自分の親がどんな奴で、自分がどこで生まれたかなんて気にもしなかった。
気付けばあの施設に俺はいた。
イギリスの片田舎で、周りには自然しかないような退屈な場所。
それなのに今は色鮮やかに、あの暖かい風景を懐かしく思い出す。
あの陽だまりの中にいた二人の……いや。
俺達の幸せそうな笑顔を——。


⌘ ⌘ ⌘



床でパズルをしているニアを横目に、俺は目の前の少し丸い線を描いている"憧れ"の背中を見ていた。
Lは独特の座り方で机に向かい、何やらノートを広げてメモを書きとめているようで、さっきからずっと黙ったままだ。そんな彼の広い背中を見ながら、俺はロジャーからもらった飴を口の中でガリッと噛み砕いた。

「なぁ、L」
「何ですか?メロ」
「Lはと結婚するの?」

何となく聞いてみたくなって口から出た質問。彼は走らせていたペンを止めて、ゆっくりと俺の方へ振り向いた。窓から入る日差しが眩しくて、Lの表情までは見えないから僅かに目を細める。

「何故そんなことを聞くんです?」
「何でって……ほら、この前が"ずっとLと一緒にいるのが夢"だって言ってたから、あれって結婚のことなのかなと思っただけだよ」

壁に寄りかかりながらLの反応を伺うと、彼はかすかに微笑んだように見えた。

「結婚しなくても一緒にいることは可能ですよ」
「そっか」
「ええ。そうです」

Lはかすかに微笑んだようだった。そして前を向き、またペンを走らせている。
眩しくて見えなかったけれど、きっとLは幸せそうな笑顔を浮かべていたんだろうと、彼の背中を見つめながらに思った。
と一緒にいる時の彼は、とても幸せそうだから。

Lも含めて、俺達はみんな自分の本名以外、仲間の本当の名前を知らない。
ここでの通称を物心がついた頃から呼ばれていた。だから普通の人と同じような生活は、きっと出来ないんだろう、と漠然と思っていた。

「なぁ、L」

俺は再び彼の名を呼んだ。Lも今度は手を休めないまま「何ですか?メロ」と、それでも優しい声で返事をしてくれる。穏やかな声と、ある種の独特なムード。
Lの存在は俺達にとって、"憧れ"だけでなく。とても暖かく、そして頼れる存在だ。

「どんな形でも……Lとが幸せなら僕も幸せだよ」

ポツリと呟いた本心。この前からずっと思っていたこと。

「……ありがとう、メロ。私もメロが幸せなら同じように幸せですよ」

その声にふと顔を上げれば、Lはいつの間にか振り向いていて。今度は彼の表情を見ることが出来た。暖かな太陽の光の中に溶け込んでる彼のその笑顔は、きっと俺が見た中でも一番優しくて、そして幸せな微笑みだったかもしれない——。


⌘ ⌘ ⌘



初めて人を殺した時、俺はあの日のことを思い出した。とても穏やかな笑みを見せてくれていたLのことを。
そして、そんな彼に純粋に憧れていた自分のことを。

自分の手が血で真っ赤に染まるのを見ながら、俺はあの日の自分に別れを告げた。
もう引き返せない——。
失ったものは想像以上に大きかった。
この大都会では、そんな後悔も簡単に流してしまう空気がある。
毎日、煌びやかなネオンの中にいると、その中へと溶け込んでいくような感覚。俺は時々、自分がどこへ向かおうとしてるのか分からなくなった。

「メロ……?」

ふと背後から呼ばれて、ふと我に返った。振り向けば窓が開けられ、中からが顔を出している。

「どうした?」
「……何してるの?そんなとこで」
「……別に」

俺は寄りかかっていた手すりから腕を放し、テラスから部屋の中へと戻った。すでに片付けが終わったのか、キッチンには先ほどあった食器類が元に戻されている。

「紅茶淹れたの。飲まない?」
「ん?ああ……」

がテーブルにカップを置くのを見た俺は、そのままソファへ座った。も隣に座って静かにカップを口へ運ぶ。紅茶のいい香りが漂い、俺はホっとするのを感じていた。
Lが好んで飲んでいた"Uva"。

——世界三大銘茶として最も有名な茶葉なんですよ。

そう言っていたのを思い出す。彼女にこれを飲ませたくて俺が用意させたものだ。

「美味しい……」
「そりゃ良かった」

懐かしげに息を吐きながら呟くのを聞いて内心ホっとしつつ、俺もそれを一口飲んだ。何となく心に染み入るような香りと味に気分が落ち着いてくる。ここ数年、紅茶を嗜む時間なんてなかった。

「ねぇ、メロ」
「ん?」
「ここ……どこ?」

は湯気の出ているカップを両手に包むようにしながら尋ねてきた。今の俺がどういう状況の中にいるのかも知りたいといった様子だ。

「ロスだよ。って言っても事情があって郊外だけどな」
「そう……」
「……サンフランシスコに戻りたいか?」
「……」

その問いには黙ってしまった。

「まあ……戻りたいって言っても戻すつもりもないけど」
「メロ……」
「こんなに体ボロボロにしやがって……今のを見たらLがどんなに悲しむか——」

そこでハっとして言葉を切った。

「悪い……」

彼女の前で彼の名をうっかり口にしてしまった自分に腹が立った。なのには黙って首を振ると「いいの……ほんとのことだもん」とだけ呟き、俺を見上げた。

「"あの日"から今日まで……どうやって生きてきたのかが分からない」
「……」
「何を見ても、聞いても、口にしても……生きてる実感がなかった」

は静かな声で話しだし、俺は黙ってその言葉の一つ一つを聞いていた。

「二人で行った日本から一人で逃げ出して……イギリスに戻ったの。悪い夢を見たから……あそこへ帰れば覚めるんじゃないかって、そう思ったから。でもダメだった……その場所に面影はあるのに……彼がいないの……。あの部屋に匂いは残ってるのに……彼がいないの……」

遠くを見つめながら話すの瞳から涙が一粒零れ落ちた。

「二人で行った場所は全て行った。でもどこに行っても彼はいなくて……最後にサンフランシスコへ行った。あそこは初めて二人で——」
「……旅行に行った場所」

そう言葉を紡ぐとが初めて俺を見た。涙を溜めながらも、嬉しそうな笑顔を浮かべて。

「そう、初めてだったの……。仕事絡みじゃなく、二人で出かけたのは……」

の声が震えた。よほど嬉しかったんだろう。
あの日のことは俺もよく覚えている。

——メロと二アにお土産買って来るね。

幸せそうに微笑んで、はLと二人で出かけて行った。それを見送りながら、俺は少しの寂しさを覚えて二人が帰ってくるまで眠れない夜が続いたっけ。

「二人で歩いた場所も……二人で見た景色も……何も変わらずそこにあるのに……」

の頬を涙がポロポロと零れ落ちた。

「Lだけが……いないの」

心臓がキリキリと音を立てて軋みだす。体中が引き裂かれそうなほどの痛み。
彼の死を聞いた時、俺は神を心の底から憎んだんだ。

"正義"って何だ?
何を信じていけばいいんだ?
"悪"が勝つならこの世に正義などいらないじゃないか。

空っぽになった心に、その言葉だけが何度も繰り返し響く。追っていた背中が突然消えて、俺の心に暗い炎が灯り、ある感情が芽生えた。
"復讐——"
あの日から悪魔と同じスタートラインに立つと決めた。どんなやり方だろうと、俺のやりたいようにやる。
例え、この手が他人の血で真っ赤に染められたとしても。
俺はあの日から"神"に背を向けた。

頭が痛い。
吐き気がする。

目の前で泣いているの心の傷が自分の痛みと重なる。
激しい感情が込み上げてくるのを抑えることが出来ず、俺はの体を抱き寄せた。壊してしまいそうなほど強く抱きしめて、彼女の存在を確かめる。
今日まで、彼女が何をしてたとしてもかまわない。例え俺と同じように人を殺していたとしても。
ただ生きていてくれたことだけが、今の俺にとっては救いだった。

「メロ……」

か細い声が俺の名を呼ぶ。
どれくらい、そうしていたんだろう。腕の中でが僅かに動いた時、少しづつ力を緩めて彼女の顔を見下ろした。
は——微笑んでいた。

「ごめんね……あんなこと言うつもりじゃなかったのに」

彼女の言う"あんなこと"とは、Lとの思い出の話だろう。過去だけに縋り生きていくことは容易く、そしてあまりに空しい。
でも今までは、きっとそうすることで生きてこれた。

「……謝ることなんてない」

ふと冷静になれば、ジっと俺を見つめる彼女の真っ直ぐな瞳。それを見つめていたら何となく気恥ずかしくなり、すぐに視線を反らした。
昔とは違う。女の扱いにだって慣れたはずなのに、こうして抱き寄せているだけで顔が熱い。

「メロ……?」
「……悪い」

あまりに無防備な彼女に触れていることが躊躇われ、腕を解こうとした。なのには俺の腕を掴むと不思議そうな顔で見上げてくる。

「な、何だよ?」
「メロ……何か逞しくなったね」
「……は?」
「昔は細くてヒョロっとしてたのに」
「あのな……いつまでもガキじゃない——」
「わ、筋肉とかついてる!胸だって引き締まってるし……メロってば鍛えたの?……メロ?」
「……」

ほんとガラじゃない。体を触られたってだけでこんなに動揺するなんて。彼女が触れたところ全てに心臓があるみたいだ。

「どうしたの……?メロ、顔が赤い」
「うるさいって。暑いんだよ……っ」

そしてほんとにバカだ、俺は。
大切な女にくらい、優しい言葉の一つも返せないのか?

に背を向けてテーブルにあるチョコを取り、パキっと噛み砕く。だけど視界いっぱいにの不満げな顔が近づいて来るからギョっとした。

「な、何……」
「メロ、ちょっと生意気になったんじゃない?」
「は?」
「前は素直でいい子だったのに」
「……俺はもうガキじゃない。だいたい5つしか違わないだろ」
「5しか、じゃなくて5つも、でしょ?」
「下らない……歳なんか関係あんのかよ」

胸が痛い。彼女の中では、いつまで経っても俺はガキの頃のままだ。
何となく気分が沈んだ。溜息をつき深くソファに凭れて背もたれに腕を回す。だがチラリとに視線を戻せば、心なしか彼女の唇が尖っていた。

「何だよ……何で唇尖らして……」
「関係あるよ。5つの差は大きいんだから。それに……メロから見れば私なんておばさんじゃない」
「……は?」

ああ……やっぱ敵わない。少しスネた顔でそんな可愛いことを言ってくる彼女を見ていると、胸の奥が優しい気持ちで溢れてくる。

「そんなことないだろ……」
「嘘」
「嘘じゃない」
「じゃあ私の下着とか買って来てくれた子は?」
「……あ?あいつの歳なんか知るかよ。どうせ17歳くらい——」
「ほら!」
「な、何だよ」
「17くらいの子からしたらハタチ過ぎの私はおばさんなのよ」
「おい、……」

何故か怒り出した彼女に俺は溜息をついた。どうして女ってやつは歳を気にするんだ?
俺は彼女が何歳だろうと気にもしてないのに。

「いいなぁ……17歳か」
「ほんとに17か知らないぞ」
「でもそれくらいに見えるんでしょ?」
「……まあ」
「じゃあ、きっとそれくらいなのよ。いいなぁ、私も戻りたい」

はそう言ってかすかに微笑んだ。その笑顔が酷く儚げで少しだけドキっとした。

そうだな。もしその頃に戻れるなら……きっとはまたLと出逢い、恋に落ちるんだろう。
出来るものなら戻してあげたいとすら思う。

「その頃はいっぱい夢があったなぁ」
「へえ……どんな?」
「他愛もないこと。でも一番は……」
「一番は?」

少しだけ俯いたに視線を向けると、彼女は自分の両手をキュっと握り締めた。

「凄く好きな人の奥さんになること」

あの頃の彼女とだぶって見えた。きっとLと出逢って、その夢が叶えられると信じていたあの頃の彼女と。

「メロは?」
「……え?」

不意にが顔を上げて微笑んだ。

「メロはそのくらいの歳は何か夢があった?」
「俺は……」
「あ、これ前にも聞いたっけ」
「ああ……」

そう。あの時もは俺と二アに"夢は何?"と聞いた。
俺はこう答えたんだ。

——Lの後継者になること。

その時のことを思い出したらしい。は軽く目を伏せた。俺も敢えて何も言わずに、いつものようにチョコを咥える。
共通の思い出は今の俺達には辛すぎるんだ——。


⌘ ⌘ ⌘



静かにペンを走らせていたLの手が止まった。

「終わった?」
「ええ、終わりました」
「じゃあ……次は僕に勉強教えてくれる?」
「ええ、いいですよ」

Lはそう言って立ち上がると床でパズルをしていたニアにも声をかけ、三人で庭へと出た。外では他の仲間が楽しそうにサッカーをしている。そいつらの中にの姿があった。

「あ、L!だよ?呼ぶ?」

俺がLの腕を引っ張ると、彼は優しい眼差しを彼女に向けてから軽く首を振った。

「いえ。は今、彼らのお相手をしてますから」

Lがそう言うのと同時。が俺達に気付いって笑顔で手を振ってくる。Lも俺も手を振り返すと、庭にある大きな木の下に並んで座った。
はリンダやマットたちと楽しそうにボールで遊んでいる。俺が羨ましげにそっちを見てると、Lが小さく笑った。

「仕方ないですよ。彼女は仕事中です」
「分かってるけど……さ」

そう、はこの施設で俺達の面倒を見るために働いてくれている。この院の創始者、キルシュ・ワイミーが連れてきたらしい。
聡明で美人な彼女は俺達の間でもすぐ人気者になった。
そして俺達が憧れてるLもまた、彼女に恋をした——。

「さあ、メロ。何を教えて欲しいんですか」

ポンと頭に手が乗せられ、視線をからLへと移した。そしてニッと笑ってみせる。

「Lが僕の歳くらいにやってたこと全部教えて」

それにはLも苦笑を零した。

「いいですよ?ニアもそれでいいですか?」
「はい」
「じゃあ……」

言いながらLが持ってきていた一冊の本を指先でつまんだ。でも暫くその状態のまま黙っている。

「L?」

不思議に思った俺が声をかけると、Lはふと顔を上げてニッコリ微笑んだ。

「メロ、夢はありますか?」
「え?」
「ああ、私の後継者以外で、という意味です」

いきなりおかしな質問をされて少し戸惑った。ニアも俯いていた顔を上げて俺をジっと見てくる。

(Lの後継者以外での……夢?)

俺は必死に考えた。けど結局は何も浮かばない。答えはやっぱり同じところへ行き着いてしまう。

「ないよ。Lの後継者以外で、なんて」
「そうなんですか?」
「うん、ない……と思う」

俺がそう言うと、Lはやっぱり優しい笑顔で微笑む。そんな彼を見ていて俺の中で何かが弾けた。

「あ」
「え?」
「あったよ」

そう言ってLを見た。

「後継者以外での夢」
「……何です?」

Lが不思議そうに首を傾げた。彼を真っ直ぐに見ると俺はその瞬間に思ったことを、素直に口にした。

「僕は……Lになりたい」

"それじゃ同じじゃないですか"とLは笑ってたけど、違うんだ。そういう意味じゃない。
その夢が決して叶うことのない、夢のまた夢だったとしても——俺をここまで突き動かすのはL……貴方だけだ。

俺は貴方になりたかった。
賢く、強く、誇り高い貴方に。
そして、彼女の心を捕えて放さない、貴方に。


憧れて 尊敬して 崇拝して
俺は一生、貴方を追い続けるだろう。

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