんを病室まで運んであげて下さい」
「……っ!」
「何針か縫ったので、また歩かせて傷口が開いたりしたら富岡さんも目覚めが悪いでしょう?」
「……」
またしても綺麗なお顔にニッコリとした柔らかい笑みを浮かべている。しかしながらチクりとやられ、富岡さまの表情が顔から徐々に削げ落ちていく。まあ、元々表情豊かな方ではないけれど、今は明らかにすんっとなっている。富岡さまのこんなお顔を見るのも初めてだ。それはどこか姉に叱られた弟のようだった。
「分かってる」
「あら、そうですか。なら宜しくお願いしますね。見ての通り、他の者はみ~んな忙しいので」
最後の最後まで嫌味な物言いをして、しのぶさまは颯爽と姿を消した。途端に診療室が静まり返り、気まずい空気が流れだす。そもそも私が怪我をしたせいで、富岡さまにまで嫌な思いをさせてしまった。つい「すみません」と謝罪の言葉を口にしていた。
「別にが謝る必要はない」
「でも私のせいでしのぶさまに説教される羽目に――」
「俺は説教されたわけじゃない」
「……!」
またしても心外な、と言わんばかりにねめつけられ、慌てて口を閉じる。
以前から何となく感じていたけれども、富岡さまとしのぶさまは互いに反りが合わないのだろうか。いや、逆に何でも言い合える点では気のおける間柄、という感じなのかもしれない。
それにしては時々、二人の間に毛穴が開きそうなほどに冷んやりとした空気が流れるのだけれど。
(あまりそこに触れない方が良さそう……)
これも花街で学んだ処世術の一つだ。多くの人間が集まる場所だけに、顏を合わせるたび嫌味の応酬を繰り広げる輩も中にはいる。でも例え気づいても知らぬが仏で過ごすのが一番なのだ。間違っても一方の味方をしてはいけない。揉め事が増えるだけだから。
あそこで学んだことなど何の役にも立たないと思っていたけど、どの世界でも人間関係は出来るのだから案外役に立つものだと実感する。昔のことを思い出して一人納得していると、何の前触れもなく。不意に体がふわりと浮いた。
「ひゃ……」
「掴まっていろ。病室まで運ぶ」
椅子に座っていた私を富岡さまは軽々と抱き上げたようだ。急に視界が高くなり、無意識に富岡さまの首へと腕を回す。ただそうすることで互いの顔が一気に近くなり、至近距離で目が合ってしまった。
わぁ、何て端正なお顔立ち……などと言ってる場合ではない。情緒がおかしなことになっている。
「す、すみません……っ」
「別に謝る必要はない。怪我人なんだから」
「で、でも任務で疲れてるのに……重たい、ですよね……」
男の人に抱き上げられたことなど一度もなく。何とも奇妙な感覚に襲われた。身の安全を他人に委ねているという少しの恐怖もあったかもしれない。つい下ろして欲しいと思って言ったことだった。でも富岡さまは一瞬、表情を和らげ、口元もかすかに弧を描いているようだ。
「お前が重たい? 綿あめかと思うくらいに軽いが?」
「わ、綿……あめ?」
明治後半から今の大正に入った頃、米国から持ち込まれたお菓子のことだと気づく。まさかアレと同じにされるとは思わなかった。蜜璃さまは外国由来のお菓子が大好きだそうで、前に何度か食べさせてもらったことがある。口の中で蕩けてしまうふわふわのお菓子だ。ほぼ砂糖と空気で出来てる気がするし、確かに重さは感じない。でもあれと同じで語られるのは大げさなのでは、と少々呆気にとられた。
「お、大げさなのでは……」
「いや、さっきの茶屋でもあれだけ食べてたのに、この体のどこへ入ったんだと思うくらいだ」
富岡さまはどこか愉快そうに言いながら廊下をゆっくりと歩いて行く。私に負担をかけないようにしてくれてる。そう感じた。
(見た目に寄らず……力強い)
富岡さまが強いのはもちろん知っている。けど実際こうして腕に抱かれていると、見た目の印象よりもガッシリしていることに驚いた。ここまで筋力があるというのは普段から肉体を鍛え上げている証拠でもある。彼らは私たち隊士の何万倍も努力をし、鍛錬しているからこそ柱なのだということを肌で感じた瞬間だった。
「痛くないか?」
病室の寝台へ私をそっと下ろしたあと、富岡さまが訊いてきた。痛いも何も振動すらこなかった気がする。
「平気です……あの、ありがとう御座いました」
「いや。痛みが重くなってしまったのは俺のせいでもある。これくらい気にするな」
「え、富岡さまのせいじゃないです。私が無理したせいですし――」
「いや……お前が怪我しているのを知っていたのに歩かせてしまった。俺の責任だ」
「そんなことは……――」
「俺の、責任だ」
「……」
どうやらしのぶさまに言われたことを地味に気にしていたらしい。富岡さまは頑なに自分のせいだと言い張っている。こういう頑固な一面もあるんだな、と少しおかしくて吹き出してしまった。
「……何がおかしい」
「す、すみません……あまりにムキになるので」
「……別にムキになどなってないが」
「そういうところも」
「……」
立場を忘れてつい突っ込むと、再び富岡さまの顏から表情が消えてしまった。でも不機嫌というわけではないらしい。彼もすぐに小さく吹き出し、それに釣られて私も笑う。
「……お前もムキになってるだろう」
「そうですね……すみません」
互いに笑いながら、最後は私が折れて謝罪した。最初の頃よりはだいぶ打ち解けた気がする。
「全治一週間、だったか」
「はい」
思ってたよりも怪我の具合は良くなかったらしい。先ほどしのぶさまにそう言われてしまった。完治するまでは安静にしてなくてはならず、その間は当然ながら任務にも行けない。
少しでも人の役に立って自分の人生を全うしたい――。
遊郭に売られ、何も持ち得なかった私がそんな居場所を見つけられたのに、これじゃただの役立たずだ……と自分が情けなくなった。隊士たる者、自己管理も出来ないようでは、他人など到底救えるわけがない。
そんな思いをつい吐露すると、富岡さまは呆れたように溜息を吐いた。
「お前は自分の責任を果たした。その上で怪我をしたのだから何ひとつ情けなくない」
「責任……?」
「子供を鬼から守ったんだろう?なら名誉の負傷くらいに思っておけ」
「名誉の……負傷、ですか」
そんな風に考えたこともなかった。守って怪我をしたといっても鬼にやられたわけじゃない。きちんと受け身を取っていれば避けられた怪我だ。
でも富岡さまは「よく守ったな」と言いながら私の頭へぽんと手を置いた。買いかぶりです、と思ったけれど、口に出しては言えなかった。
富岡さまの鍛え抜かれた分厚い手が、殊の外優しかったから。だから素直に「はい……」と言えたんだと思う。