静寂を纏う人
夜も遅かったので藤の家で一泊したのち。浅草にて天元さまの任務を手伝い、二日後には解放された。色々と予想外のことはあったものの。どうにか被害者を一人も出さずに終われて心底ホッとした。ほんと、色々あったけど。
――天元さまに何かしてないですか?!も、もしそんなことしたら許しませんから!
藤の家に泊まった次の日。三人のお嫁さんに遅れて合流した私と天元さまを見て、開口一番に文句を言ってきたのは、お嫁さんの中でも一番年下の須磨さんだった。蜜璃さまと同年代だと言うけど、ちょっとだけ幼い感じのする人だ。
そもそも柱である天元さまに、一隊士の私がいったい何をするというんだろう?
剣でも呼吸でも遥かに上をいく柱に、私が"何か"できるはずもない。
内心で不思議に思いながらも、キャンキャンと騒ぐ須磨さんの話を黙って聞いていた。すると天元さまと他のお嫁さん達が困り顔で彼女を宥めていた。
――ごめんなさいね。あの子、ちょっと嫉妬深くて……多分だけど天元さまとあなたが二人きりで一泊したのが気に入らなかったんだと思うの。
苦笑気味に謝ってきたのはお嫁さんの中でも一番落ち着いた感じのする雛鶴さんだった。
なるほど、嫉妬か……とそこで納得する。きっと須磨さんは私が遊郭出身だと聞いたに違いない。
確かに第三者、というかお嫁さんからすれば、元遊女の女と自分の旦那が任務関連とはいえ、藤の家で一泊すると聞けば色々と心配になるだろう。それに私の知る遊郭の姉さん連中はまさにそういう寝取りを平気でしてる人ばかりだったし、お嫁さんが私に嫉妬の情を向けるのは理解できる。頭では。
ただ、その嫉妬というものがどういった感情なのかが私にはよく分からない。
遊郭にいた頃は姉さん達が客の取り合いをしていたのをよく遠巻きに見ていたけど、ああいう類のものなんだろうか。
でも私は別に天元さまに横恋慕するつもりもなければ、そうしたいと思う感情すら分からないのだから出来るはずがない。
(うーん……でも嫉妬も恋に関連してるんだよね、きっと)
また一つ難題が増えたと思いながら、今回は間借りさせて頂いている蜜璃さまのお屋敷ではなく。その手前にある蝶屋敷を目指す。
浅草で天元さまと鬼を迎撃した際、負傷した足の治療をしてもらうためだ。
遭遇した鬼たちは十二鬼月じゃなかったものの、かなり手強い異能の使い手で、少しだけ手こずってしまった。
あげく逃げ遅れて転んだ子供が鬼の攻撃の間合いにいて、咄嗟にその子を抱えて転がったのがいけない。その時は夢中だったから気づかなかったけど、全てが終わった後、足首の辺りが瓦礫でざっくり切れていたのを、天元さまに指摘されて気づいた。
――大丈夫か?胡蝶んとこまで送ってやろうか。
天元さまはそう仰ってくれたけど、すぐまた別の任務を知らせに鎹鴉が来ていたし、それ以前に須磨さんの殺気が駄々洩れしてた。だから丁寧にお断りして、どうにか通りかかった荷馬車に乗せてもらい、一人で帰路についているところだ。
じくじくとした不快な痛みはあるけど、雛鶴さんが応急処置をしてくれたので今は出血も止まっている。走ったり激しい動きをしなければ、蝶屋敷までは持つはずだ。
(素敵な人だったな、雛鶴さん。まきをさんも明るく接してくれて……須磨さんだってあんなにハッキリ嫉妬してくるくらい素直で可愛い人だったし、天元さまを大事に想っているのは凄く伝わってきた。四人ともいい家族って感じだったな)
「しかも皆さん、見事に巨乳……何を食べたらあれだけ育つんだろう。聞いておけば良かったなあ……」
三人のお嫁さんの桃みたいな乳房を思い出して、ふと己の谷間が出来ない平坦な胸を見下ろす。わたしと同じ歳の遊女の子ですら見事に育ってた子がいたけど、私は幼児体型と笑われてばかりだったっけ。せめて細身と言って欲しい。
――殿方に揉んでもらえば大きくなるらしいわよ?だから、せいぜい仕事を頑張りなさいな。
なーんて嫌味のように言われたけど、殿方から揉まれる前に鬼のせいでその機会を失った感が否めない。
それに立派な乳房を持っていた遊女たちは全員、鬼に殺されてしまったのだから、やはり生きるために必要なのは乳房ではなく、戦う術だというのを実感した。蜜璃さまに言えば、また「色気のないこと言ってー」と叱られるかもしれないけど。
「でもそっか……三人のお嫁さんは天元さまに揉んでもらって大きくなったのかも!」
天啓のように答えに辿り着き、少しだけ納得する。まあ、とりあえず。天元さまは巨乳好き、と情報として記憶しておいた。何の役に立つかは分からないけども(!)
「ハァ……足も痛いけどお腹空いた……雛鶴さんのおむすび美味しかったなぁ……」
別れ際、「道中でお腹空いたら食べて」とお弁当を持たせてくれて、それは速攻で食べてしまったけど、凄く美味しかった。それにあんなに賑やかな輪に入ったのは久しぶりだ。別に全員が血の繋がった家族じゃないのに、と不思議に思う。
私の家族は血縁であっても、あんな風に笑いあう関係にはなれなかったからだ。
(ま……はした金のために娘を売り飛ばすような家族だもんね……)
貧しいから仕方がなかった、と言われればそれまでだけど、幼い私が傷つかなかったわけじゃない。
右も左も分からず、知らない大人ばかりに囲まれながら、言われるがままに芸を磨く。合間に雑用をやらされ、いつも姉さん達にコキ使われては怒鳴られていた。
あんな世界にいたんじゃ、恋をするなんて夢のまた夢だ。
「ハァ…だめだ……思い出したらお腹が鳴る……」
荷馬車に乗せてもらったものの、途中で行き先が分かれるということで降ろされてしまった。そこから小一時間ばかり歩いて来たものの、最寄りの街に入ったところでド派手にお腹が鳴る。※二日も行動を共にしてた天元さまの影響か?
怪我をしていても空腹には勝てない。いや、足の痛みも限界に近い。だから目についたお茶屋さんに吸い込まれるように入ってしまった。旅人が多く通る道のせいか、茶屋の中は比較的広い。昔の屋敷を改装したようで、裏には残された縁側に面した庭があり、そこにも椅子や最近テーブルと呼ばれだした食卓がある。
「いらっしゃいませー」
明るい声に出迎えられ、裏庭が見える卓へと案内される。綺麗な花を愛でながら食事ができるらしい。なかなかに見栄えのいい庭だ。
気分も上がったところで、さて何を食べようかなと壁にかかるお品書きへ視線を向けた時。視界の中に見覚えのある派手な羽織りが飛び込んできた。あんな特徴的な片身替わりを着ている人物は、この付近じゃ一人しかいない。
「あれ……富岡さまだ」
庭先の奥の卓で静かに食事をしているのは水柱の富岡義勇さまだった。相変わらず物静かな空気を纏っている。
富岡さまも任務帰りなんだろう。姿を目にしたのは一カ月ぶりだった。
私が鬼殺隊に入った頃、何度か剣や呼吸の訓練を受けたことがある。私の育手となったのは雷の呼吸の使い手で、元"鳴柱"の桑島さまだったけど、私に雷の呼吸を使いこなせる才能はあまりなかったようで、鬼殺隊に入隊直後は呼吸の使い方に苦労していた。
そんな時、蜜璃さまから「一番覚えやすい水の呼吸をまず覚えるといいよ」と言われて、その指南役を頼まれたのが富岡さまだった。
――普通なら柱直々に教えてもらうなんて出来ないんだよー。だからシッカリ勉強してきてね!
蜜璃さまがお館さまに頼み込み、私の修行の手配をしてくれたらしい。富岡さまは少しだけ面倒そうだったけれど、きちんと呼吸や剣の指導をしてくれた。
――甘露寺がお前に目をかける意味が分かった。
終始、不機嫌そうだった富岡さまが修行の後にそう言ってくれた時は嬉しかった。どうやら私には剣の才能があったらしい。鬼殺隊へ入る前はあんなものを振り回すなんて出来るかなと不安だったし、覚えたての頃は凄く大変だったけど、桑島さまの指導の下、呼吸というものを覚えたら驚くくらいに体が軽くなったことを思い出す。
それを軸に富岡さまとの訓練を始めたら、蜜璃さまの言った通り。水の呼吸は驚くほど私の体に馴染んだ。
因みに、雷の呼吸は難しい方に分類されるらしい。
――励めよ。
最後にそう声をかけてくれた富岡さまは、最初の印象よりも表情が柔らかくなっていた。
それ以来、顏を合わせるたび挨拶をするようになり、時々は雑談も交わす。今日のように出先で会えば、一緒にお茶を飲んだりもする。
寡黙で変わった一面もあるけれど、富岡さまの纏う静寂さは、どこか人をホっとさせるものがあった。
「富岡さま」
思いがけず知った顔に会えて嬉しくなった私は、すぐに挨拶をするため声をかける。富岡さまはちょうど食事を終えて箸をおいたところだった。
「か。どうした?その足」
さすが目ざとい。私に気づいた時点で怪我をしてることにも気づいたらしい。まあ、片足を使わないようおかしな歩き方になっていたのだから当然だけど。
「ちょっとヘマをしてしまいまして……それよりお隣いいですか?」
「……ああ」
一呼吸は置かれたものの、頷いてくれたので「失礼します」と隣へ座った。あまり人と接するのは好きじゃないように見えるけど、時々雑談には付き合ってくれるので、私もそこは遠慮しない。というか遠慮してたら富岡さまとの距離は一向に縮まらないと気づいてからは、積極的に声をかけるようにしていた。内心うざったいと思われてそうだけれども。
「綺麗なお庭ですよね、ここ」
「そうだな」
店先にある長椅子は庭に向けて置いてある。目の前には小さいけど手入れの行き届いた花壇たちが広がっていて、そこには色とりどりの花が咲いているから、しばし私の目を愉しませてくれた。
昔は花を見る余裕すらなかったけど、私は花が好きだった。綺麗なものを見ると何故か心がホっとする。こういう些細なことが、今は凄く幸せに感じるから。
「それはそうと……も任務だったのか」
運ばれて来た料理に早速舌鼓を打っていると、不意に尋ねられた。
「はい。天元さまの手伝いで浅草へ行ってました」
「浅草……?」
富岡さまは怪訝そうな声色でひとこと呟く。そして「俺もその近くで任務だった」と教えてくれた。
何でもその近辺では去年あたりから鬼の出没が多くなっているらしい。普段なら単独行動を好む鬼が、徒党を組んで人を襲っているようだ。
「何かあるんでしょうか、あの場所に」
「……さあな。ただ現れる鬼はどれもその辺の雑魚より手強いようだ。下級の隊士じゃ太刀打ちできないだろうな」
「言われてみれば確かに……」
ふと夕べ対峙した鬼を思い出す。雑魚鬼なら俊敏な肉体と腕力はあれど、私でも一瞬で頸をはねることが出来る。けど異能を持つ鬼はかなり難しい。血鬼術とやらを使うので油断は一切できない上に、攻撃がとても厄介だ。
(まあ、天元さまはあっという間に倒してたけど……)
何とも楽しそうに鬼を斬っていた姿を思い出して苦笑いが零れる。さすが派手好きと言われるだけあって、技も全てがド派手だった。見ているこっちが楽しくなるくらいに。
それに比べて……富岡さまはどこまでも静かな方だ。彼の周りだけ時が止まっているようにも感じてしまう。
(そうだ……!例の件……富岡さまにも尋ねてみようかな)
この前は天元さまに恋のことを尋ねたものの、ハッキリと理解できる答えは得られなかった。お嫁さんが三人もいるのに使えない柱さまだ。
(最終的に恋くらい知ってるってどやってたけど……あれは知らないな、多分)(!)
まあ政略結婚では仕方がない。今現在お嫁さんを大切に想っているようだけど、それは恋じゃなく愛情というものだと思う。私はその感情すら知らないけど、理屈としては分かる。
(天元さまでダメなら……他の人に訊いてみるしかない)
そう思いながら隣で静かにお茶を飲んでいる富岡さまの横顔をちらりと盗み見る。彼もまた端正な顔立ちをしているし、女性にモテるのではないかと考えた。もし富岡さまが遊郭へ行けば、姉さん達が色めきだつのは間違いないはずだ。きっと例の"色男争奪戦"を繰り広げるに違いない。
ならば……モテ男であろう富岡さまも恋の一つや二つ、経験済みかも。
「あの……富岡さま」
「何だ?」
「変なことをお尋ねしてもいいですか?」
「……だから何だ?早く言え」
怪訝そうに視線だけをこちらに向ける富岡さまが、再びゆっくりとお茶を飲みだした。
「恋をするってどういうものですか?」
「ぶっほ……っ」
問いかけた瞬間、天元さまと同様、お茶を噴射した富岡さまを見て私もギョっとした。いつもは冷静沈着の富岡さまにしては珍しい反応だ。そんなにおかしな質問をしたんだろうかと首を捻ってしまう。
「……ゲホッゲホッ」
「だ、大丈夫ですか?」
今度は咽だした富岡さまの背中を慌てて擦ると、何度か咳込んだ後に恨めしそうな目つきで睨まれた。ただし若干耳が赤い。
「な、何の話だ……いったい」
「え、だから……恋をするというのはどういうものかとお尋ねしました」
「……っ」
もう一度言うと、今度はみるみるうちに色白の頬が朱に変わっていく。ここまで表情を崩される富岡さまは初めて見た。
「し、知るわけないだろう、俺が。何故……そんなことを聞く?」
「え……何でって……富岡さまなら恋人の一人や二人くらい、いるのではないかなと思いまして」
「このご時世に……二人もいたら問題だろう」
「そ、そう、ですね。失礼しました」
ついさっきまで天元さまを相手にしていたせいか、世間の常識が少しズレてしまっていたようだ。慌てて謝罪すると、富岡さまは軽く咳払いをして、すぐに乱れた呼吸を整えている。胸を抑えて深呼吸?そんなに驚かなくても……。
もしかして富岡さまはこの手の話が苦手なんだろうか。
いや、でもまさか。成人した大人で見栄えのいい青年が恋の一つも知らないはずはない。
自分のことは棚に上げて、ついそんなことを思う。
「で……何故急にそんなことを言いだした?」
少し落ち着いたのか、富岡さまは普段の冷静さを取り戻したようだ。今度は怪訝そうに眉を顰めているところからして、質問の意図が分からないらしい。なので天元さまに説明したのと同様に、富岡さまにも蜜璃さまから言われたことを順序だてて説明した。
「――というわけでして……」
一通り説明したのち、私はふぅと息を吐いた。天元さまの時は話しやすかったのに、話の間中、富岡さまの眉間に少しずつ皺が寄っていくのを見ていたら、途中から相談する人を間違えたかもしれないと思い始めたのだ。
「……」
「あの……富岡さま?(まさかの無言)」
説明し終えたのにも関わらず、富岡さまは黙ったままジっと目の前に広がる庭を見つめている。もしや下らない相談をするなと腹を立てているのかも……と一抹の不安が過ぎった。富岡さまは誰がどう見ても、天元さまよりは真面目な方だろうし(失礼)こんな下世話な質問をするのは良くなかったかもしれない。
「すみません……こんな話をされても迷惑ですよね……。忘れて下さい――」
説教をされる前に謝罪を口にする。これは遊郭時代に身に着けた弱者生存の術でもある。女ばかりの園で生きていくには相手の苛立ちとか不満をいち早く察するのも大事だった。ただ着飾って稽古をしていればいいという単純な世界じゃない。のほほんとしていたら、すぐに身近な人間から足元をすくわれるし、最悪な時は「気の利かない娘だ」とおかみさんに折檻されてしまう。だから私は周りの人間の顔色、声色、態度、会話、場の空気を見て、なるべくヘマをしないよう生きて来た。
鬼殺隊でもその辺の処世術は役に立っている。
だけど、てっきり気分を害されたと思った富岡さまは「いや、謝る必要はない」と不意に口を開いた。
「なるほど。甘露寺の継子になり彼女の呼吸を覚えたいのなら、感情の昂ぶりといったものを知るのも必要なんだろうな」
「……」
その言葉を聞いて意外だ、と思った。てっきり「不謹慎だ」と怒られるかと思ったのに。
黙っていたのは蜜璃さまから言われた言葉の意味を考えてくれていたからかもしれない。何とも律儀な方だ。
「、お前は剣の才もあるし、混乱した戦場においての状況判断は見事だと俺は思っている」
「へ……?あ、ありがとう……御座います」
まさか急に褒められるとは思わず、慌てて頭を下げた。
「だが、雷の呼吸が合わなかったように、甘露寺の呼吸も覚えたからといって使いこなせるとは限らないだろう」
「はあ……やっぱり……そうですよね」
褒められた後のダメだしにガックリ項垂れつつ。そこは素直に頷いた。
せっかく水の呼吸を教えてもらったのに、今度は蜜璃さまの呼吸を覚えたいなんて、ただの我がままかもしれないし、富岡さまにも失礼だろう。
「俺はには水の呼吸が合っていると思う」
富岡さまはハッキリと言った。不思議なことに、それはそれで嬉しい言葉だ。
「呼吸には人それぞれ向き不向きがあるのはもう分かっているな?」
「はい」
「呼吸法を覚えたからといって、いきなり炎柱のような炎の呼吸は使えないし、風もまた然りだ。当然、甘露寺の呼吸もな」
「そう、ですね」
「それに呼吸を使いこなすには段階がある。お前が甘露寺に近づきたいと願うなら、足りないものが一つ」
「え、それは何ですか?」
ドキリとして顔を上げると、富岡さまはふと私の方へ視線を向けた。
「俺にはハッキリしたことは言えないが……それが甘露寺の言う恋をすること、なんじゃないか?」
「……恋、ですか。でも私、それがどういう感情なのかいまいち分からなくて……だから聞いてるんです」
富岡さまは気を悪くした様子もなく、助言までしてくれている。その事実が今は嬉しい。
ただ蜜璃さまが何故あんなことを言ったのか少しずつ理解はしてきたものの。やはり恋とはどういったものなのかが分からない。
うーん……と頭を悩ませていると、富岡さまがふと呟いた。
「それは……まあ俺もお前と似たようなものだから分からないが――」
「えっ!そうなんですか?」
先ほど一瞬だけ過ぎった想像が当たっていたらしい。つい素で驚いてしまった。
「意外……です」
「……悪かったな。つまらん男で」
「何もそこまで言ってません。それにそんなことを言えば私だって恋の一つも知らないのでつまらない女です」
「そんなことは――」
富岡さまは少し動揺したような様子で口を開きかけたけど、すぐに視線を反らしてしまった。きっと私の言ったことを否定しようとしてくれたんだろう。寡黙で不愛想だから分かりにくいことも多々ある方だけど、心根は凄く優しい人なんだと感じた。
「私たち……似た者同士ってことですかね」
「似た者同士……?」
「はい。つまらないとことか」
「……」
場の空気を和ませようと失礼ながら軽口を叩いた。だけど私の意に反して、富岡さまは薄っすら目を細めながらこちらを睨みつけてくる。
「俺は……つまらなくない」
「え、自分で言ったくせに」
これは失態だったかもしれない。即座に否定されたものだから思わずため口で突っ込んでしまった。
鬼殺隊の隊士にとって、柱とはお館さまの次に敬わなければならない存在であり、本来ならこうして気軽に言葉を交わすのも難しい方達なのだ。
蜜璃さまのおかげで近しくなり、任務に呼んでもらえるようになったとはいえ、友達ではないのだから口の利き方には十分気をつけなければいけない。それを思い出して咄嗟に手で口を塞ぐ。
なのに富岡さまは少々呆気にとられた顔で私を見たあと――小さく吹き出した。
「……は面白いな」
「す、すみません……失礼な口を利いて……」
謝罪しながらもちょっとだけ驚いた。叱られるならまだしも、まさか笑われるとは思わない。
富岡さまは軽く肩をゆすりながら笑ったあと、静かに息を吐いた。
「別に構わない。柱だからと俺を敬う必要もない」
「え、でも……」
「俺はそんな器でもないしな」
「……富岡さま?」
いきなりそんなことを言われて戸惑った。入隊したばかりの頃、柱は鬼殺隊の主柱なのだから常に礼節を忘れるな、と先輩隊士から何度も教え込まれた。鬼殺隊にとって柱はそれだけ大きい存在のはずだ。
なのに富岡さまは自分のことをそんな器ではないと言う。謙遜してる風でもなく、また謙虚とも少し違う空気を感じた。
私の戸惑いを察したのか、富岡さまはふと顔を上げると、食事を終えてることを確認して「蝶屋敷まで送ろう」と席を立った。
「えっ?」
「その足では歩くのも大変だろう」
「い、いえ……私は一人で平気――」
「こういう時は人に甘えるものだ」
「富岡さま……」
こちらへ手を差し伸べると、富岡さまは軽々と私の手を引いた。
鍛え抜かれた分厚い彼の手は、意外なほどに温かい。
あまり表情を崩さないから下の隊士たちからは怖いといった印象を持たれがちだけど、私の手を引く大きな手は驚くほどに優しかった。
「痛みは?」
「少し……でも平気です」
強がりを言いながら店先にある支払い所まで歩く。もちろん自分が食べた食事代を払うためだ。なのに富岡さまは店員の女性に「支払いは一緒でいい」と言い出した。
「え、ダメですよ、そんな」
「別にいい。分けて支払うのも面倒だろう」
「そんな……富岡さまにご馳走してもらうなんて蜜璃さまに叱られますから」
「……甘露寺はこんなことで叱ったりしないと思うが」
「いえ、それでもダメです。ちゃんと自分で――」
と言いながら隊服のポケットから財布を出す――つもりだった。
「あ、あれ……?」
「……何してる?」
ポケットの中へ手を突っ込んだものの、いつもならあるはずの財布の感触がしない。しないというよりも中は空っぽだった。
「ウソ……財布がない……」
「……は?」
泣きそうになりながら富岡さまを見上げると、彼の涼し気な目元が再び極細になっていた。
「ない、とは落としたということか」
「そ、そうなのかな……でもどこで……」
あたふたと全てのポケットを探りながら軽く血の気が引いていく。そこで思い出したのは、先ほど乗せてもらった荷馬車の存在だ。あの時、乗せてくれたお礼に、とおじさんにいくらか渡したことが頭を過ぎる。
きっとその時に落としたんだろう。
「確かなのか?それは」
簡単に説明すると、富岡さまは確認するように尋ねてきた。何度も思い返したものの、その時以外に財布を出した記憶はない。
「はい……すみません……」
「謝る必要はない。ここは俺が出しておく」
本当なら気が引けるものの、お金を持っていないのだからどうすることも出来ない。渋々ながら頷いた。
「ありがとう御座います……あ、でもきちんと返すので――」
「いらない。もともと払いは俺がするつもりだったしな」
「でも……」
「後輩に安い食事をご馳走しただけのことなんだからもいちいち気にするな」
淡々と言いながら支払いを済ませる富岡さまは、私に気を遣わせまいとしてくれてるように感じた。その辺りが大人だなと思わせる。
「富岡さまは優しいですね」
「……買いかぶり過ぎだ」
店を出たあとで思ったことを口にすると、彼は表情すら変えずに呟いた。でもそんなことを言っているけど、ケガをして足を引きずっている私の歩調に合わせ、ゆっくりと歩いてくれている。他人を気遣える人なのだ。そういう人のことを優しいと、私は思う。
「きっとすぐに現れます」
歩きながらふと呟けば、富岡さまが怪訝そうに見下ろしてくる。すでに太陽が傾き始めて、辺りは夕焼け色に染まっているからか、眩しさでその表情まではハッキリ見えない。
「現れるって……何がだ?」
「富岡さまが……心から恋しいと思えるような女性です」
「……何を――」
「不器用でも優しい男性はモテるので」
「……不器用は余計だが?」
「ふふ……すみません」
僅かに顔をしかめたらしい富岡さまは、それでも最後に優しい笑みを浮かべたように見えた。