今夜もネオンは輝いていて。その中へ溶け込めば一番楽な方法だって分かってる。
でも俺にはやることがいっぱいありすぎて、ここから一歩も動けない。






「あ~セックスしたい……」

双眼鏡を覗きながら、思春期のガキみたいな言葉が口から自然と吐き出された。
背中に我が旧友の殺気交じりな視線をビシバシと感じてる。振り向かなくてもアイツがどんな顔をしてるかくらい、容易く想像できるのだ。

「……睨むなよ、メロ。お前のその目を見てると本気で萎える」
「黙って見張ってろ。見逃したらどうするんだ」
「はいはい。分かってますよ。ホント何が悲しくて夜中に男なんて見張ってるんだか……」
「口を開けるな」
「……(ムゴい)」

メロの一言で俺は仕方なく口を閉じた。退屈なことをしてるのに独り言も言えないなんて、もはや拷問に等しい。
仕方なく双眼鏡で向かいのビルを覗く。
あそこには日本から来た刑事達と二代目Lがいるかもしれないという話だから、こうしてバカみたいに"覗き"なんてやっている。

たいした変化もないビルの窓を眺めながら、大好きな煙草をふかす。
毎日この作業の繰り返しで。たまに外へ出られたとしても、奴らの尾行をするだけ。
19という若さで他人の生活を覗き見する毎日だなんて、ちょっと……いや、かなり笑えない。
まあ、これは俺やメロにとっちゃ大事な仕事で、面倒だとは思ってもやめようと思ったことはないんだけど。

「なあ……腹減らない?」
「……あ?」
「腹だよ。昼から何も食べてないんだ、俺」

かすかに腹の虫が鳴ってから空腹だということに気付き、双眼鏡を覗いたままメロに声をかける。
メロはずっとチョコばっか食べてるから、そんなに腹は減ってないんだろう。
でも俺は甘いもんが好きじゃないし、その前に菓子で空腹を満たす気もない。

「ああ……じゃあ何か買いに行くか、我慢出来ないなら店で食って来い。ここは俺が見張ってるから」
「いいのか?」

メロのお許しを得たところで、すぐに双眼鏡をメロの方へ放り投げる。
それを上手くキャッチすると、メロは呆れたような顔で俺を見ながら窓際に歩いてきた。

「でも早く戻って来いよ。俺一人の時に奴らが出てきたら困る」
「分かってる。すぐ戻るよ」

そう応えるのと同時に、メロは軽く笑みを浮かべて目頭を指で押さえた。俺が見張りをしてる間、メロは録画してあったビデオを確認してたから目が疲れたんだろう。
あまり睡眠もとってないようだし少し疲れてるみたいだ。
車のキーを手にすると、ドアを開けて一旦振り向いた。

「おいメロ」
「ん?」
「俺が戻ったら少し寝ろよ。昨日も奴らに張り付いてたし、ろくすっぽ寝てないだろ?」
「……いいから早く行けよ」

メロは双眼鏡を覗いたまま、手でシッシっとやってくる。
……ったく、俺は野良犬か?
心の中で突っ込んではみたけど、まあ似たようなもんか……と変に納得してしまった。とりあえずこの場はメロに任せておくとして。早速アパートメントを出た俺は、裏に止めてあった車へと乗り込む。
昨日も散々走り回ったからガソリンも残り少なかったはずだ。メーターを確認すると、やはり残量が寂しいことになっていた。

「帰りにガソスタ寄っていれてくるか」

大事な尾行中にガス欠なんてことになれば、あのメロが烈火の如く怒りそうだ。
想像して軽い身震いをしつつエンジンをかけると、ブォンと軽く吹かしてからアクセルを踏み込んだ。
裏通りから表通りに出ると、すぐにキラキラ輝くネオンが姿を見せる。通りには綺麗な格好をした女や、仲良さげなカップル、仕事帰りのサラリーマンらが平和ヅラしながら闊歩してるってのに、裏街道に入れば俺のような野良犬もいる。
俺達みたいに普通の生活を送れない奴らにとって、このバカでかいアメリカはそれなりに都合のいい国だ。

「さて、と……どこで食うかな」

煙草を咥えたまま、両サイドに並ぶ小奇麗な店を見ていく。Lの遺産のおかげで金に困ることはない。
仕事なんかしなくても、一生食っていけるくらいの金だ。
そんなものを俺達に遺してくれてることに本気で驚いて、死ぬほど嬉しかった。
だからってわけじゃないけど、その金はキラを追い詰めるために使うと決めた。そうすることで少しはLに恩返しをしてるみたいな気持ちになる。
きっとメロだって同じ気持ちなんだろう。

だから毎日狭くて汚い部屋に引きこもり、覗き魔みたいなことをしてても、ストーカーみたいに奴らの後をつけまわしても、何度グチを言ったりしてても。
それらをやめよう、なんて絶対に思わないんだ。

「お……良さげな店、発見」

気軽に入れそうなファーストフード店を見つけて、俺は駐車場へ車を止めた。
別に探せば他にももっといい店はあるんだろうが、俺がレストランで食事ってガラでもないし、ラフな格好だから嫌な顔されるに決まってる。
それに今は無性にジャンクフードが食べたい気分だった。バーガーやホットドッグといったようなもんなら、テイクアウトだって出来る。

(どうせメロだってろくに飯も食ってないんだろうし何か買ってってやるか)

賑やかな店内へ入ると、店員の「いらっしゃいませ!」という明るい声が聞こえてくる。どこへ行っても無愛想な店員が多いNYでは珍しい。
ふとカウンターを見れば、可愛らしい女の子が笑顔で俺を見ていた。

(お……めちゃくちゃ好みかも)

薄茶色の髪を一本にまとめ、メイクも殆どしてない感じの彼女は驚くほど可愛かった。
髪も瞳も薄い茶色だったけど、アメリカ人じゃない雰囲気で。もしかしたら日系人とのハーフかもしれない。

(そういや先日見張ってたミサとか言う女も日本人だったけど、なかなか可愛かったな……日本人は可愛い子が多いのか?)

時間が出来たら日本へ旅行でもしに行って、可愛い子でも捕まえてこようか。なんて……バカみたいなことが頭を掠める。
部類の女好きで名を馳せてきた俺にとって。可愛い子とのセックスは、やっぱりキラを捕まえる使命の次に大事なことだ。
まあ、こんな戯言を言えば、メロはきっと嫌な顔するだろうけど。

「ご注文はお決まりですか?」

カウンターまで歩いて行くと、彼女が笑顔で声をかけてくる。近くで見ても本当に可愛い。俺は無駄に愛想のいい笑顔を向けながら「いや、まだ」と答えた。

「お決まりになったら注文承ります」

彼女は目の前にメニューを出してニッコリ微笑む。ハッキリ言って、その笑顔は犯罪的に可愛い。こういうのが俺にとってのプライスレスだと思う。
「何にすっかな……」とかけていたゴーグルをヘアバンド代わりに額へ上げつつメニューを眺める。
ほんとは決まってたけど、少しの時間でもいいから彼女と接点を持ちたかった。
呆れるほどの女好きだな、なんて自分で自覚して苦笑が洩れた。
ふと視線を上げると、彼女と目が合う。

「お決まりですか?」

大きな瞳をキラキラさせて俺を見る彼女に、胸がかすかにときめいた。

「あの……?」

黙ったままの俺を見て、戸惑い顔の彼女に慌てて笑顔を作った。

「あ、ああ……えっと……じゃあ……このチーズバーガー二つと……チキンバーガー二つ。それとポテトとナゲットのセットが――」

適当に何種類かのバーガーを二つずつ。ついでにサイドメニューのサラダも何種類かと、飲み物も注文しておく。
次々に注文したせいで、彼女は少し驚いたような顔をしながら慌ててレジを打って行く。
ホントはこんなに頼むつもりじゃなかったけど、変に彼女を意識して予定よりもかなり多めに注文してしまった。
きっとこんなに食べるの?なんて思われてるんだろう。

「ぜ、全部で45ドルになります」
「45ドルね。はい」
「お預かりします」

彼女は慣れた手つきで金を受け取り、きちんと確認してレジへしまう。そして厨房の方へ行くと、俺が注文したものを次々に中のスタッフへ伝え始めた。何となく厨房の方が慌ただしくなった気がする。
かなりの量だからかもれない。他のスタッフの子達も手伝いながら、気付けば目の前は俺の注文した数種類のバーガーやポテト、サラダ、ドリンク、デザート等でてんこ盛り状態になっていた。

「あ、あの……テイクアウトでよろしいです……よね?」

これほど多ければ俺一人で食べるはずないと思ったようだ。彼女は急いでテイクアウトの準備をしだした。
でも慌てて首を振ると、

「あ、じゃあ……こっちだけ包んでくれる?これとこれは……ここで食べてくから」
「あ……はい!かしこまりました」

彼女は一瞬だけ驚いた顔を見せたけど、すぐに笑顔で頷いてメロの分に、と買ったものを紙袋へしまってくれる。
そして俺の分をトレーに乗せてくれた。それを片手で受け取り、もう片方の手で袋を取ろうとした。
その時、彼女が先に袋をとって、「持つの大変だと思いますので、お席まで私が運びます」と申し出てくれた。ちょっと驚く。

「え、いいの?」
「はい。あ、お席はどちらにしますか?」
「じゃあ……」

ホントに丁寧だな、なんて思いながらも、レジが見える窓際の席を指す。ちょうど客が帰ったところだ。

「あそこでいいよ」
「はい」

彼女はすぐに席まで歩いて行くと、テーブルの上に大量の袋を置いた。

「ありがとう」
「いえ。ごゆっくりどうぞ」

彼女はまたしても可愛い笑顔を見せてレジの仕事へ戻っていく。
テーブルへトレーを置き、スツールに腰を下ろしながら、何となく彼女の方に視線を向ければ。いきなり彼女と目が合い、慌てて背中を向ける。
この席は窓の外を見る形のカウンターになっているから、振り向いてまでレジの方をジロジロ見るわけにも行かない。

(何でこんな慌ててんだ?俺……)

軽く息を吐き出しながら、僅かに早くなった鼓動を沈めようと頼んだばかりのコーラを口にする。
その冷たさにホっとした時。再び彼女の「いらっしゃいませ」という明るい声が聞こえてきて、目の前のガラス越しで視線を向けてみた。
窓ガラスにはボンヤリと客に応対している彼女が映っている。でもこうして離れたとこから観察してると、丁寧なのは彼女だけらしい。他の店員は笑顔も適当、接客も適当みたいだった。いや、これがある意味NYのデフォルトなんだけど。

(今時、珍しい子だな……)

あんなに可愛いのにツンツンしたところもなくて、何をするにも一生懸命だ。
この店より、数倍は高いコーヒーを出すカフェにだって、あんな笑顔を見せてくれる店員はいない。

(また来ようかな、ここ……)

煙草を吸いながら目の前に置いてある持ち帰り用のメニューを取る。ここならアジトからも車で数分だし、便利だと思う
その時だった。ガシャンという派手な音と、「うわっ」という叫び声が店内に響く。

「こ、この野郎!何してくれんだ!」
「す、すみません……!」

突然の怒鳴り声に驚いて振り向けば、スーツを着たサラリーマンが怖い顔でさっきの彼女を睨みつけている。
見れば男のスーツには黄色い液体が――多分コーンスープ――かかっていて、床にはその雫がポタポタと落ちていた。
きっと彼女が席で待つ客のもとへスープを運ぼうとしたのだろう。でも何か予想外のことが起きて客とぶつかったのかもしれない。

「申し訳御座いません!今、タオルを――」
「ふざけるな!火傷するとこだぞ?しかも買ったばかりのスーツに……っ!クリーニング代くらい出せっ!」

彼女の顔は真っ青で、さっきまで見せていた可愛い笑顔が消えている。
いい大人がよくもまあ、あんな可愛い子を公衆の面前で怒鳴れるもんだ。

「は、払います……いくらですか?」

彼女は気丈にも顔を上げて真っ直ぐに男を見上げる。すると男は鼻で笑い、「これはブランド物だからクリーニング代も高いんだよなぁ」と唇の端をあげた。

へぇ、あれブランド物なんだ……何か安っぽく見えるけど。まあ着てる男が大したことないからな。
煙草を咥えながら彼女がどうするのか観察していると、他の店員が落ちたカップを片付けに出てきた。それでも彼女を庇うでもなく、何も声をかけない。
男はそれをいいことに、とんでもない額を口にした。

「そうだなぁ……前に出した時は……確か150ドルくらいだったかな?」
「え、クリーニングで……150ドル……?」
「ブランド物はそれくらいするんだよ!ほらサッサと払えよ、姉ちゃん」
「あ、あの――」
「ゴチャゴチャ言ってると裁判で訴えるぞ?!」
「そんな……っ」

訴えると言われた彼女の顔は、ますます青ざめていく。
このアメリカという国のやっかいなとこは、どんな些細なことでも即、裁判だ何だのと大騒ぎするヤツが多いってことだ。
つい先日もファーストフード店で店員にスープをかけられ火傷した客が、その会社を相手取って裁判を起こし、最後は勝訴した件があった。その時の賠償金額もスープかけただけのものにしちゃ、かなりの大金だったはずだ。
もしかしたら、この男もその話を知ってるのかもしれない。
その時、隣にいた派手な格好の女二人が、怒鳴っている客と彼女を眺めながらボソボソ話しているのが聞こえてきた。

「訴えるって、あの嘘つき男……あの子かわいそー」
「ホーント。あのスーツがどう見たらブランド物に見えるのよね~?ずーずーしぃ奴だわ」

そんな会話を聞きながら彼女たちへ視線を向けて見る。ボディラインがくっきりのシャネルのスーツに、同じくシャネルのアクセサリー。
なるほど。ブランド物にかけては見る目があるってわけか……。
静かに立ち上がると、俺はその女二人に声をかけてみた。

「ちょっといいか?」
「――えっ?」

俺が声をかけると、女たちは一瞬だけ警戒したような顔をした。そこで営業用スマイル――何のだ――で微笑みかければ、すぐに彼女達も愛想のいい笑顔を見せる。

「な、何ですか?」
「ちょっと今の会話が聞こえたんだけどさ」
「え?」
「あの男のスーツ……ホントにブランド物じゃないの?」

そう尋ねると、その女達は顔を見合わせ、すぐに吹き出した。

「ええ、もちろん。きっとあのスーツの値段が150ドルだと思うわ?」
「そーそー。だからクリーニング代なんて20~30ドルでいいんじゃない?」
「へぇ……そうなんだ」

やっぱり、な。ってことは、あのオッサンは可愛い子をイジメる最低な男ってやつらしい。

「それよりキミ、名前は?」
「これから踊りに行くんだけど一緒に行かない?」

女たちは妖しい笑みを浮かべて俺を誘ってくる。普段なら二つ返事でOKと言いたいとこだけど、今はメロも待たせてるし、それに――。

「ごめん。嬉しいけどこれから仕事でさ。またどっかで会ったらその時は必ず」
「え、あ、ちょっと――」

少しもったいなかったかな。今夜は3Pいけたかもしれないのに。
そんな邪な考えを振り切ると、短くなった煙草を灰皿に押し付け、未だネチネチと彼女へ嫌味を言っている男の方へ歩いて行く。

「ほら、早く払えよ、150ドル!」
「で、でも……」
「今から帰るのにこんなに汚されて恥ずかしいだろ?焼けどまでするとこだったんだぞ?150ドルなんて安いくらいだよっ」
「す、すみません!でも私、今はそんなに持ってなくて――」
「へぇ、そんな皺だらけのスーツのクリーニングだけで150ドルもするんだ」
「な……っ何だ、お前!」

新たに煙草を咥えて火をつけながら歩いて行くと、今まで傍観してた周りの客もザワザワ騒ぎ出す。
男は明らかにマズいといった顔で俺から視線を反らした。


「ア、アンタには関係ないだろ。引っ込んでろよ」
「まあ、そうだけど……どーしてもそのスーツに150ドルもかかるクリーニングが必要とは思えないんだよな、俺」
「な、何だとっ?」
「まあまあ、そんな熱くならないでさ。ああ、そうだ。だったらそのスーツのブランド名を教えてくれるかな」
「な、何……?」
「ほら、ブランド物なら商品のどこかに名前が刺繍されてるとか、タグが付いてたりするだろ。それを見せてよ」
「く……っ」

俺のツッコミで明らかに男は動揺している。この様子だとさっきの女達が話してたことは当たってたらしい。俺は勝手に男の襟へ指を入れてぐいっと引っ張ってみた。

「お、おい!何する――」
「あれぇ?これノーブランドじゃん」
「な……っ」
「ここに〇〇ってタグが付いてるし……ここの店知ってるけど、かなり安いスーツが買えるって有名だよな?」
「う……っ」

衿元を元へ戻してやりながらニヤリと笑えば、男の額にじわりと汗が浮かんだ。

「このチキン野郎……女の子をねちねち虐めやがって。侮辱罪で訴えてやろうか?」
「――っ」

そう言って睨みつけると、男は慌てたように「お、覚えてろっ」と怒鳴りながら店を出て行こうとした。
それを見た俺はジーンズのポケットから30ドル出すと、「待てよ、オッサン。ほら!これで足りるだろ?」と振り向いた男の顔に札を投げつけてやる。

「……っ?!」
「ちゃんと金は払ったんだし変に色気出して訴えようなんてするなよ?こっちに払う意思があればお前の方が不利なんだしさ」
「く……ッ」

男は驚いた顔をしつつも、しっかり金を拾い集めると、顔を真っ赤にして店を飛び出していった。俺とは違い、きちんとサラリーマンなんてやってる人間でも、ちょっとしたキッカケでクソ野郎に変貌するんだから溜息しか出ない。日頃のストレスを他人で発散させる人間は、ハッキリ言ってこの世の癌みたいなもんだと思う。
でも男が出て行った瞬間、何故か店内で拍手が巻き起こり、今度は俺の方が赤面する番だった。

「きゃー素敵!あなた、偉いわー」
「いやーホントだ!僕もあれで150ドルはないと思ってたんだよ!君、よくハッキリ言えたねー」

深夜族のオッサンや、何をしてるか謎だらけの派手なオバちゃんたちに一斉に誉められ、ギョっとする。
さっきスーツのことを教えてくれた女たちからも、「やっぱり一緒に遊びにいこーよー!」なんて声をかけられ苦笑するしかない。
慣れないことをしたせいで、やけに照れくさくなった。
そろそろ戻らないとメロに怒鳴られる、と焦りつつ。声をかけてくる奴らへ適当に相槌を打ちながら自分の席へ戻ろうとした。

「あれ……俺の荷物……」

テーブルの上に置いた袋がなくて驚いていると、後ろから「あの……」と声をかけられた。

「え?ああ、君……」
「あ、あの……ありがとう御座いました!」

先ほどテイクアウトした袋を俺に差し出し、彼女はペコリと頭を下げた。その行動に驚いていると、彼女はさっき見せてくれた以上の笑顔を見せてくれる。

「本当に助かりました」
「いや別に……俺が気に入らなかっただけだから」
「でも嬉しかったです。あ、それでお金……」
「え?」
「あの人へ渡してくれた30ドルです」
「ああ……。いいよ、そんなの」
「そういうわけには。私のせいですから……」
「……」

申し訳なさそうに見上げてくる彼女があまりに可愛くて、"だったら今夜付き合ってよ"……なんて普段の調子で言いそうになった。けど彼女のキラキラと光る純粋な瞳を見てると、何故かいつもの調子が出ない。
普段は彼女みたいな純粋で可愛い子と接する機会なんてないから、どう扱っていいのかも分からなかった。

「あ、あのこれ……」

悶々としていたところへ、突然、彼女から20ドル札を出された。

「今これだけしかなくて……」
「え、いや。ホントいいよ、金なんか――」
「いえ!それじゃ困ります……!」
「……う」

彼女の押しの強さにたじろいで一歩後ろへ後ずさると、彼女は俺の手に20ドルを握らせた。

「残りは明日払いますので……連絡先教えてもらえますか?」
「え?れ、連絡先……?」
「はい。お願いします」

再びぺこりと頭を下げる彼女に、俺は少々困ってしまった。
たかだか残り10ドルのために連絡先まで聞いてくる彼女は根っからの正直者で真面目な子なんだろう。
本音を言えばお金なんていらないと言いたかった。大した額でもないし、俺が勝手にやったことだ。
でも……ここで彼女と縁が切れるのも何となくもったいない気がして。(!)
俺は彼女の差し出すメモに、あのアパートメントの住所を書いておいた。

「ここに送ってくれればいいよ。まだ当分はいると思うし」
「え、でも送るなんて……」
「いいよ、わざわざ来なくて。この辺は治安も悪いところだし……それに俺んち凶暴な犬(メロ)もいて危ないからさ。……っといけね。そろそろ戻らないと。それじゃ――」

ふと時計を見れば、ここへ来てから30分は軽く過ぎている。脳裏にメロが牙を出して怒っている顔が浮かぶ。俺は慌てて袋を受け取ると急いで踵を翻した。
だが、ふと立ち止まって彼女の方へ振り向く。

「また食べに来るよ」

そう声をかけると、彼女も嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

「はい……!お待ちしてます」

最後の最後まで丁寧な彼女の言葉を聞きながら、俺はその場を後にした。何となくいいことをしたという気分だ。
足取りも軽く。一気に駐車場へ向かって車に乗り込む。ただふと大事なことに気づいた。

「あ……彼女の名前聞くの忘れた……」

あの子の可愛い笑顔を思い出しつつ、俺はガックリ頭を項垂れた。

「まあ……いっか。また店に行けば……」

溜息交じりでエンジンをかけると、そのまま夜の道を飛ばし、怒っているであろうメロの元へ急ぐ。
まさか明日、アジトを移動することになるなんて、この時の俺は思ってもいなかった。