
貴方の深い悲しみも、心の痛みも、その透明な涙も、初めて会った時からこの心に入り込んだまま。いつになったら消えてくれるんだろうと祈ってみても、気づけば思い出してる。
あの日の、貴方の胸の痛みを。

しとしと降る雨の中。水溜りがいくつも出来てる小道を少女は急ぎ足で家に向かう。こんな日に仕事だなんて嫌になるけど、生きる為だから仕方ない。10歳にして生きる為に仕事をしてるなんて、普通の常識では考えられないかもしれない。でも忍の親を持つ子なら当然ありえること。親が任務中に命を落とした子供は、この里に大勢いる。
「遅くなっちゃったなぁ……」
どんよりと曇った空を見上げながら、少女は憂鬱そうに溜息を吐く。先ほどから降り出した霧雨と、仕事先のお茶屋から家まで30分の道のりは、少女の体温をどんどん奪っていく。
(仕方ない……近道しよう)
出来ればあそこは通りたくないけれど、移動が10分は短縮できる。早く家に帰って暖かいお風呂に入りたい。お腹も空いた。この寒さから一分でも逃れられるなら……。
そう決心して、見えてきた横道へ向かい林の中を進む。相変わらずシーンとしていて寂しい道だと思いながら歩いて行くと、少し行ったところで例の場所が見えてきた。少女は持っていた傘を無意識にギュっと握り締める。
"英雄の慰霊碑"があるこの場所はどことなく寂しげで。少女はどうしても苦手だった。石碑に名を刻まれた人たちが集まっていそうでちょっと怖いのだ。と言っても、少女の両親の名も、この慰霊碑にしっかりと刻まれているのだが。
普段はあまり人も来ないこの場所は、こんな時間だと余計に静まり返っている。近くを通るだけでも足が竦むのだ。情けないけれど、でも少女はまだ10歳。暗いところも、寂しげなところも、怖くて当たり前だ。
(走ろうかな……)
雨脚が強くなるのを感じた頃、少女は一気に足を速めた。しかし歩みを進めたところで例の慰霊碑が見えてきて、少女の鼓動がいっそう早くなっていく。
その時だった。突然強風が吹きつけ、手に持っていた傘がふわりと宙に浮いた。
「――きゃっ」
手が強い力で引っ張られ、足がよろめく。少女はそのまま尻餅をつく羽目になった。バシャンっという水音と共に、じわりと冷たい感触がお尻から伝わってくる。同時に目頭がじわりと熱くなった。
(お母さんがいれば……抱き起こしてもらえるのに……)
考えても仕方のない思いが幼い胸を過ぎる。どれほど願っても、死んだ両親が戻って来るはずもない。
思わず嗚咽を漏らしそうになった時。視界に慰霊碑が飛び込んできてドキリとする。よりによって近くで転んでしまったらしい。急に怖くなった少女は慌てて立ち上がろうとした。
その瞬間、慰霊碑の向こうに人影が見えて、ドクンと鼓動が跳ね上がる。まさか人がいるとは思いもしていなかった少女は、恐怖で身を竦ませた。
(もしかして……幽霊?!)
雨の強さと暗がりで、その人物の顔は見えない。おかげで怖さが増していく。
しかし次の瞬間。頭上で青い閃光が走った。その稲光が、慰霊碑の前で立ち尽くす人影をハッキリと映し出す。
(あれは……誰?)
白い光に浮かんだのは幽霊でも何でもなく。綺麗な銀髪の男の子。片方だけ見える少年の目には、涙が光っていた。
あれから13年――。少女だったは、今日で23歳になった。
「ちゃん、お誕生日おめでとー!」
「はい、これプレゼント!」
「ありがと、イズモさんにコテツさん」
店の常連二人からプレゼントを渡され、は笑顔で受け取った。両手に余るくらいの花束と綺麗にラッピングされた箱。同世代の女の子より拘ったりはしないでも、こんな風に祝ってもらえるとやっぱり嬉しい。
「良かったな、」
「うん。源さんもありがとね」
大きな花束を片手に抱えて、もう一方の手には店の主である源から送られた靴を指す。源は照れたように頭を掻くと「いつも頑張ってくれてるお礼だよ」と微笑んだ。源はを子供の頃から店で働かせてくれた恩人でもある。今ではの父親代わりといってもいい存在だった。
「でも一人で持って帰れるかい?今日一日で凄いプレゼントの数だ」
「大丈夫です。これくらい」
「さっすが"お茶屋のマドンナ"だけあるよなぁ。オレ達以外にもファンがわんさか来たわけか」
「マドンナって……からかわないでよ、コテツさん」
「だって本当のことだろ。ちゃんのおかげで、この店は大繁盛だもんなぁ?おやっさん」
「ああ、ホント助かるよ。時々、だんご嫌いの奴まできやがるけどなあ。あはははっ」
そう言いながら源が豪快に笑う。木の葉の里で古くから経営しているこのお茶屋は、知らない者がいない程に有名だ。今ではちょっとした人気店となっていた。お茶だけでなく、甘未処として若い女の子からも人気があり、名物のだんごの他、餡蜜やお汁粉、夏にはカキ氷にアイスクリーム等を出している。
はもらったプレゼントを奥にしまうと、再び入って来たお客さんへお茶を運ぶ。今日も里は平和のようで、いつものように陽気な賑やかさが店内を包み始めた。
「おーはよーさん」
「……わっ」
注文を聞いている彼女の背後から突然声がした。予期せぬ声かけに当然は飛び上がった。
「カ、カカシさん?」
「相変わらず、繁盛してるじゃなーい」
後ろでニコニコしながら立っていたのは、木の葉のエリート忍者。"はたけカカシ"だった。ツンと立てた銀髪に、片目を額当てで隠している。ついでに軽口を叩くその口さえ口布で覆っていて、そのいかにも"忍です"といった風貌の男は、この木の葉でかなりの有名人だ。当然、忍仲間のイズモとコテツも笑顔で声をかけている。
「あれぇ、カカシさん。今日は任務ないんですか?」
「おはようって、もう昼過ぎですよー」
「あれ、二人もいたのか。今日は休みでねぇ。ま!さっき起きたからオレ的には"おはよう"だ」
カカシはそう言いながら奥の座敷へ上がると、「、とりあえずお茶ちょーだい。茶葉はいつものね」と注文し、徐にお尻のポケットから一冊の本を取り出した。
"イチャイチャパラダイス"という"18禁"のその本は、はたけカカシの愛読書でもある。彼は時々こうして店に来ると、座敷で時間の許す限りその愛読書を読みふけっている。
ここはだんごが売りのお茶屋。なのにカカシが注文するのはお茶のみ、という少し……いや。かなり変わった客だった。先ほど主の源が話していた、"だんご嫌いの奴まできやがるけど――"と言うのは、このはたけカカシのことだろうな、とは思う。笑い話のように話していたが、あれは半分嫌味。カカシが顔を出すたび、源はいつも――。
「お……?まーた来たのか、カカシさんよ」
「こんちは、おやっさん。今日も元気そうで何より」
「ふん!ワシはそう簡単にくたばらねーよ!てーかお前さん、今日もお茶だけで居座る気か?」
が彼の愛飲しているお茶を運んでいるのを見ていた源が、おもむろに顔をしかめた。当のカカシは気にする様子もなく。から湯のみを受け取ると、「ありがとね」と微笑みながら「甘い物は苦手だって言ってるじゃない」と源に笑顔で答えている。団子が人気メニューの一つであるお茶屋で、その堂々たる返答っぷりには、さすがに源の額にも怒りマークが浮かぶ。
「てやんでぃ!団子が売りのお茶屋に来ておいて、団子が苦手たぁどういうことだっ。お茶だけで何時間も居座りやがって」
「げ、源さん。あまり興奮しないで……また血圧上がっちゃう。それにお茶もしっかり有料なんだから、カカシさんも立派なお客様です」
お茶屋だけに当然お茶にも拘っている。茶葉も色々な種類を取り扱っているだけに、安いものから高級茶葉まで客が好きに選べるようになっていた。
「そりゃそうだが、お茶と団子はセットみてーなもんだからな、うちは」
「でも別にメニューにはセットなんて載ってないでショ」
「ぐ……っ。ああ言えばこう言う……」
「源さん、あっちのお客さんがそのお団子を待ってますよ?」
いつもの押し問答が始まり、が慌てて仲裁に入る。イズモとコテツも、「またか」と言いながら苦笑いだ。その原因になっているカカシと言えば、苦笑いを浮かべながら読書を始めた。源もカカシには何を言っても無駄だと分かってるようで、大げさに溜息を吐きながら厨房へ戻っていく。
カカシが団子を注文しないのはいつものこと。好きに寛がせてあげればいいのに……と思いながら、も厨房へ戻ろうと歩きかけた、その時。不意に腕を掴まれた。驚いて振り返ると、カカシが珍しく本から視線を外して彼女を見上げている。
「、今日、誕生日なんだって?」
「え?あ、まあ……」
「どうして教えてくれないの。寂しいじゃない」
「……カカシさん、去年も確かそう言ってましたけど」
「去年も教えてくれなかったでしょ。その前の年も」
そう言いながら不満げな顔をしているが、実は前に一度、はカカシに教えたことがある。ただカカシは次の年になると忘れているだけなのだ。
上忍は忙しいのだから、それも仕方ないとは半ば諦めていた。
「私の誕生日なんて知っても仕方ないでしょ?"カカシ先生"」
「……あれ。何でそのこと知ってるの?オレに部下が出来たって」
「カカシさんの噂はあちこちで聞きますから」
「へぇ、そりゃ光栄」
半分嫌味で言ったはずがニッコリ微笑まれ、の目が僅かに細められる。
(まあ……この人にこれくらいの嫌味なんて通用しないか……)
内心苦笑しつつ「そろそろ離してくれませんか?」と苦情を言った。
今ではも年頃の女であり、人前で男の人に腕をつかまれているこの状況は何気に照れ臭い。しかも相手は地味にファンの多いエリート忍者、はたけカカシ。ここにはカカシが常連だと聞きつけて彼のファンもよく来るのだ。ハッキリ言って睨まれたくない。
「ああ、ごめーんね」
彼女からの苦情を受け、カカシはすぐに腕を離した。同時に「今日、何時まで?」と訊いてくる。はつい素直に「17時までですけど……」と応えてしまった。
「ふーん、そっか。了解」
「……何が……了解?」
一人納得した様子のカカシを見て彼女が首を傾げると、一度は本に戻した視線を再びへ向けた。
「今日は休みで特に用もないし、店が終わったら家まで送るよ」
「……は?」
「終わったら声かけて」
「……あの」
また呑気に本を読みだすカカシを見ていたは、驚きでその場に固まってしまった。どういう理由で送ると言い出したのか真意が分からない。
しかし読書中のカカシに話しかけたところで、ろくな答えが返ってこないと十分に分かっている。なので、も仕方なくその場を後にする。
いったいどういうつもりなんだろうとモヤモヤしつつ。いや、さっきの言葉は幻聴かもしれない、とバカなことを考えてしまう。
――家まで送るよ。
ただ、幻聴にしてはやけにハッキリ聞こえたので、思い出すだけで勝手に胸がドキドキしてくる。
「ちゃん、俺達そろそろ仕事に戻るよ」
ふらふら店内へ歩いてくと、近くに座ってた常連さま二名が席から立ち上がった。
「あ、イズモさん……コテツさんも。プレゼント本当にありがとう。大事にするね、お花も枯らさないようにするから」
「いーよ、お礼なんて。俺達、ちゃんのファンクラブ第一号と二号なんだから当然だ」
「おい、イズモ。一号は俺だろが」
「あ?何言ってんの。一号は俺。お茶屋にとびきりの美人さんがいるって教えたのは俺なんだから」
「だから俺はその前に知ってたっつーの」
「あ?嘘つけよ」
「嘘じゃねーよ」
「あ、あの二人とも……」
二人の言い合いに困り果てていると、奥から変に間延びした声が聞こえてきた。
「コーラコラ。ケンカするなよ、二人とも。が困ってるじゃなーい」
「……カカシさん」
「因みに彼女のファン一号は俺だから。何せが10歳の頃から――」
「ちょ、カカシさん!」
何を言い出すのかと、が言葉を遮れば、カカシは本から顔を上げて苦笑いを零している。その様子を見ていたイズモとコテツは、首を傾げつつも「げ、遅刻だっ」と慌てたように店を飛び出していく。だが再び暖簾から顔を出すと、「ちゃん、また来るね!」と笑顔で言って、やっと二人は帰って行った。
「全く、のファンは騒がしい奴らばっかだなぁ」
源は厨房で煙草を吹かしながら呆れたように笑っている。も笑って誤魔化しながら、ふと、"お茶しか頼まないのに座敷に居座ってる迷惑な客"……へ目を向けた。カカシは相変わらず読書中だ。小さく息を吐くと、は新しいお茶を淹れてカカシの前へ湯のみを置いた。
「ありがと」
本から目を離さず、それでも口元に笑みを浮かべながらカカシは言った。も特に話しかけることなく、その場を立ち去る。これがいつもの風景。いつもの日常。でもいつもとは少しだけ違う、空気――。
"10歳の頃から――"
先ほどカカシが言いかけた言葉。それは13年も前の、雨夜の出来事。
とカカシの出逢った日――。
あの日、カカシは間違いなく泣いていた。けれど、その後に転んだに気づき、手を差し伸べてくれた。その時、銀髪の少年の瞳に涙はなく。彼は自分を"はたけカカシ"と名乗り、を家まで送ってくれた。ただ自分が何者なのかは一切教えてくれなかった。でも聞かずとも自然に少年の噂を耳にするほど、彼は有名人だった。13歳という年齢で上忍になったほど優秀な忍。だからこそ、噂は事欠かない。それはが23歳、カカシが26歳になった今も、何一つ変わらない。
あの日のことをカカシの方から口にするなんて、今まで一度もなかったのに――何故?
「アイツ、部下を持ったそうじゃねぇか」
奥で食器を洗っていると源が顔を出した。「そうみたいですね」と返しながら、溜まっていた湯飲みを手早く洗う。湯飲みはあまり数がないから、そうそう溜めていられないのだ。
「珍しいよなぁ。アイツが合格させるなんて。今までことごとく落としてきたって話なのに」
「彼のおめがねにかなう子が現れたってことじゃないですか?」
「ふん。その部下が気の毒だな。あんな上司で」
「源さん……カカシさんは優秀な忍びでしょ?そんな言い方は……」
彼女から窘められ、カカシと犬猿の仲である源は豪快に笑いだした。
「忍びとして優秀だからっていい上司になれるとは限らねぇぞ?いい恋人にもな。も気をつけろよ、アイツには」
「……何言ってるんですか。カカシさんが私を本気で相手にするわけないじゃない」
「いやいやいや……昔から団子嫌いのアイツが足しげく通ってくるのは狙いだろーよ。ワシには分かる」
「源さん……。カカシさんがここに来るのは他に長居できる店がないからよ。寛げるお座敷が気に入ってるんだって前にも言ってたし」
そう言いながらも洗い終えた食器を拭いていく。チラっと時計を確認すれば、あと二時間ほどで仕事が終わる時間だった。
「ま、でも今日はアイツに送ってもらうんだろ?」
「えっ?」
時計を眺めながら手が止まっているに気づき、源がニヤリと笑った。
「べ、別に私はOKしたわけじゃ――」
「でも断る気もねぇんだろ」
「……断りますよ」
何となくバツが悪くて言い返せば、源は笑いながら拭いた食器を棚へ戻していく。
子供の頃、がカカシに懐いていたことを源は覚えている。何だかんだ言いいながら、がカカシを気にしていることも。
ならば孤独な彼女がこれ以上孤独にならないよう、少しでも幸せになってくれれば、と源は思う。団子嫌いの忍びは気に入らないが、エリート忍者と呼ばれている腕だけは源も認めているのだ。
「断るな。どうせ、あのプレゼントの山をお前一人で持って帰れないだろが」
「あ……そう、かも」
「だからアイツは荷物持ちにしてやれ。ああ、でも変な気ぃ起こそうとしたら構わねえから思い切りぶん殴ってやれよっ」
「……源さん、一般人の私に上忍のエリートを殴れと?」
「女がビンタ喰らわすのに上忍もエリートもねぇ。いいから荷物持ちで使ってやれ。それも修行のうちだ」
(荷物持ちなんて何の修行にもならないと思うけど……)
溜息を吐きつつ。は奥に運んでもらったプレゼントの山を見た。確かにこれを一人で抱えて帰るには少々キツいものがある。どうしよう、なんて悩んでる暇もなく。時間はあっという間に過ぎ去り、気づけば仕事の終わる時間になってた。
「もう上がっていいよ。お疲れさん」
「はい、お疲れ様です」
源にそう声をかけてから店を出ると、いつの間に出てきていたのか、カカシが裏口横の塀に寄りかかって立っていた。相変わらずその手にはイチャパラを持っている。だがが出て来たのを見ると、カカシは本をポケットの中へしまった。
「よ、お疲れさん」
「カカシさん……」
「……って、凄い荷物だね、それ」
彼女の両腕いっぱいに抱えられてる花束やプレゼントの箱を見て、カカシは目を丸くした。と言っても額当てで左目が隠れている為、右目しか見えない。少年の頃より眼光が柔らかくなった切れ長の瞳も、今は優しさを滲ませながら細められていた。
「あ、これお客さんがくれて……」
「なるほどね。さっすがマドンナ。ファンからでしょ」
「マ、マドンナって……カカシさんまでからかわないで下さい。別にそんなんじゃ――」
「まあまあ、こーゆーことだろうと思ったんだよねー。それ俺が持つよ」
「え、いや、でもカカシさんに荷物持ちはさせられないし……」
「送るって言ったでしょ。いいから任せなさい。こう見えても俺、力持ちなんだから」
「………」
上忍なのだから力があるのは知っている。ただ本当にエリート忍者の彼に荷物を運ばせていいんだろうか、という思いはあった。しかしカカシはあっという間にの腕から全てのプレゼントを奪うと澄ました顔でニッコリ微笑んだ。
「さ、帰ろうか」
「す、すみません……持たせちゃって。あ、あの半分持つから」
「いーよ、大丈夫。女の子に荷物持たせるほど、俺、へタレてないつもりよ?」
カカシは笑いながらゆっくりと歩き出した。それを見ても仕方なく後からついていく。大人になってから、こんな風に二人で歩くのは初めてのことだった。
カカシが言っていたように、二人は13年前のあの日、出逢った。
がカカシに家まで送ってもらった、それだけの関係。ただ互いに里に住んでいれば顔を合わせることも多い。色々なところで会うようになり、気づけばカカシがの働くお茶屋へ通うようになっていた。時々店に来るカカシと、挨拶程度の言葉を交わす。たった、それだけの関係。
二人きりで会ったこともなければ、こうして歩いたこともない。時折、カカシが女の人と歩いていた、と風の噂で聞いたり、実際に自分の目で見たりもしたが、は特に何を思うでもなく。ただカカシがあの頃より明るくなっていくのを、は心のどこかでホっとしたりしていた程度。幼馴染と呼ぶには重い、赤の他人と言うには軽すぎる、そんな関係。なのに何故、今日いきなり。しかも誕生日の日に送るなんて言いだしたのか、も正直よく分からない。
「静かだねぇ。相変わらず」
カカシは辺りを見渡しながら、独り言のように呟いた。の家は里の外れにあり、少し歩けば人通りも少なくなる。夜は静かでいいが、時々それが無償に寂しいこともあった。
「ああ、こっち行けば近道でしょ?」
「あ……うん」
ふと足を止めたカカシはあの小道の前で微笑み、そのまま足を進めた。も後ろをついて行きながら、当然のようにあの夜のことを思い出す。
カカシが何故、あの夜。雨の降る中、あの場所にいたのかは、未だに聞いたことがない。でもいつだったか。コテツ達が話してるのを耳にしたことはあった。それを聞いた時、あの夜の涙の意味を、は知ってしまった。
「どうしたの?やけに大人しいね」
「え?」
顔を上げれば、カカシは苦笑気味にを見下ろしていた。背、高いなぁ……なんて思いながら、何となく視線が合わせられない。いつも店で顔を合わせてるのに、こうして外で二人きりになると落ち着かない気分になる。まるで知らない人と歩いているみたいで居心地が悪い。
「あの……休み、なんですよね、今日」
「うん。明日から第七班として任務があるから、その前に唯一の休み」
「じゃあ尚更……こんなことしてていいんですか?」
「こんなこと?」
「数少ない休みなら彼女と過ごせばいいのに。私なんかを送ったりしないで」
そう言いながら、は一度だけ見かけたことのある綺麗な女性を思い出していた。背の高いカカシと釣り合うだけのスタイルを持つ髪の長い、くの一。カカシの隣で幸せそうに笑っていた。大好きな人と一緒にいると、皆あんな顔で笑うのかな。なんて考えていると、不意にカカシが吹き出した。
「俺、彼女なんていないけどー?」
「え?でも……」
「ああ、もしかして前にエレナに見られた子のことを言ってる?」
「……そうですけど。他に思い当たる女性でも?」
「いやいや、ないってば」
に突っ込まれたカカシは楽しげに笑う。どーだか、と心の中で突っ込んでいると、不意にカカシが足を止めた。も釣られて立ち止まると、カカシは苦笑気味に彼女を見下ろしている。
「別れたんだ。先月…だったかな」
「……別れた?」
「そ。振られちゃったんだよねぇ。情けないったら」
「……嘘」
頭をかきつつ苦笑するカカシに、思わずそんな言葉をぶつけてしまう。
「嘘って……こんなことで嘘はつかないよ」
「だって……」
あの女性はあんなに幸せそうに笑ってたのに――。
そう言いかけたは、すぐにその言葉を飲み込んだ。男女の仲は色々あると聞く。これまで恋愛をしたことのない自分が口を挟むことでもない。
「だって……何?」
「……ううん。何でもない」
不思議そうに首をかしげるカカシに、は慌てて首を振った。「変な子だねぇ」とカカシは笑ったが、は笑えなかった。何となく、胸の奥が痛くて。
「……で、振られたから暇だったってこと?」
「んー?」
「こうして重たい荷物を運んでくれてるのって」
気まずい空気を消したくて、再び歩き出したはなるべく軽口を叩いて歩き出す。カカシはそんなを追いかけながら、「暇だからってワケじゃないけど」と言いながら隣に並んだ。
「あ、ここ。覚えてる?」
ふと思いだしたように言いながら、カカシは再び足を止めた。そこはカカシとが出逢った慰霊碑のある場所。相変わらず人の気配はない。
「……雨が降ってたんだよねーあの夜は」
「そうだったっけ……子供の頃のことだし…よく覚えてない」
(嘘……ホントはよく覚えてる。あの日の雨の音、濡れた土の匂い。そして……貴方の――涙)
一瞬、脳裏にあの夜の光景が鮮明に映し出された。しかしカカシは彼女の言葉を間抜けたのか、「何だ、残念」と苦笑した。
「俺は……よく覚えてるよ」
「……え?」
「凄く可愛い子が尻餅ついて泣きそうな顔してたこと」
「……あ、あれは――」
彼女を見つめながら、目を細めるカカシの顔はどこか優しい。つい頬が熱くなって視線を反らす。
「な、泣いてませんけど……」
「でも泣きそうだったでしょ。寒そうに震えてたし」
「あの夜は寒かったから……」
そう応えたあとで彼女はしまった、と思った。あまり覚えていないと言った手前、少しだけ気まずい。でもカカシは特に何も言ってはこなかった。
あの夜、カカシは震えているに自分の着ていた上着を貸してくれた。素っ気ない態度だったけれど、でもカカシなりの優しさをも子供ながらに感じて。手を引いてくれるカカシの温もりに心の底からホっとしたことを思い出す。
「あれから……13年も経ってしまいましたねぇ」
「……そう、ですね」
「何か冷たくない?今の」
「……」
素っ気なく応えたの態度に、カカシはスネたように目を細める。
でもそれ以上の言葉など浮かばないし、よく知ってるようで、あなたのこと何も知らないし――。
心の中でそんな言葉を呟く。その思いを知ってか知らずか、カカシがふと彼女の顔を覗き込んだ。
「エレナってさぁー。もしかして……俺のこと嫌い?」
「……は?」
驚いて顔を上げれば、カカシは苦笑いを浮かべている。
「……何で?」
「だって俺が店に行っても素っ気ないし、話しかけても素っ気ないし、こうして送ってても素っ気ないし……」
「……」
連続で応えられてしまうとも言葉に詰まってしまう。なるべく意識しないよう接してたつもりが、変に誤解されたようだ。
「気のせいです。私は……誰にでも同じだし、これでも愛想はいいっておじさんに誉められるんだから――」
「ま……!俺以外にはね」
「だから、そんなことは……」
「あるでしょ。今だって視線を合わせてくれないし」
「そ、それは……」
が慌ててカカシを見上げると、もろに目があった。一瞬ドキっとしたけれど、どうにか顔に出さないように目を反らすことはしなかった。そんな彼女を見て、カカシが嬉しそうに笑う。
「やーっと見てくれた」
「いつも……見てますよ」
「うん。俺も」
「……ッ」
不意打ちのようなカカシの言葉に、の鼓動が大きく跳ねた。苦しくなるくらいに心臓が早鐘を打っている。
「何……で」
「他で気を紛らわそうとしてても、つい目で追っちゃってるんだよねぇ」
「……あの?」
「気づけば13年か……長かったな」
何が言いたいの?とは、も聞けなかった。慰霊碑を見つめながら、遠いあの日のことを思い出している。そんな顔をするから。
「そろそろ潮時かな~なんて思ったりしたわけよ」
視線をに向けるカカシの顔は、今まで見たことがないほど真剣だった。
(胸が、苦しい。ドキドキが加速する。何だろう、この感じ……)
いつもと違う顔を見せるカカシに戸惑い、動揺したは、この場から逃げ出したい衝動に駆られた。その時、不意にカカシが口を開く。
「あのさ、エレナ――」
「あのっ!お腹空きませんか?」
「……へ?」
咄嗟にそんな言葉を口走ってしまった。カカシは珍しく本気で驚いている。
「えっと……私……凄くお腹空いちゃったのでラーメン食べたくなったんですけど……行きません……か?」
「……ラーメン」
突然の誘いにカカシは何となく拍子抜けしたような、そんな顔をした。
の方はと言えば、この息苦しさと微妙な空気に耐えられず、何かに背中を押されるような思いで元来た道を引き返す。カカシも呆気にとられた顔だ。
「はぁ……まあ、いっか」
背中に届いたカカシの呟きを、は聞こえないフリをした。言いかけた言葉を聞いてしまえば、これまでの関係が壊れてしまいそうな、そんな予感がしたから。
「んじゃー誕生日ということで俺がおごるよ」
荷物を抱えなおしての隣に並んだカカシは、いつもの笑顔を浮かべている。その微笑みは昔とは違い、とても柔らかい。
隣を歩くカカシの横顔を見上げながら、は少年の頃のカカシを思い出していた。
Time of 13 years