恋を知らない
「天元さま。どうか、わたくしめに教えて下さい。恋をするにはどうしたらいいですか」
「ぶっほ……っ」
開口一番。そういった印象から随分とかけ離れた相手の口から、全く予想外の質問が飛び出し、俺は見事に――酒を吹いた。

先週から三つ四つと任務をこなし、一段落ついた合間に屋敷へ戻れたと思えば、すぐに虹丸から次の指令が届いた。
場所は東京浅草。あまりに人が多いこの土地で、鬼が数体暴れ回ってるとのことだった。
人で賑わう街で複数の鬼。これは俺一人じゃ難儀だと判断し、先に三人の嫁を情報収集のため浅草へと向かわせた。それでも最低あと一人は援護要員が欲しい。もし街中で戦闘にでもなれば大勢の人間を非難させなければならず、複数の鬼を相手にしながら全てをこなすには四人じゃ手が回らないことも想定してだ。
そこで頭に浮かんだのが甘露寺に憧れて入隊してきたという女隊士だ。
こいつは元々遊郭で働いてたという、鬼殺隊士としては一風変わった経緯がある。花街を襲った下弦の鬼に、殺されそうになったところを甘露寺に命を救われ、それを恩に感じたのか。遊女にあがったばかりの身で鬼殺隊へ志願したようだ。
剣を習ったこともない普通の女が、見事に最終選別で生き残ったと聞いた時は、さすがの俺も驚いたもんだった。元々そういった才があったんだろう。
鬼殺隊に入った後も厳しい訓練を続けながら修行を重ねている彼女は、呼吸も剣の腕も更に上達している。でも彼女の本当に凄いところはそこじゃない。鬼と対峙する混乱した戦場での状況判断だ。
隊士になって間もない若手は鬼との戦闘時、どうしても冷静な判断が出来なくなる。その結果、引き際さえ分からなくなり、無茶な攻撃を仕掛けて返り討ちに合ったり、取り返しのつかない大怪我をすることも多かった。
だけど彼女は違う。戦闘時も常に状況を把握し、冷静に戦況を見ながら他の隊士を誘導したり、逃げ遅れた人がいれば素早く安全な場所まで避難させたりと、そういった細かな仕事を柔軟にこなしていく。
だから彼女が参加した任務は死人が極端に少ない。俺はそこを買っていた。
今日の任務も避難させる人間が多い場所。だからのその判断力を生かしてもらえたらと思い、最初から彼女に声をかけるつもりだった。ついでに彼女が何かに悩んでいる様子も気になった。
そこで浅草に近い場所にある藤の家に連れていき、任務前に軽く食事でもしながら話を聞こうと思ったが――。
まさか恋の相談をされるとは思っていなかった。
いや、この場合、が誰かに恋をしてるとかじゃなく――。
「恋をするには……って……どういう意味だ?」
酒で濡れた口元を手ぬぐいで拭きつつ、確認のために尋ねた。
「ほのままの意味ですよ~」
「……もっと分かりやすく説明してくれ。あと食いながら喋るな」
出された食事をモリモリ食べながら、しれっとした顔で応えるを見て、俺は軽く項垂れた。こういうところはシッカリと甘露寺を受け継いでいる。
幼少の頃に遊郭へ売られたとは聞いているが、納得してしまうほど外見は美しく、艶やかな空気をまとう女だ。
日本人離れした派手な顔立ちは俺好み。なのに中身は甘露寺の複製かと思うほどに似通っていて、そのちぐはぐさが面白いとは思う。そして何より。悲惨な生い立ちのわりに素直で綺麗な音を持つ女だった。
酒を煽りながら話し出すのを待っていると、は一度口の中のものをゴクリと飲み込み、ついでに、とばかりにずずず、と茶を啜った。
せっかく遊郭で叩きこまれたであろう、淑女としての所作は綺麗さっぱり忘れてきたらしい。
まあ圧倒的に男の隊士が多い鬼殺隊で生きていくには、遊郭で教わったことなど何の役にも立たないと悟ったんだろうが、それ以前に甘露寺と一緒に長くいれば、こうなるのも致し方ない、とは思う。
「はぁ……少しお腹が落ち着きました」
「少しって……ほぼ全部、食ってんじゃねえか」
彼女のお膳にあった料理が綺麗になくなっているのを見て軽く吹き出した。ここまで綺麗に食べてもらえたなら料理人も泣いて喜ぶに違いない。
それでも足りないとブツブツ言ってる辺り、甘露寺そっくりだ。
何でもここへ来る前は好きな物を殆ど食べさせてはもらえなかったらしい。
男相手に商売をする遊郭では、美貌を保つのも仕事のうちだからだ。幼い頃から何でも好きな物を与えてしまえば、太るだけじゃなく栄養も偏る。そういう意味では実の親に躾けられるよりも厳しい場所のはずだ。
遊郭に来るような男どもは健康的で美しい女を抱きたいから高い金を払っている。不健康な遊女など、誰も買おうとは思わない。
その点、はしっかりと厳しく躾けられたようだ。健康的で美しい外見がそれを物語っている。
は食後の甘味である餡蜜に手を伸ばしながら「えっと何の話でしたっけ」と、すっとぼけた顔で小首を傾げた。
……ったく、自分で言いだしておいてこれだ。
「恋をするにはどうしたらいいと聞いただろーが。何でそんなことを聞くんだ?」
「あ、そうでした」
思いだしたとばかりに舌を出しつつ餡蜜の器を置くと、は背筋を伸ばして俺を見た。その表情はどこか困りきったような顔だ。眉毛が情けないほど下がっている。いわゆる八の字。さっき見せたのと同じような表情だ。
「蜜璃さまに言われたんです……恋をしないと継子にはできないと」
「……は?何で」
思ってもみなかった方向へ話が進み、俺は本気で驚いた。継子にする条件がそんなにふわっとしたものなんて聞いたことがない。
「分かりません……若いんだからもったない、と言ってましたけど……鬼と戦うのに必要なのかどうか……」
「へえ……恋、ねえ」
腕を組み、首を左右へ揺らしながら悩む彼女の姿を見て、つい苦笑する。まあ、甘露寺の言いそうなことだ。
「俺にもその意味は想像でしか言えないが……甘露寺の呼吸は恋だろ。そういう観点から言ってんじゃねえの」
俺から見ても甘露寺蜜璃は究極の恋愛体質だ。何にでもときめきを覚え、そういう感情を力にしている。対象は何も男だけじゃない。きっと甘露寺は人そのものに魅力を感じた時、大きく心を揺さぶられ、その溢れた感情を軸に自らの呼吸を習得したんだろうが、それは誰にでも出来る方法じゃない。
甘露寺は純粋に自分に憧れを持ち、弟子入り志願したの成長を促す為にそう言ったとしてもおかしくはないが……どうなんだろう?
そもそもは隊士としての才はあるが、育った環境のせいで他の奴らより、どこか大人びた印象がある。
何でも達観していて喜怒哀楽の"喜"を出すのがヘタだ。唯一その感情を見せるのは甘露寺にだけ。あの情熱を他のヤツにも向けられるようになれば、或いは一皮剝けるのかもしれない。
ただ――。
「で、何でその相談を俺に?」
俺じゃなきゃダメだと言っていたのを思い出し、ふと尋ねてみた。普通なら男の俺じゃなく、女の隊士にでも聞けばいい話だ。柱で言えば胡蝶とか……。
まあ、あいつが恋についてに何かを教えられるのか、甚だ疑問ではあるが。
「あ、そうでした」
俺の問いに何かを思い出したのか、は再び姿勢を正して顔を上げた。
「天元さまなら恋について詳しいのではないかと……」
「……は?何でだよ」
「え、だってお嫁さんが三人もいるんですよね。なら愛だの恋だのといった色事にお詳しいのではないかと……」
「……何か棘のある言い方だな、おい」
「えっ?そ、そんなことないです。真剣にそう思ってますっ」
「……もっと悪いわっ」
ついノリツッコミの調子で返せば、はきょとん、とした顔。本人は言った通り大真面目らしい。
「あのなァ……」
「はい」
「……はぁ。ま、いいけどよ」
真剣な顔で見つめてくるを眺めていたら全身が脱力してしまった。こいつと話してると、どうも調子が狂う。
「確かに嫁は三人いるが……正直お前が考えてるような色事はなかったんだよ」
「……と、言いますと?」
「三人とも親父が決めた相手だった。言ってみりゃ政略結婚ってやつだ。ウチは代々忍びの家系でな。15歳になったら妻を三人娶るっつー風習があったんだ。だから最初は愛だの恋だのといった甘いもんはなかったんだよ」
「え……そう、なんですか……」
「まあ、でもあいつらが大切な存在になったのは確かだし、今はそういった感情もあるのは間違いねえな」
「じゃあ、お嫁さん達を愛してると……」
「そりゃそうだろ」
「それ!」
「……は?」
突然大きな声を上げたは、ぐいぐいと身を乗り出してきた。予想のつかない反応をされるのはいくら俺でも心臓に悪い。
「な、何だよ」
「そういうの聞きたいです。恋をするとはどういう感情なのか……」
「ああ……そういう意味か」
「恋って何ですか?」
「……」
これまた幼子のような問いかけだ。でもの目は至って真剣。キラキラと澄んだ瞳で俺を凝視してくる。
悪い男ならば、きっと上手く言いくるめて俺に恋をしとけ、と耳元で囁くんだろうが――。
(いかんいかん……仮にも俺は柱では可愛い後輩だっつーの)
一瞬、ほんの少し男としての本能をくすぐられつつ、理性というものが壁となって立ちはだかった。
男女の機微についてのド素人相手に、そういうのは公平じゃない。
とは言え――里を抜けた今となれば嫁は三人のみ、と誰に決められてるものではないし、四人目の嫁をもらったところで別に避難される筋合いもないのは確かだ。
普通に恋をして、世間と同じような経緯を辿っての結婚というのも多少憧れるところではある――。
「あの……天元さま?」
「あ?」
気づかないうちに真剣に考えこんでいたらしい。は申し訳なさそうな顔で俺を見上げていた。
「別にそこまで真剣に考えてくれなくても……分からないならいいですし」
「ぐ……バカにすんじゃねえっ。俺だって恋くらい知ってるわっ」
……な~んて言ってはみたものの。
「本当の恋」を知らないのは、俺も同じだったのかもしれない。